シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

硫黄島と栗林忠道とサトウキビ畑 「硫黄島からの手紙」雑感

前項で、誰が栗林忠道を英雄とするのか、と述べた。

父親たちの星条旗
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20061204#1165221606


最近、書店に行くと硫黄島栗林忠道関連の書籍が平積みされている。どれも栗林を名将として褒めそやしているものがほとんどだ*1。おそらくは、イーストウッドが映画で取り上げたことが切っ掛けになっている事は間違いない。では、栗林忠道はどういう存在なのだろうか。


第二次世界大戦において、日米はその主戦場を太平洋においた。太平洋の島々を奪い合う戦いとなったのだが、これは日本側の意図する「艦隊決戦による即決」とは大きく異なった。初期には日本側が太平洋の広範囲に渡り島々を占領した。アメリカ側はこれを奪回する形で反撃に出た。上陸戦と防衛戦、その始まりはガダルカナル島だったが、日本軍の悲惨な敗北となった。アッツ、ニューギニア、フィリピン、サイパン、etc。結局、硫黄島に至るまで、この流れは変わらなかった。
日本本土を指呼に望む硫黄島は戦略上の要衝であり、その防衛を委ねられた司令官、栗林はそれまでと異なる戦法を選択する。
敵の上陸を阻止するのではなく、上陸した敵を内陸に引きづりこんで叩く戦法である。島の至る処に地下壕とトンネルを掘り、巧みに機関銃座と砲座を隠し、物陰や穴から敵兵を狙い撃つ。僅かな期間で占領できると考えた米軍は、今までに無い損害を出すことになった。アメリカ側の死傷者数は2万人以上に及び、日本側のそれを上回ったという。
この点だけ取れば、確かに栗林は名将である。だが、守備隊の兵士にとってはどうだっただろうか。それに答えるのが、NHKスペシャル硫黄島玉砕戦〜生還者61年目の証言〜」である。


栗林は、それまで日本軍のお家芸である「突撃」を禁じた。一見理にかなっているのだが、武器弾薬や食料の補給もなく、援護が来るわけでも無い状況で、亜硫酸ガスや硫化水素の漂う、熱く狭い地下壕内に立て籠もり闘い続ける事を命じられる兵士は堪ったものではない。降伏は禁じられており、苦しさを逃れるために突撃で「一思いに散る」事も出来ないのだから、いたずらに苦しむ時を延ばすだけだった。死ぬことも出来ず、闘い続け、かといって救いがあるわけではない。敵は強勢を増す一方で、自分たちは衰える一方なのだから。これは、まさに地獄だ。餓鬼道か修羅道と云ってもいい。


一ヶ月あまりで組織的抵抗は終わりを告げる。しかし、栗林の言葉に呪縛された兵士達はちりぢりになりながらも、地獄のような戦いを続ける事になる。米軍の捜索を逃れるために仲間達の屍体の下へ隠れた兵士もいたという。


硫黄島玉砕戦〜生還者61年目の証言〜」では、生き残りの兵士へのインタビューを行っているが、彼らは当時の仲間の末路に絶句する。溢れ出た感情に胸を突かれて言葉にならないのだ。地獄を生き延びた彼らに生還の喜びはない。仲間を置き去りにしてしまった、自分だけが生き残ってしまった負い目が、彼らを呪縛する。その姿は、そう、「父親たちの星条旗」のアイラと同じだ。


栗林の戦術は、その後新たな悲劇を生むことになる。


1945年4月1日、沖縄本島に米軍が上陸した。アメリカ側は強力な抵抗を予想していたが、抵抗は皆無で、アメリカ軍はすんなり上陸に成功する。アメリカ側では「love day」と呼ぶほどだった。だが、沖縄守備隊は硫黄島と同じく、内陸へ引きづりこんで抵抗に出た。アメリカ軍の反撃に遭い、日本軍は沖縄南西部へ逃れていくことになる。そこでは、硫黄島と異なり、沖縄の住民達も伴っていた。沖縄住民の悲劇をここで語るのはよそう。言葉が足りない。そして幾らでも知る術はある。いずれにせよ、守備隊は全滅、住民を含め20万近い犠牲者を出した。


この後、アメリカは九州上陸作戦や本州上陸作戦を立案するが、自軍の甚大な被害を予想している。日本側も、内陸に引き込み一般住民までも駆り立てて反撃しようと目論んでいた。
九州南部には当時造られた塹壕、地下壕が残っている。天皇や戦争指導者らも日本の中央部、松代大本営へ移り、戦争を継続する予定だった。沖縄戦のような状況がもたらされたらどうなっただろうか。おそらくは、数百万単位の犠牲者が出ただろう。


日本全体が、巨大な硫黄島となる直前だった。


結局、自軍兵士の損害を怖れたアメリカ軍は、日本の降伏を促すために原爆を投下する。
アメリカ側が、原爆を「自軍の兵士の損耗を防いだ」「戦争を終わらせるのに効果があった」と評価するのは、これが理由である。


栗林忠道は優れた戦術家だった。彼は一人のよき夫であり、父親だった。だが、英雄ではない。彼を英雄視するのは、硫黄島の兵士達や、沖縄住民、原爆犠牲者を蔑ろにすることになる。戦争に英雄はいない。英雄は誰かが創り出すのだ。それは戦争の悲惨さを、理不尽さを覆い隠すためである。


戦争に英雄を見いだそうとする愚、それこそまさに「平和ボケ」だ。

さとうきび畑

さとうきび畑


太平洋戦争 日本の敗因6 外交なき戦争の終末 (角川文庫)

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*1:例外的に、バロン西に焦点を当てたものがあったが、城山三郎だった。やっぱりね。