シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

父親たちの星条旗

硫黄島の擂鉢山山頂に掲げられようとする星条旗の写真は、誰でもが一度は見たことがあるだろう。第二次大戦を取り上げた文献や番組でお馴染みだ。
クリント・イーストウッドが、その栄光の歴史、に踏み込んだ映画を撮った。


第二次世界大戦末期、日本を直接爆撃することが可能な距離にある、日本最果ての硫黄島。この戦略上の要衝を巡り、米軍は上陸作戦を敢行し、日本軍は徹底した籠城戦で徹底抗戦に出た。太平洋の小島を巡る戦いは当初の米軍予想を超え、1ヶ月以上にも及び、損害は米軍の方が多いという大激戦となった。この大激戦を制した、実際にはその後一ヶ月戦闘が続くわけだが、象徴となったのが擂鉢山山頂に星条旗を掲げる海兵隊員達の写真である。
この写真は、欧州戦線と太平洋戦線の両方を展開して疲弊していたアメリカ国内を鼓舞した。このモチーフはこの後繰り返して利用され、ブッシュ政権イラク侵略時にも利用されている。


当時のアメリカ中枢部はこれを利用する事を思いついた。それは戦時国債の宣伝である。さしものアメリカも軍事予算が尽きかけていたのだ。その額約180億ドル。当時の額であるから、現在なら多分、30倍ほどになるのではないだろうか。財布の紐の堅い国民に買わせるには、英雄の存在が不可欠だった。その英雄役に選ばれたのが、写真に写ってる、とされた3人の若い海兵隊員達だったのだ。
彼らは降って湧いたような話に戸惑う。自分たちは英雄たるべく振る舞ったわけではない。それに相応しい者達は他にいたのに。自分たちの役目を受け入れつつも納得しきれない姿と、その後の人生を息子の視点を借りてイーストウッドは淡々と捉えていく。
映画的には無名の俳優が演じたり、頻繁なカットバックが利用されたりで、人物を捉えにくい。それでも、主人公3人の姿を丁寧に追っていくのには好感が持てた。


原作は主人公の一人、ジョン・"ドク"・ブラッドリーの息子ジェイムズ・ブラッドリー氏によるもの。彼が父親が語らなかった体験を、関係者にインタビューしたもので、映画もこれをトレースするものとなっている。特に、自分の置かれた立場を理解しつつも受け入れる事の出来ないアイラ・ヘイズの自滅にも近い半生に、深い同情を寄せている。


イーストウッドはかつて保守のヒーローだった。ダーディーハリーで名を馳せた彼が、以前に主演した「ハート・ブレイク・リッジ」は、ベテランの海兵隊軍曹を主人公に据え、(レーガン時代の)グレナダ侵攻を賛美した。
ダーティーハリー自体も、”法に守られた(ように見える)悪党”を裁く、”汚れ仕事(ダーティー)”のハリーである。これは、リベラル派に対するアンチテーゼだろう*1
アカデミー賞を取った「許されざる者」も、実は銃規制に対する批判だ。町の中で銃を持ち歩くことはならない、として町を支配するジーン・ハックマン演じる保安官はクリントン政権のメタファであり、批判されているのはクリントン政権が掲げていた銃規制法、ブレイディー法である。
もっと露骨だったのが「目撃」。大統領が人妻と密会を楽しみ、うっかりと彼女を殺してしまう、それをたまたま目撃したイーストウッド演ずる泥棒は・・・という筋だが、明らかに、ジッパーゲート事件を皮肉ったものだろう。大統領は御丁寧にハックマンである。


そんなイーストウッドの作品が、段々に変わってくる。どのあたりからだろうか。「ミスティックリバー」や「ミリオンダラーベイビー」などでは、すっかり保守的なイメージが無くなっている。イーストウッドが変わったのか、アメリカがイーストウッド以上に保守化したのかどちらかはわからないが。


イーストウッドイラク戦争への批判としてこの作品を構想したという。「戦争の英雄」を解体し、その素顔を浮き彫りにする。そして、英雄を作る者をあぶり出すのだ。誰が英雄を必要とするのか。何のために英雄を求めるのか。
彼は、それを敵側にも適用した。「父親達の星条旗」中では、単なる「敵」、それも残忍で狡猾で恐るべき「敵」。それを二部作として「硫黄島からの手紙」によって「敵」を解体する。
戦争に英雄はいないし、英雄的行動は英雄となるべく行ったものではない。そして、敵も単に敵ではなく、自分たちと同じ存在である。それを二部作で示そうとしているのだ。


そうして見ていくと、二部作目の「硫黄島からの手紙」にも期待は出来る。だが、日本における宣伝はおかしな具合だ。イーストウッドが解体して見せた英雄、それを「硫黄島からの手紙」に見いだそうとしている。

5日で落ちるとされた硫黄島戦を、長期に及ぶ死闘へと変貌させた日本軍。この時代に異彩を放ったアメリカ帰りの指揮官、栗林中将のもと、寄せ集めといわれた硫黄島日本兵は、最後までどう生き、どう戦ったのか?


という、日本国内での宣伝文がそれを物語っている。英雄を否定して見せた映画で、英雄賛美の宣伝を行うおかしさに気づいている様子もない。誰が栗林忠道を英雄とするのか。これについて、項を改めたい。

*1:一作目のスコーピオンは、当時サンフランシスコを震撼させたゾディアックと、シャロン・テートを殺害したチャールズ・マンソン、女性ばかりをレイプして殺すテッド・バンディをイメージしたキャラと思われる。ゾディアックは未逮捕。マンソンも死刑にはならなかった。