花田 in WiLL
「で、そのすみませんは文春マルコ、ウノ、MW(Dr-Seton注:メンズウォーカー)、編集会議のどのすみませんでしょうか」
「さあどれでしょうねえ」
何がでてくるかわからない 宣伝会議 (鳥頭紀行くりくり編 西原理恵子 角川書店 収録)
「私もさあ新連載の時は気が重くて 何度雑誌がつぶれてくれればって本気で思ったか
「花田さんはねえその願いを三回もかなえてくれた人なワケよ わかるアンタ」
「だから何なんですかっ」
「ウチは花田で両手いっぱい あんたがサピオ行ったら面倒みないってこと」
何がでてくるかわからない 宣伝会議/編集会議 (できるかなV3 西原理恵子 扶桑社 収録)
「金の鉱脈のようなもんだよ。連中は君が言っておったように、ヘルメスのことなら何にでも食いついてくるのは百も承知、学校の教科書と反対のことを見つけるだけでいいわけだからね。それに、これは文化的な義務と言っていいくらいだと思っとる(後略)」
フーコーの振り子 ウンベルト=エーコ 文春文庫
この間、書店の雑誌コーナーでふとある雑誌に目が留まった。
月刊WiLL
http://www.web-will.jp/index.html
・・・。編集長、花田さんではないの。あんだけ雑誌をつぶして、その果てがWiLL。泣けてくるよ。雑誌の内容については特に感想はない。極右界の「ムー」といった感じだ。
もう、結構号数出てるのね。今まで気づかなかったよ。あ、岡留さんのブログになんか書いてあったっけ。しかし、この雑誌、花田さんの崖っぷち感が良くでている。実際、この手の雑誌は大量に売れない代わりに、確実に層はある。執筆陣を見ればアカデミズムの世界では相手にされない連中ばかりだ。しかし、購買層は間違いなく、この掲載記事を後生大事に抱え込んでいくだろう。
「ムー」の読者が、エリア51の異星人や米政府が宇宙人の存在を隠している、なんて話を抱え込んでいるように。
その昔、Yahooの掲示板で「南京事件関連」のトピック(2ちゃんでいえば、スレッド)に参加していたことがある。
もともと自分には興味も大してなかった出来事だったのだが*1、文藝春秋に載っていた否定論(たしか、渡部昇一)を読んで、幾らかの文献に目を通した結果、文春の記事とは違って南京事件は夥しい証拠の存在する実在の事件である、と知った。
そんな事もあって、南京事件否定派とバトルをする羽目になってしまった。そこでさんざん思い知ったのは、否定派には手の施しようがない、ということである。
肯定派が文献内容を引用し、引用元を提示して追いつめていく。すると、否定派は既に終わっている議論?を繰り返すのである。それが延々続いたあげく「Msg.○○××に回答済み」で済ませられるレベルまでくる、とどうするか。なんと、別のトピックを立ててしまうのである。そこで散々続けてきたことを再び始めてしまう。処置無しである。しばらくトピック乱立が続いたあげくに、否定派は登場したばかりの2ちゃんねるへ移動したようだった。
2ちゃんねるにも多少参加してみたが、まったく議論にはならない。誹謗中傷か、まったく無意味なレスが付きまくったあげくにスレッドが消化され議論が噛み合うどころではなかった。このあたりで自分は南京事件関係に首を突っ込むのをやめた。ネット議論に付き合うどころじゃなくなったという事情もあるが。
最近、id:bluefox014さん経由で知った議論も同じようなものだ。Apemanさんやid:bluefox014さん達は、「文献も読まずに議論を始める」事を訝しみ、「まず基本的な文献を読む」事を説く。これは確かに正論だが、否定派に関して言えば話は逆なのである。
彼らは文献も読まないから、否定派として討論出来るのであり、従って、決して文献に目を通すことはない。文献に目を通してしまったら討論にならなくなってしまう。
基本的文献に目を通せば、否定派が築き上げてきた世界観はあっさり崩壊してしまう。
南京事件は一度に20万人殺害したわけではなく、南京市の人口は被殺害人数より少なかったわけでもない。便衣兵はいなかったし、日本人の目撃者や第三国人の証言が無かったわけでもない。厳然たる事実を突きつけられて、それをなお否定するには粘り強い努力が必要だ。もちろん努力しても報われないわけだが。彼らの多くはそれほどの覚悟で議論に臨んでいるわけではない。覚悟もなく否定し続けるには、文献に目を通さず、事実から目を背け続ける他に無いのである。馬を水飲み場に連れて行くことは出来る。水桶に口を突っ込む事も出来るだろう。だが、飲むか飲まないかは馬次第。無理に飲ます事は出来ない。
一例を挙げよう。Amazonにおける南京事件関連の入門書とも云える「南京大虐殺否定論13のウソ」のレビューを見てみるとおかしな事に気づく。
この本に否定的なレビューを書き、☆を少なく付けたものは、どうやら本を読んでいないらしい。
shinzituというレビュアーは、
「もちろん戦場で殺しが一切行われていないとはいえないと思う。しかし、便衣兵が多い中国兵を殺して、それを見た人々が勘違いしたか、故意で騒いでいるのもまた事実だ。」
と書いている。しかし、本には「(いわゆる)便衣兵が存在しなかった」事が説明されている。また、戦場外(戦闘終結後)に殺害が行われた事も掲載されている。
カスタマーというレビュアーは、
「肯定派も否定派も、虐殺行為が有ったか無かったか?、犠牲者数が多いか少ないか?・・・そんな論争ばかりなのだ。」
「それとも、「日本に生まれてきた事を恥じろ!」とでも言いたいの?
いったいこの本は、今の日本人に、なにをどうしろと言いたいのだ?」
「それと、気になる事がひとつ・・・不用意に「虐殺」の文字に「大」を付けるのは、まったくいかがなものか?」
と書いているが、本には「数の大小の問題では無い」事がハッキリ書かれている。
また、最終章に否定論(否定派)の問題点について書かれている。なにをどうするかは、そこにハッキリ示されている。もちろん、受け取り方は人それぞれだろうが。
大虐殺は1937〜1938年当時に、在南京外国人で呼ばれた「massacre」や「rape of 〜」「atrocities」に対する訳語。
"yosshii_t"というレビュアーは、
「だだ、何十万、何百万の軍隊なので心無い日本の軍人も居ったでしょうし、戦争をやっているのだから、半狂乱で結果としての虐殺はあったのかもしれません。」
「しかし、日本は日清、日露戦争を経て、諸々の世界紛争にも他の国々と同様に軍隊を出していますが、その中でも群を抜いて軍紀は厳しく、秩序が整っていたと言う数々の内外での記録があります。」
再掲になるが、事件は戦場外(戦闘終結後)に起きたもの。また、現場指揮官の判断で殺害を行っており、半狂乱、というのは当たっていない。
日本軍の軍紀の悪さは昭和天皇自身が「日清、日露の時とは違う」と徳川侍従長が記していることも、本には書かれている。
彼らの多くは本さえ読まずにレビューを書き、それに賛同する(ということは、賛同者も読んでいない)ものが少なからずいる、というわけだ。
”信じたいものしか見ず事実から目を背ける”人々を「南京事件」と絡めて描いたのが「と学会」の山本弘氏だ*2。著作「神は沈黙せず」でたどった議論。これは山本氏自身の経験だそうだが、読んでいて自分自身も既視感があった。
id:bluefox014氏もApeman氏も議論はほどほどにすることを勧める。基本的文献を載せ、知りたければ読むことを勧めれば充分だろう。トンデモさんは目の前まで文献を突きつけたって読みはしない。ニュートラルな人は各自判断する。判断材料を提示してもトンデモに堕ちる人まで救おうとするのは時間の無駄だ。
事実に目を背ける連中が拠り所にする、彼らが「信じたいもの」を提供する、それは数はともかく、確実に需要があるだろう。それが「WiLL」。花田氏が「マルコ」で得た経験をどう考えていたかはわからない。だが、これが彼の編集者としての花道だとすると、悲しい末路ではある。
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