シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

靖国問題 その4

靖国問題に対するコラム(ネット上で無かったために、全文掲載しています。クレームがあれば消去します)。

   靖国問題の本当の姿 佐藤俊樹
去年の夏、私は明治時代の東京の地図やガイドブックに埋もれて、すごしていた。
きっかけは桜だった。靖国神社ソメイヨシノの由来を追いかけていて、昔の境内が今とは全くちがうのに気づいたのである。正確には、新聞や雑誌に出てくる、今の境内のイメージと。それで一度、キチンと調べてみることにしたのだ。


 陽気と厳粛


今でも、靖国神社の境内には二つの顔がある。一つは陽気で、のどかな顔。花見に人々が浮かれ騒ぎ、色とりどりの屋台もならぶ。もう一つは厳粛で、ぴりぴりした顔。首相や閣僚が参拝した、とニュースで出てくるのは、こちらの方だ。
私もずっとこの顔しか知らなかった。おごそかというより、こわい場所。当然、戦前はもっとそうだろうと思っていた。
しかし、実際には、少なくとも明治の終わり頃まで、境内はむしろお祝いとお祭りの場であった。毎月六日が縁日で、年末には歳の市もたつ。
もともと秋の例大祭は、明治天皇の誕生日につづいていた。政府からお酒が配られ、東京市中が一週間、陽気に酔い騒いだ年もある。神社の南側には九段の花街があったが、これも最初は、神社の敷地内に造られた。
そこには日本の近代と戦争の関係がある。追悼に祝宴はそぐわないと思うのは、戦後の感覚。官軍そして日本軍は、昭和になるまでずっと勝ち続けた。靖国神社は戦死者を追悼する施設ではなく、勝ち戦の戦死者を追悼する施設なのである。「勝てたおかげで、日本は繁栄して、私たちはこんなに幸せですよ」と見せる。それが犠牲になった死者たちを弔うことでもあった。


戦後の迷走


だから、戦後になって靖国神社は迷走する。GHQの介入がどうの、左翼史観がどうの以前に、負け戦の戦死者をどう意味づけるか、答えを持たなかったのだ。
戦争に負けたのに、日本は、戦前以上に豊かで安定した社会になった。平均寿命はのび、犯罪も少ない。例えば、戦前に比べて今の若者は圧倒的に人を殺さない。珍しいからニュースになるくらいで、その点ではより道徳的にすらなった。
靖国神社の問題の根はそこにあると私は思う。戦争の勝ち負けと日本の繁栄や安定を結びつけられなくなった。その空白を埋めるために、いろいろな理由がさがされた。ある人はアジア解放のため、正義のためだったという。でも、現地の人から感謝されない「解放」って何?ある人は軍部の独走と無能な政治家の犠牲になったという。それって結局、無駄死にだったということ?
そうした疑問に最後まで答える、納得できる解を見つけることができなかった。だからふたをして、なるべく触らないようにしてきた。


意見次第で


それが靖国問題の本当の姿であり、だからこそ、いつも場当たり的な対応しかできなかったのではないか。「中韓が反対するから参拝すべきでない」「中韓が反対する以上参拝すべきだ」どちらも他人の意見次第である点では、同じだ。
靖国の伝統にはその答えはない。戦前の靖国神社は勝ち戦の戦死者を追悼する施設であり、その点で一貫していたからだ。この空白は、現在の私たちの問題なのである。
当時の政府や軍の高官たちは、硬直した戦争指導と精神主義で、死ぬ必要の無かった戦死者をたくさん出した、と私は考えている。だから靖国だろうとなかろうと、戦死者といっしょに追悼するのが正しいとは思わないが、彼らにだまされて日本は戦争をはじめた、他の人はみんな被害者だというのは、おかしいと思う。敗戦の日まで、多くの日本人は戦争を良いものとして、勝利を祝い、慰霊をしてきたのだから。
空白を埋める答えには、いろんな意見があるだろう。だが、答えを見つけないかぎり、見つけようとしないかぎり、毎年毎年、首相が参拝するかしないか、他国の政府がどういってくるかどうかをめぐって、一見熱くて、でもどこか空虚な対立と、出方待ちと様子見とがくり返される。
そういう夏を、私たちはあと何回過ごすのだろうか。
(東大助教授・社会学静岡新聞 8/12 夕刊


面白い。刺激的な投げかけだ。確かに戦前の日本では、戦争は勝ち戦ばかりで儲かる商売だった。日露戦争の時に賠償金が取れなかった、といって騒ぎになったほどだから、一般の人にとっても「勝てるなら戦争も良し」の意識があったのだろう。政権中枢部の一部を除いては、第二次世界大戦でも同じだったはずだ。
(いつも通り)勝てるはずだから、生意気な米英にガツンと言わせる戦争で、すぐにでも終わるはずだった。勝ってるはずなのに、勝てるはずなのに、都市部は空襲にあい、食料も物資も乏しくなる。そのうちに、天皇自身から「負けた」*1と聞くはめになる。敗戦のショックとは、負けて打ちのめされた以上に、世界観が一変した事にあったのかもしれない。
考えてみると、第一次世界大戦に敗北した時のドイツ帝国ベトナム戦争に敗退したアメリカ、も同様だったはずだ。彼等がどう克服したのか参考になるかもしれない。もっとも、ドイツは大戦敗北後どうなったのかは、皆承知の通りだが。

*1:玉音放送の内容自体は、往生際が悪いなと感じるほど尊大な表現だ