シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

日本の外交は国民に何を隠しているか 逆説の日本外交史

もともとは、パペッティア通信の書評で知って買ったのだが、積ん読状態だった。年末年始にかけて読了し、そのあまりの内容に慄然としたのでエントリー。
内容については春秋子さんのところでもid:Apemanさんのところ(本館)でも、優れた書評が読めるので、直接内容に触れない。自分が気に掛かっているのは、憲法がらみの事である。


川辺一郎 『日本の外交は国民に何を隠しているのか』 集英社新書 (パペッティア通信)
http://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200605050000/


美しい国の美しくない外交(Apes! Not Monkeys!)
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1725828807/E20070112002834/index.html


先日、安倍晋三が「立党の精神に立ち返って憲法改正に取り組む」と述べた。


安倍首相、憲法改正訴え・自民党党大会
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070117NT000Y53317012007.html


まあ、この点の認識はある意味正しくて、自民党中枢部は結党以来、何かにつけて「憲法改正」を叫んでいる。だから、「立党の精神に立ち返って」というのは、自民党らしいといえばらしいのだ。


政治家・官僚の発言(参考:日の出講芸)
http://www31.ocn.ne.jp/~hinode_kogei/


で、大体において「憲法改正」の拠り所となるのが、「(9条の不戦に関するくだりは)現実味がない」、または「時代に合わない」である*1


もともと、憲法が「理想的で」「現実味に乏しい」事が、憲法改正の理由になるかは本来疑問だ。
憲法は国民が政府等の権力側に対する契約、いわば約款であり、この方向でやっていこう、という枷である。だから理想的な目標を掲げるのは当然。理想とは詰まるところ、明日の現実でしかない。現在の現実に立脚するのは肯定されるべきだが、未来にまで現実からの脱却を考えないのでは進歩は無い。社会にしろ科学にしろ理想を現実化することで今があるわけで、理想を掲げる事に問題があるとは云えない。これは、科学者にとっては当然のことであって、理想でしかないことを如何に実現するか、が醍醐味な訳だ。理想は理想が故に否定されるのではなく、理想を現実化するための筋道を立てないことが否定されるのだ。いわば、目標の問題ではなく、過程の問題である。


であれば、憲法が理想的だから変えてしまおう、というのは、まずおかしいわけだが、それでもなお、「改正したい」のであれば、「国民の皆さん、我々はさんざん、非軍事面で努力してきました。しかしながら、非才の身ゆえ、軍事的手段を完全に欠く状態で安全保障を維持することはできません。憲法を変える訳にはいきませんか。」と、(下手に)問うのが本来であるはずだ。


だが、『日本の外交は国民に何を隠しているのか』を読む限り、日本政府は非軍事面での、つまり外交的各種の努力を積極的に果たしてきたとは到底言い難い。
というより、むしろ外交的努力を積極的に「スポイルしてきた」としか、云いようがないのだ。しかも、それを対外的と国内向けで分けて宣伝してきた。これは、明らかに国民に対する背信行為なのだが、大手マスコミもそれを取り上げようとはしていない。
憲法改正が間近に迫った今、日本は本当に現憲法に見合った外交的努力をおこなったか検証が必要ではないだろうか。その情報無しに憲法を改正する愚は避けたいものだ。


もう一つ、気になった点。それは「イラク戦争」に関するくだりだ。
日本は現在もイラク侵略に荷担しているわけだが、当事者意識が薄いのは以前も取り上げたとおり。


教育基本法改正及び・・・
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20061122#1164186450


主犯であるブッシュは現在死に体状態に追い込まれているが、その報道はどこか他人事だ。
しかも、日本がイラク戦争を支持した理由は極めて利己的なものであった。一応、政府は「イラク(旧フセイン政権)が、大量破壊兵器を隠し持っていた」と主張し、それを支持してきたわけだが、それが全てガセネタであったと判った現在も底の割れた言い訳を繰り返すのは、その欺瞞を突き上げる動きが日本国民から上がってこないことが理由である。
つまり、「イラク(旧フセイン政権)が、大量破壊兵器を隠し持っていた」などというのは「建前」に過ぎず、「日米同盟を維持するにはアメリカに協力するほか無い」「石油の安定確保に必要」とか、「北朝鮮に対抗するにはアメリカのご機嫌を取るしかない」とかいう、あまりに利己的理由が「本音」として、政府関係者や有識者(と称する人々)から挙がってきた事が大きいだろう。「建前」の問題を取り沙汰しても仕方がない、そういう事では無いかと思う。


だが、本来であればそんな「本音」は逆説として語られるべき言葉だったはずだ。世界中でブッシュ政権の独善性が問題になっている時に、それを揶揄する形としてあったはずの言葉が、逆説としてではなく、順接に、つまり「本音」としてそのまま通用してしまった。国民も納得してしまったのだ。
一面で「国家には利己的な理由で行動することがある」事に真実やメリットがある事は認められても、それはあくまでも「隠れた」存在であったはずだ。それを剥き出しにしてしまったのでは、逆に他国に「利己的に」振る舞われても異議を唱える事が出来なくなる。むしろ、国家的イメージを損ない、リスクを増やすだけのように思われるのだ。
この、「本音」を隠さず押し出してしまう態度は、以前述べた太田光水道橋博士大塚英志の言葉に通ずるものがあるのではないだろうか。

てれびのスキマ - 太田光が青臭い正論を吐く理由
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20061228#1167292234


日本の外交は国民に何を隠しているのか (集英社新書)

日本の外交は国民に何を隠しているのか (集英社新書)



追記:写真は駿府公園お堀の白鳥夫妻

*1:時代が大きく変化して、冷戦も終結したのに、このくだりだけは変わらないのでは、どんな時代なら合うというのだろうか