シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

遺伝子組み換え作物(GM)

以前に書いた原稿を今頃になってエントリー。

(前略)EU欧州連合)は98年から遺伝子組み換え作物の新たな承認を停止してきた(モラトリアム)が、2004年に承認を再開した。また、米国やカナダが2003年、「EUのモラトリアムは保護貿易主義に基づき、科学的根拠を欠いている」として、世界貿易機関WTO)に提訴した件についても、WTO紛争処理委員会が今年2月、「EUWTO協定に違反している」とする中間報告を出している。このため、今後EUでも栽培面積が増えていくだろう。
一方、日本をはじめ各国は、遺伝子組み換えによってβ-カロチンを強化したゴールデンライスなど栄養改変作物や医薬成分を産生する作物も開発中だ。これらに対しては「従来の実質的同等制の概念を適用した安全性評価は出来ない」という意見もある。今後、FAO/WHO(国連食糧農業機関/世界保健機関)合同食品規格委員会がその評価法を検討していくことになる。
松永和紀科学ジャーナリスト
ウソホント!? 環境の科学 遺伝子組み換え食品 「人体に影響がある」は本当か?
日経エコロジー 2006年8月号


上記のコラムは遺伝子組み換え作物GM)の毒性問題に触れたものだが、毒性問題については異論はない。だが、終わりの一文(上記引用)を見ると、松永氏はGMを肯定的に捉えている事が透かして窺える。この点に異論があるので、若干論考していきたい。


以前のエントリーで述べたとおり、GMの本当の問題点は”環境への影響”にある。一番多く利用されているGM作物は、除草剤耐性作物(大豆、菜種、トウモロコシ)であるが、これは、次のような理由で開発が進められ、栽培が奨励された。
大豆、菜種、トウモロコシなどの作付では、大きな問題が除草である。モンサントによって開発されたGM作物は、除草剤に対し強い耐性がある。このため、作付初期に大量の、普通の作物では耐えられないほどの除草剤を散布し、雑草を完全に枯らしてしまうのだ。除草剤の効果が無くなり雑草が再び進出できる頃には、競争に打ち勝てるほど作物が成長し、雑草の害を受けずに済む。このために、トータルの除草剤はあまり播かずに済む、というのがモンサント社の説明であった。
大豆、菜種、トウモロコシの作付面積は、農業大国と呼ばれる国々では日本の農業とは比較にならないほどに大きく、大規模農家によるモノカルチャー状態で行うのが普通である。これが、アメリカやカナダなどでGM作物が栽培面積を増やしている理由だ。農家は自分自身では農業に係わらない。彼らは農業経営者、であり、実際の農業は農場労働者の仕事である。
省力化のために機械化される農業では実際の農場がどのような状態か考える事はない。ただ、多くの収益を上げられるかどうかだけが問題だからだ。実際に大規模農業は深度地下水の枯渇、土地の荒廃、小規模農家の衰退を招く結果となった。


そうした状況を改善するとの触れ込みのGM作物は役立っているのだろうか?実は大して役に立っていない。なぜなら、雑草が少しでも生き残れば、それは耐性をすぐに獲得する。病害虫も同じだ。栽培当初は効果のあった除草剤や農薬の集中使用もすぐに量を増さねばならなくなる。このへんは病院における抗生物質使用と同じである。また、除草剤は地中の微生物も絶滅させるし、農薬は他の多くの虫を殺し、バランスを破壊する。地中の生物バランスを欠くと病虫害に遭いやすいし、化学肥料を大量に利用しなくては養分を作物に供給することが出来なくなる。結局、肥料も農薬も大量に購入しなくてはならない。もちろん、利用する肥料、農薬*1も開発元がガッチリ押さえている。GM作物は一代限りの特質で、特許保護されているために、農家は作付のたびに企業から種子を買わなくてはならない。GM開発企業は同時に穀物メジャーとも繋がりがあるコングロマリットなのだ。
結局のところ、GM作物とは寡占的多国籍企業がガッチリと支配を強化するための道具でしかない。大規模農業経営者にとっては収益が出ればよい。彼らは農場の環境にも、農場労働者にも興味がない。おそらく農業自体も興味がないだろう。徹底的に収奪された農地は持続的農業とはほど遠く、大量の化学肥料と農薬を注ぎ込まなくては農業が不可能になっている。つまり、安価な化石燃料が尽きればそれまでである。


実は、すでに同じような事が過去にあった。「緑の革命」と呼ばれる、穀物メジャーによる様々な作物品種改良は「収量を増やす」と謳われ、世界各地で栽培が奨励されたが、大量の水や化学肥料が必要となり、耕地を荒地にしてしまう結果となった。同じ企業による二度目の「緑の革命」がGM作物なのだ。


これらの問題を端的に物語るのが、カナダの農家がモンサント社に訴えられた事件である。


カナダ農家、モンサントに破れる
http://hideyukihirakawa.com/blog/archives/200405/240318.php


このような問題がGMには存在している。単に毒性の問題が稚拙な形で出てきたからといって、それを否定すればGMにお墨付きが出るわけではない。
だが、松永氏はそれをあまり気にしている様子もない。氏のblogを見るとその理由が判る気がする。氏は様々な形で取材を行っているようだが、取材先は常に企業であり、本人にその意図が無くても、企業サイドの意見を垂れ流すようになる。このような取材姿勢には先例がある。


かつて、朝日新聞の記者、大熊由紀子氏は原子力産業に関する丹念な取材を行い、新聞連載の後、単行本にまでなった。


核燃料 : 探査から廃棄物処理まで 大熊由紀子 朝日新聞社 1977.2


大熊記者が取材したのは、そのほとんどが電力会社や行政関連であった。そのためか、際だって原子力業界擁護の記事になっている。つまり、批判や疑問を彼女が取材することは無かったのだ。
自分はチェルノブイリ原発事故以後に原子力に関する書籍を読みあさったが、原発で実際に働く人を取材した「原発ジプシー」や、同じ朝日新聞原子力発電所建設を巡り地域が混乱していくさまを描いた「原発が来た、そして今」と比較して、その屈託のない原子力肯定というか原子力楽観論を唱える大熊氏に強い違和感を抱いたものだ。原子力がいかに安全で優れているかという主張が載せられた本が出版された二年後にスリーマイル島原子力発電所事故が起きた。


スリーマイル島原子力発電所事故
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AB%E5%B3%B6


原子力GMにはよく似た特徴がある。それは、一旦行えば取り返しの付かない汚染を招く可能性があるということだ。事故に限らずばらまかれた放射性物質や生物は手の施しようがない。


卑近な例で説明してみる。
ブラックバスという魚がいる。泥臭いなどという意見もあるが、ホイルにくるんで焼くと実に美味い。もちろん、毒などない。
だが、毒がないからといって、近くの池や川、湖に放流して良いわけではない。他の魚や水棲動植物を含めた環境を攪乱してしまうからだ。
だが、ブラックバスの危険性を清水国明糸井重里、またはshimanoリョービなどのメーカー広報だけに取材しても、彼らはブラックバスの問題点について触れることは絶対にない。そのような主張を鵜呑みにして、ブラックバスを放流するような真似をすれば、長期にわたってその生態系にダメージを与える事になる。


GM問題は単純な毒性問題ではない。今後の社会構造を含む大規模な環境問題である。
しかも、GMは既に時代遅れという話も出ている。MASと呼ばれるその技術について、近々エントリーする予定。


大規模農業の問題について、的確に述べてくださってる関さんのblogにTB。
なぜ小規模自作農家を守らねばならないのか?
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/9fbec824049cce3a093b9777a55da2d5


追記:写真はパーマカルチャの講習で伺った足立グリーンプロジェクト。
http://www.greenproject.net/

*1:作物が耐性を持つのは、モンサントラウンドアップのように、開発元の製品だけである