シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

日の丸・君が代訴訟について

本当は政治がらみの話はあまり書きたくないのだが、昨今の政治状況があまりにアレな事もあって、書くことが増えているような気がする。もともと環境問題は人間の問題でもあるから当然政治的な話も出てくる訳だが、環境政策以外のイデオロギーに関しては深入りは避けたいところだ。


さて、日の丸・君が代訴訟の件だが、珍しく(というのもヘンだが)常識的な判決が出たように思う。まあ、一審でもあるし、おそらくは上級審で覆る可能性は高い。それでも、現段階では右傾化(保守化ではない)する東京都教委に対する牽制の意味はあったと思う。
ついでに、バカをあぶり出す効果もあったようだ。

「法律以前の礼儀の問題」
小泉首相は21日夜、入学式や卒業式で国歌斉唱などを強要した東京都教育委員会通達を違法とした東京地裁判決について「法律以前の問題じゃないですかね、人間として国旗や国家に敬意を表するのは。人格、人柄、礼儀の問題とか(だと思う)」と語り、強要によらず、礼儀作法として国旗・国歌に敬意を表するべきだとの考えを示した。
朝日新聞9/22 朝刊

相変わらず思考能力が無い人だ。


・国旗も国歌も制定されたのは最近のこと。それまでは人間じゃないのか。妖怪人間じゃあるまいし。世界的にも国民国家が登場するまで国旗はなく王侯の家旗があるのみだったし、国歌も存在していない。伝統的産物でもないのに、礼儀作法というレベルじゃないだろう。


・法律以前、という言葉を使った理由がよくわからないが、法によらないなら(通達違反者を)処分する事は出来ない。それが法治主義というもの。礼儀の問題、というなら”礼儀知らず”は小馬鹿にするのみ、である。「アイツ、歌ってないぜ。バカなヤツ」とばかり鼻で笑っていればいいのである。


一国の首相が「法治主義」を無視してしまうのだから困ってしまう。


それとも、朝日新聞記者が好意的に解釈しているとおり、本当に処分はイカンと考えているんだろうか。それなら、都に伝えてもらわんと。

特異な判決では
菱村幸彦・国立政策研究所名誉所員の話
最近の判例の傾向から見て特異な判決ではないか。特に昨年の福岡地裁判決は職務命令を適法としており、これが本来のあるべき判断だ。行政当局が法に基づいて行った行為が不当な支配に該当するというのはおかしい。東京都の行政がこの判決に影響を受けることはないだろうし、上級審で正されることになると思う。
静岡新聞 9/22 朝刊(シートン注:共同通信記事と思われる)

この短文の中に複数突っ込みどころがある。
まず、裁判所判断が複数存在する事は珍しいことではない。それぞれの事例に基づき、各判事が判断を下すのだから。特異とレッテルを貼る事で印象操作を行っている。判断内容について触れないのが姑息だ。
また、「行政当局が法に基づいて行った行為が不当な支配に該当するというのはおかしい」って、この人「三権分立」を理解していないのだろうか。確かに日本では三権分立が形骸化しているきらいはある。しかし、建前上は行政や立法府の暴走に歯止めを掛ける働きを担っているのだ。とりわけ行政は暴走しやすい。法の恣意的解釈や執行を防ぐのが司法の役割であり、不当な支配に該当する、と判断を下す事だって当然あり得るのだ。これも、内容について触れようとしない。まあ、日本の司法は行政の追認に過ぎない部分があるため、つい本音が漏れたのだろうが。


しかし、この国立(教育)政策研究所ってのは文部官僚の天下り用だろう?その”名誉”職員と云ったら、「私、仕事はしてません」と全身で云っているようなものだ。そんなヤツを識者としてコメントを求めるセンスもどうかと思う。


最後は、もちろんこの人。

(前略)会見で石原知事は「あの裁判官は都立高校の実態を見てるのかね。現場を見てみるといい」「規律を取り戻すには統一行動が必要。その一つが式典での国歌・国旗に対する敬意だと思う。それが全てとは言わないが、これも一つの手だてだ」などと語った。
さらに、「(都教委の)通達に従って、学習指導要領で要求されていることを教師が行わない限り、義務を怠ったわけだから、いきなりクビにするわけじゃないけれど、処分は当たり前じゃないですか」と述べた。
朝日新聞 9/23 朝刊

この人、基本的にチキンなのだね。勇ましい事を言うが、いつでも逃げ道を用意して責任転嫁したがる。
裁判官が都立高校の視察しなければならない、などとは思わないが、しかし、珍太郎、お前が云うかよ。自分は実態をどう把握しているというのだ。お前、坊ちゃん育ちで名門私立通ってたボンボンではないの。しかも、どういう実態があるか知らないが、実態に即した対処をするのではなく、「式典での国歌・国旗に対する敬意」って、なんじゃそれ?強制してやったところで敬意が育まれるはずもないし、一年に一回限りの儀礼で、実態に即した手だてと云えるのか?それが全てとは言わないが、なんて姑息な逃げ道作ってるが、全体主義が好きってハッキリ言えばいいのに。「規律を取り戻すには統一行動が必要」なんて云ってるんだから。
どういう規律を取り戻す必要があるのか、統一行動はその規律改善に効果があるのか、教員が歌わないだけで統一行動に支障があるのか、その点に触れていないので、単なる耄碌ジジイの戯言にすぎない。


それにしても、北朝鮮に敵対心燃やす人ほど、自分たちのファシズム的行動を正当化するのはどういうことなんだろう。近親憎悪か?あちらのファシズムは悪くて、こちらのファシズムは正しい、ってのは、原水禁原水協の分裂みたいだな。東側の核はキレイで、西側の核は汚い、みたいな。くだらん。
北朝鮮のような全体主義国家に対抗するのは、あちらの体制や連中のネタもとである大日本帝国を模倣することではなく、民主主義そのものであるはずだ。権力の濫用に対する監視、一般市民の政治参加、多様な価値観の尊重、社会的公正の徹底、行政情報の公開、etc。どれも珍太郎達が嫌うものだが。相手と同じスタイルで競い合うなんて愚の骨頂である。


最後の言葉は、その通達が違法か適法かで争われているのだから、処分が当たり前なわけはないのだが、そのへん、理解出来ていないようだ。
こんな人が都知事やっていて、しかも次の選挙でもおそらく勝つだろう、というのはイヤな気分である。


国旗国歌を変えればいい、という人もいるが、それでも国旗に最敬礼、国歌斉唱を強制するべきではない。歌いたいヤツは歌えばいいし、歌いたくないヤツは歌わなくていいのである。それだけの当たり前のことだ。

追記:写真は赤い彼岸花