シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

懐かしの駿遠線 その3

道を尋ねた後も若干迷ったあげくにようやく御前崎市立図書館へ辿り着く。始めて行ったのだが、さすが原発があるだけあって豪華な造りである。地震の巣に5基も造るわけだ。


2階で駿遠線の展示が行われていた。一番感動したのが、駿遠線全線の線路跡を網羅した地図。今まであちこちで地図を見てきたが、今いちどこを通っているのか正確に判る地図が無かった。それを、昭和31(1956)年の地図と丁寧に付き合わして現在の線路跡を標しているのだ。線路跡にも感動したが、大正中期と昭和の志太地域の様子が見えてくるのは非常に面白い。


壁には駿遠線にまつわる写真がパネル展示されていた。当時の様子をしっかりと切り取った写真の数々に感動。展示室で掛かっていたDVDと併せて見ると、当時の風景が浮かんでくる。しかし、当時の風景には緑が多いね。貴重なカラー写真とカラーフィルムから伺えるのは、呆れるばかりにのどかな田舎をトコトコと走る軽便鉄道の姿だ。沿線の人々も同じように牧歌的に見える。通勤、通学、海水浴、夕涼みに駅(といってもプラットフォームがあるだけ)に出てくる人々。駅から草の生い茂る先へ歩き出す学生たち。大井川の橋を慎重に進めば、車両には扉がない。身を乗り出して掴まっている人さえいる。こんな列車に乗ってみたかったなぁ。
陳腐な言い方になるのは承知だが、当時に比べれば現在は物資消費でもエネルギー使用量でも数倍に及んでいる。で、それに見合うだけ豊かになれたんだろうか。単純な回帰思考に陥りたくは無いものだが、それでも当時に比べて格段に豊かになれたとは言い難いんじゃないだろうか。どのような生活が豊かなのか考えさせられるところだ。


ちょっと不満だったのが、藤枝大手から岡部までの区間を無視したこと。全線開通時には岡部ー藤枝大手間は既に廃止になっていたが、現在も微かに鉄道跡が見える(現在、開発によって岡部、藤枝水守、藤枝大手いずれも痕跡は完全に消滅した、田舎モンはこれだから困る)。これらを繋いだら、大変魅力的な鉄道跡になるだろう。


掛かっていたDVDはクラフト社の「懐かしの駿遠線」。「ALWAYS 三丁目の夕陽」に感動した人なら、興味深く見れるんじゃないかな。

駿遠線物語―巨大軽便の横顔

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軽便の思い出―日本一の軽便鉄道・静岡鉄道駿遠線

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追記:写真は菊川。河口より10km地点