シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

自転車交通論

自転車に関する話題があちこちで見られるようになった。
実は、丁度10年前から自転車通勤を行うようになったのだが、そのころに自転車=公共交通として捉えよう、なんて云う意見が出てくることは想像だにしなかった。
 
自転車をもっと活用するには?(後編3)
http://nikkeibp.jp/style/eco/eco_society/060310_bicycle4/
エコ社会はどこから来るの?〜読者と考える環境と未来 Nikkei BP
 
ここのコメントを見ていて予想以上に関心が高い事に驚いた。もちろん批判や偏見も見受けられるが、10年前には「変わり者」で片づけられていたことを思えば、大きく変化したなぁ、と感慨深い。
自転車が注目されてきた契機はもちろんCOP3(京都議定書)であろうが、直接的契機は疋田氏の提唱する「ツーキニスト」だろう。

自転車ツーキニスト (知恵の森文庫)

自転車ツーキニスト (知恵の森文庫)

自転車通勤で行こう
http://japgun.hp.infoseek.co.jp/

疋田氏の意見には何も付け加える事はない。自転車通勤を始めた契機こそ、自分の場合は足の怪我のリハビリとして勧められたのだが、その後の心境変化は疋田氏に似ている。自転車通勤をキーワードとして調べると、同様のblogが至るところで見つかるので、大体がそういう心境になるのだろう。つまりは、
「自転車はイケる」
ということだ。
そのうちに、「なぜこんな便利なものに今まで注目しなかったのか、注目されないのか?」に変わり、「注目されるには何が必要か」を考えるようになる。

これからの日本の交通政策には自転車という要素が欠かせなくなる。それは間違いない。では、どうしたら良いのか。自転車を活用していくためのポイントは次の3点だと考える。
 
1.未活用者の啓蒙
2.交通政策の見直し
3.自転車自体の性能向上
 
今後、この点について述べていきたい。


1.未活用者の啓蒙
啓蒙、なんて云う言葉はどうかとも思うが、適当な言葉が思いつかなかった。
 
さて、周囲の人間に聞いてみると、自転車ってのは大の大人が乗るもの、とは考えないようだ。
自転車通勤時に通学途中の中高校生とすれ違ったりするが、彼らの自転車は一様に手入れが悪い。チェーンはサビサビだし、ブレーキも調整したとは思えない音がする。クランク回す毎にカチャカチャ音がしている。乗っている自転車自体も揃いも揃って「通学自転車」とか「軽快車(ママチャリ)」だったりする。売り出しで1万円以下で買えるようなヤツだ。自分が高校時分の時は、もう少し多様性があったし、手入れもこれほど悪くは無かった。しかも彼らはその手入れの悪い安物自転車のサドルを目一杯下げて乗る。試しにこういう状態の自転車に乗ってみたが、ビックリするほど乗りにくかった。こんな自転車で良く学校まで走れるものだ。若いから何とかなるのか、という感じだ。
なぜこんな状態で平気なのか?それは、自転車は車を持つまでの繋ぎ、と考えているからだろう。自分の住んでいる辺りでは、高校卒業時と同時ぐらいに免許を取り、家の車を乗り回し、金が貯まったら(又はローンで)自分の車を買う。自転車など見向きもしない。自分もそうだった。たまたま自転車に乗っているところに先輩にあって、「高校出たら車に乗れよ」などと云われたこともある。自転車と自動車にはヒエラルキーがあるらしい。(中)高校だけ我慢すればいい、となれば自転車など安物で充分だし、卒業まで動けばいい。残念なのは、この考えは再生産されている事だ。親が子供の自転車を買う時に「自転車などこんなもので充分」と考える。そして、それを買う。子供達もそう考えて育つ。自転車を省みないのは、次代へと受け継がれ拡大する。
かくて、町には車が溢れ、渋滞と大気汚染を引き起こし、商店街を廃れさせる。地方ほどこの傾向が強い。結構問題じゃないだろうか。
 
自転車は巧く利用されれば、かなりの移動能力を持っている。手入れの悪いママチャリにベッタリ座っては無理でも、手入れとポジションさえ直せば、時速20kmで30分走るなどほとんどの人が可能だ。
これはつまり10km圏内なら自転車で充分移動可能という事だ。
 
疋田氏の著作には、東京を例にどれくらい自転車通勤可能か示しているので、静岡市を例に挙げてみよう。
 
JR静岡駅を中心とした地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.58.6.786&el=138.23.33.561&la=1&fi=1&sc=5
 
下に縮尺が出るので比較してみると、旧静岡市街のほとんどが静岡駅を中心とする5km圏内に含まれる。南なら安倍川河口、西なら安倍川駅や丸子、東なら草薙の手前、北なら西ヶ谷まで。もちろん、全部が直線で行ける訳では無いが、30分もあれば目的地まで行ける事になる。これはどこの地方都市でも大体同じだ。もともと徒歩を基準に造られた町が拡大したわけだから。自転車は子供の乗るもので、大人は自動車。自転車は車に乗るまでの繋ぎだから、という考えを取り除けば、物理的には自転車で静岡市内の移動はほとんど可能である事が判る。
 
LRTの稿と併せれば、どういった街が可能になるか像が描けるんではないだろうか。その妨げになっているのは、自転車に対する偏見だ。自転車は本来高いポテンシャルを持っている。それに気づくことがまず第一だろう。ママチャリでない、クロスでもMTBでもロードでも良いが、まともなキチンと整備された自転車に乗ってみて走ってみる。まず、ここから始まる。
 
適当な自転車で走ってみると、しかし地図での予測ほどには速く快適に移動できない事が判る。(もちろんママチャリとは違うレベルだが。)それは街の構造、つまりは交通政策自体が自転車を考慮に入れていないからだ。
続いては交通政策について考えてみる。