シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

パーマカルチャ講義録 その2

 
 
 

「自然に還れ」ルソー

「(パーマカルチャは)農法の一種だとか、庭いじりのすすめなどと誤解される事がしばしばで、生活全体のデザインであり、社会作りから社会維持の方法まで含む総合的な応用科学だと理解されることはあまりない。」
人工社会 リックノグチ 幻冬舎

先週末、パーマカルチャの研修2回目に参加してきた。
講義内容は「パーマカルチャの基礎」「パーマカルチャの倫理」
「パーマカルチャの事例 スライド上映」
「自然観察実習」
 
それぞれの内容について述べる。
まず、パーマカルチャの基礎と倫理である。かなり長い話だったのだが、概要はこんな感じ。

 

現代社会における個人のアイデンティティーというのは、かつての伝統的社会と大きく様相を変えている。伝統的社会においては、共同体の和を貴しとする「個を抑圧する」形のアイデンティティーだった。しかし、第二次世界大戦後の高度成長期に伝統的村落を中心とした共同体が崩壊し、アイデンティティーのあり方も大きく変容している。資本主義的なアイデンティティーのありようは、「過剰な」欲望を全面に押し出すものである。これに対して、現在も僅かに残っている旧来の文化(例えば狩猟採集民)では過剰性を抑え、環境と調和した生き方を行っている。一旦失われた伝統的アイデンティティーは復活できないが、新しいアイデンティティーを模索する必要がある。そして、そのアイデンティティーは過剰性を抑えなくてはならない。

 
本当は、レヴィストロースの悲しき熱帯、その中の熱い文化、冷たい文化、とか大地の余剰性とか、バタイユだとか色々話が広がっていた。
 
さて、講義内容なのだが、参加者の多くは話に感銘を受けていたようだった。最後のまとめにおいても倫理の話が参考になった、とか常識が覆ったとか、感想が多かった。
しかし、自分は講義中も今ひとつピンと来なかったし、感銘も受けなかった。帰ってみて講義録をまとめて、何が引っかかっていたのか判った気がする。さらに、この話はディスカッションの議題であった「日本でパーマカルチャを広めるには?」とも関係してくる。で、雑然と述べてみよう。
 
講義内容に現れるような、現代文明や現代文化への異議申し立てや新たな価値観の創出、というのはパーマカルチャーの専売特許ではない。この辺は、60〜70年代のカウンターカルチャー(対向文化)の中では珍しくない。カウンターカルチャーの洗礼を受けた人々、ヒッピー達の一部は、新たな価値の創出と倫理の確立を掲げて共同体(コミューン)を造り、そこへ住み着いた。ビル=モリスン自身が認めるように、パーマカルチャもその流れを受け継ぐものだ。従って、パーマカルチャーの倫理、というものは当然のように存在する。
が、しかしである。カウンターカルチャーによって造り出されたコミューンは、そのことごとくが失敗に終わっている。アメリカでもヨーロッパでも日本においても、パーマカルチャの生まれたオーストラリアにおいても当時造られたコミューンはほとんど残っていない。現代社会だけの話ではない。最初期で云えばルソーの「自然に還れ」、近代でもラッダイト運動、フェビアン協会などカウンターカルチャに先んじた例は枚挙がない。
あの、20世紀の大狂気、ポルポトのクメール=ルージュも農本主義を掲げて都市生活民を地方へ強制移住させた。その末路は皆が知っての通り。
脱資本主義、脱科学技術なりのスローガンと倫理を掲げた活動は成功した試しがないのだ。
もちろんパーマカルチャーを行うのに倫理無しという事はどうか、と思う。だが、悉くが失敗してきた歴史を顧みることなく倫理を説くならば、再度の失敗は免れないだろう。
 
もう一つの問題点だが、講義の中でレヴィストロースの著作におけるトロブリアン諸島住民、東アフリカの狩猟採集民、ベトナム北部の少数民族の生活などが取り上げられた。お金など無くても、物質に恵まれていなくても何て豊かな生活をしているのか、という例である。
 
だがこれは、先進国の人間が「お金が無くて、物質にも恵まれなくて、何て気の毒なのか」と見下す視点を逆転させたに過ぎない。”高貴な野蛮人”ってヤツだ。文明から孤絶して、または拒否して生きる事をユートピアのように扱う事も昔から行われてきた。
 
サモアの首長、ツイアビの演説集と云われているパパラギ、文明に対する厳しい批判、と云われるが、内容はどうみてもツイアビのものではない。たぶん、編訳者が書いたものだ。
 
 

パパラギ―はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集

パパラギ―はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集

 
フォレスト・カーターの『リトル・トリー』。作者はKKK(クー・クラックス・クラン)のメンバーで人種差別者でありながらチェロキー・インディアンの血統を詐称してこの作品を書いた。
 
 
リトル・トリー

リトル・トリー

 
参考:町山氏のブログ
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20060221#seemore
 
ラストサムライはハリウッド映画、武士道を描いた作品として褒めそやす人も少なくないが、武士ならびに武士道の解釈は明らかに間違っている。
 
総武線猿紀行第214回
「え、その場面ホント? 『ラストサムライ』を2倍楽しもう!」〜佐伯先生と新春・武士の勉強〜その1
http://www.1101.com/saeki/2005-01-03.html

 

戦場の精神史 ~武士道という幻影 (NHK出版)

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【新版】 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り (朝日選書(777))

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はっきり言えば、ダンスウィズウルブスの舞台を日本に移したものである。
 
 
ダンス・ウィズ・ウルブズ (スクリーンプレイ)

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勝手に見下すことも、自分の理想を投影することもどちらも慎まなくてはいけない事だ。
この項続く
 
人工社会―エコビレッジを訪ね歩いて

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