シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

環境復元

あとはシンナー吸わせて青カンして中出ししちゃうんだけど、とりあえず最後にやさしく肩を抱いて「体だけは大事にしろよ。」って言ってボキをいい人にみせるのがコツでね      板谷宏一 
    「できるかな」 (西原理恵子 扶桑社)

     できるかな (SPA! COMICS)
 
ここ数年、公共事業工事などに対する風当たりが強くなったせいか、至る所で「×××は環境に配慮しております。」みたいな事が描かれた看板を見掛けるようになった。その中身はというと、植栽だとか水辺だとかを作り直す、つまり環境復元を行っています、というのがほとんどだ。どうも、こういう環境配慮、には違和感がある。
 
例として、全国的に知られるようになった「静岡空港」(愛称:富士山静岡空港)を取り上げてみよう。環境保護の取り組みとして、貴重な植栽を移植するなどして維持に努めている、と宣伝している。
  
静岡県/富士山静岡空港/人と自然にやさしい空港
http://www.pref.shizuoka.jp/kuukou/contents/gaiyo/eco.html
  
だが、環境保護の基本はReduce(削減)Reuse(再利用)Recycle(再生)の三つ、つまり3Rである事は比較的知られている。
  
公共事業なら最初に
「本当に必要なのか(でなければ止める)」
「他に代替手段はないのか(あれば代替手段を使う)」
「修復で済ませられないか(あれば修復して利用する)」
を検証する必要がある。
これらの条件を検討し、かつ必要と判断された場合に復元という手段が選択されるわけだ。
  
静岡空港の場合どうだろうか。
まず、需要自体に問題がある。どの地方空港も主路線は東京、大阪、名古屋だが、静岡から空路という選択はありえない。必要性に問題があるわけだ。
  
代替空港にも事欠かない。羽田でも小牧でも中部国際でも利用圏内にある。
  
これら2つをクリアしても、静岡には航空自衛隊基地が浜松と静浜の2つある。これらの修復(=拡張)で充分需要は賄えそうだ。
  
こうしてみると、静岡空港は3Rをクリア出来ているとは言い難い。これらを無視して工事を行いながら植栽移植したから「環境に配慮」している、とは本質を外しているとしか云いようがない。必要も無いのに環境を散々に破壊した末に申し訳程度に直す、では対外的に後ろめたさを打ち消す効果しかないだろう。
まさに、冒頭の板谷氏のセリフである。静岡空港ばかりでは無い。日本では至る所でこのような公共工事が行われている。財政的にも環境的にもこのような事業は再考される必要がある。環境と利便性を両立した公共事業とはどういうものか、近自然学で示唆されているのでごらん頂きたい。
 
入門「近自然学」 正しい評価法の提案(1) (全6回)
http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/kinshizen/050831_hyoukahou1/
 
近自然学はパーマカルチャとも相通ずる理念がある、というか、パーマカルチャそのものであるので、下に紹介することにする。
 
山脇正俊 氏のウェブサイト
http://members.aol.com/masayama/
 
山脇氏の著書

近自然学―自然と我々の豊かさと共存・持続のために

近自然学―自然と我々の豊かさと共存・持続のために