シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

自滅する地方都市4 街づくり像

前回までのエントリーで、現在の「地方都市」の抱える問題とその問題の行き着く先について述べました。で、どうするか?自分なりの結論が「コンパクトシティ」でした。現在でこそ「コンパクトシティ」は取り上げられる事も多くなりましたし、用語自体の意味も知られるようになってきています。しかし、自分が地方の問題を考えるようになった頃は用語も知りませんでした。しかし、公共交通問題、中心市街(商店街)空洞化問題、財政問題、高齢化問題、環境問題、etc、を考えた場合に「こうしなければやっていけないのではないか?」と思い至ったのが


・人口の再集中を図る
・自家用車の利用に頼らない


であり、「コンパクトシティ」の概念そのものでした。コンパクトシティは地方都市将来像の論理的帰結と言えるのかもしれません。ここに自分なりのコンパクトシティ像を述べていきましょう。


既に述べましたが、「都市」としてインフラ整備が有効に働くのは、1平方kmあたり2万人(1haあたり200人)以上と考えています。これを基準として人口を再集中させる事が「コンパクトシティ」としてやっていく条件です。
モデルとする都市の人口は10万人を考えます。人口の8割までを市中心に前述の人口密度で再集中させると、4平方km範囲に収まります。つまり市中心から1km強圏内です。びっくりするほどコンパクトな街になりますが、居住環境は狭苦しくなるのでしょうか。


試案では一人当たりの占有面積は50平方m(15坪強)になります。もちろん、この面積は都市部の面積を単純に人数割りしただけです。ここから公共用地や公共施設分、企業分、道路、など非居住面積を除かなくてはなりません。居住面積がどの程度になるかに関しては議論の余地がありますが、ここでは5割が居住面積とします。アレクサンダーの「パタン・ランゲージ」では、都市部の3割を自動車用(道路や駐車場など)にあてると都市としての機能を損なう、そうですが、試案での「都市部」は自動車の利用を極力減らす事を考えていますから、居住面積が5割というのは、妥当性があると考えます。
居住面積が5割だと、一人当たりの占有面積は25平方m(7.6坪)となります。必ずしも狭いとは云えませんが、広々しているとも言い難い面積です。
しかし、都市であるなら高層化は重要な考慮対象です。ここでは平均容積率を400%で考えます。つまり、平均として建築は4階建てということです。これは、これ以上の高さはコスト的にも環境的にもあまり有効とは考えられない事が理由です。もちろん、それ以上の高さの建物もあるでしょうが、逆に平屋を通す建物もあり得るでしょう。あくまでも全体で平均化した場合が4階建てに相当する、という事です。
その場合、一人当たりの占有面積は100平方m(30坪)、夫婦者なら200平方m(60坪)になります。都市化をはかったとしても、決して狭苦しいものにはならないことがわかるでしょう。居住面積が3割としても、一人当たりは60平方m(18坪)です。これらは、アパートともマンションとも異なる形態で、それに該当する適当な言葉がありませんが、強いて云うなら「積層型コレクティブハウス」でしょうか。一戸建てに拘らなければ、充分にゆとりのある居住面積を確保した都市生活が地方では可能になるのです。逆に東京のような大都市ではもっと高層化をすすめなければコスト的にも難しいでしょう。


この都市では都市内の最遠距離でも2km以内になります。自家用車を利用する事は、有効でも快適でもありません。公共交通機関(バス、タクシー、LRT)でも自転車でも徒歩でも充分です。道路も片側2車線の幅広道路などは必要ありません。つまり、年少者、高齢者の交通安全問題にも有効です。必ずしも厚労省の「メタボリックシンドローム」騒ぎを肯定的に見ているわけではありませんが、それでも地方在住者の運動不足解消に役立つ事は間違いありません。都市部の人よりも、地方在住者の方が運動が足りない事は、比較的知られています。
必要なインフラも「郊外化した市」よりも遙かに少なくて済みます。公共施設(市役所、図書館、病院、駅、etc)もアクセスが容易になります。設備の利用稼働率が高くなる事は言うまでもありません。


商店街問題にも触れましょう。この都市内で年売り上げ約1億円の商店を設定してみます。現在の基準で言えば充分に大きな商店といえるでしょう。一日の売り上げが30万、平均客単価1000円として300人弱が普段利用する商店となります。こうした店が都市全域にあるとすれば、各商店の利用最遠距離は約130m。買い物は歩いて行くのが当然といえる街が可能なのです。都市内全域に均一に散らばる事は考えにくいですが、都市内に商店街を設定しても、利用しやすい状況にするのが可能だ、という事は理解して貰えると思います。


公共交通問題、中心市街(商店街)空洞化問題、財政問題、高齢化問題、環境問題がコンパクトシティ化で対応できることが判って貰えるでしょうか。


この考えは絵空事、と思えるでしょうか?ですが、以下のような話があるのです。

温暖化防止の街作り
公共交通整備のススメ 環境省検討会 富山市の例紹介
自動車依存と郊外化が進んだ地方都市ほど環境への負荷が高い−。政府の今年度の環境白書はこんな傾向を分析、「省CO2(二酸化炭素)」による温暖化防止の街づくりを盛り込んだ。環境省は街づくりの検討会も立ち上げ,19日には地域交通再編をCO2削減にも役立てようとしている富山市の試みが発表された。省CO2の街づくりのポイントは公共交通整備にありそうだ。
検討会では森雅志富山市長が、4月末に開業した次世代型路面電車LRT)「富山ライトレール」を紹介した。同市の運輸旅客部門の1人あたりCO2排出量は1.13トンで、県庁所在地ワースト10位。背景にあるのは計画に対する整備率が71.7%と都道府県で1位(04年度)という富山市の道路網で、世帯当たりの自動車保有も1.73台で同2位(05年度)だ。同市は少しでも車を減らそうとLRTを導入。試算では車から移行するのは1日640人とわずかだが、CO2削減量は年324トンと見込む。同省によると、1人当たりの道路面積が広いほどCO2排出量は増える=図。一方、中心市街地の人口密度と排出量はほぼ反比例する。道路を造れば都市は郊外化し、自動車中心になる構造だ。
その例として同省は、自動車中心の前橋市(人口約28万4千人)と鉄道が主役の奈良市(36万6千人)を比較。1人を1キロ運ぶのに自動車は鉄道の約9倍のCO2排出量があるとされ、猟師の運輸・旅客部門の排出量は、約8万人少ない前橋市が1.22トンで奈良市(0.65トン)の約2倍だ。両市内で営業している鉄道網は、ともに30キロ前後。ところが、1人あたりの道路面積は前橋市が46.2平方メートル。00年調査では、市外からの通勤・通学者約7万人のうち78%が自動車利用だった。これに対し、戦災を免れ戦後は開発を規制した奈良市の1人あたりの道路面積は29.7平方メートルで前橋市の約3分の2。市外から通勤・通学する約6万4千人の鉄道利用が53%、自動車は35%だ。環境省は「道路と公共交通機関を組み合わせ、市街地の拡大を抑えることが省CO2の街づくりに重要だ」としている。(2006 6/20 朝日新聞朝刊より引用)


奈良市は数少ない「悪循環の罠」に嵌らなかった「コンパクトシティ」なのです。
また、コンパクトシティの考え自体は決して新しいものではありません。以下は、静岡新聞のコラムの一つです。

都市を設計する理論 武藤清(日銀静岡支店長)
経済の首都圏などへの集中に伴い、多くの地域で中心市街地の空洞化などの衰退現象が問題となっている。静岡県は、景気の面でも市街地の活気という面でも全国的には高いレベルにあると思われるが、それでも地域経済の活性化が大きな課題である事は論を待たない。
この課題を解決するためには、国レベルでの地方分権の推進や地方レベルでの産業の振興、観光などの人口交流の活発化といった取り組みが当然必要である。その際は、地域の多くの人々が暮らす都市部をどのような理念で再設計し、より暮らしやすいものに活性化させていくかという視点が重要ではないかと思う。
都市の設計という課題を考える上で示唆に富むと思われるのが、米国の都市学者ジェーン・ジェイコブスの理論である。彼女は1961年、それまで都市計画の「理想」とされていた高層ビルと直線的な自動車道路を主体とする近代的な都市イメージに異を唱え、都市再生のための四つの原則を提唱した。
第一に、都市の各地区は二つ以上の機能を持つべきである。住宅地区、商業地区のように各地区に単一の機能を持たせるゾーニングは人の往来を偏らせ、治安上も良くない。第二に、長く広い道路は人の往来を分断するので、小さな街路が何本も交差し、街角を曲がる機会が多い方が良い。第三に、なるべく古い建物を残し、活用するべきである。新しいビルは減価償却費がかさみ、高額の家賃を払えない若手事業者などは入居できなくなるからである。そして第四に、各地区の人口密度は充分に高くなければならない。
ジェイコブズの理論は、70年代以降、各国の都市作りの新たな指針と位置づけられるようになってきている。静岡県でも、合併などを契機に都市作りの議論が改めて高まっているが、その一つの参考になるのではなかろうか。
(窓辺 3/17 静岡新聞夕刊)


ジェーン・ジェイコブスについては「アメリカ大都市の死と生」で以前少しだけ触れました。日銀支店長がこのような意見を表明する事に驚きましたが、静岡では現市長はジェイコブスの考えとはまるで正反対の政策を推し進めています。静岡新聞は現政策を支持しているにも関わらず、ジェイコブスについてのコラムを載せてしまう、という真似をしています。静岡新聞編集者がまるで考えていない証拠です。
話を戻しますと、ジェイコブスの理論は、それ以前の「都市理論」をまるでひっくり返しました。そのインパクトは大きく、ヨーロッパなどの都市再生にはその理論が応用されています。名だたる環境都市ミュンスターストラスブール、フライブルグ、ロンドン、ブラジルのクリチバなど、現在では当然のように盛り込まれる考えなのです。
ちなみに、「アメリカ大都市の死と生」の翻訳(監修)は、あの”黒川紀章”氏です。氏の唱える「東京再生」に魅力がある、と考えるなら、そのバックボーンにジェイコブスがある事を承知しておいて損は無いでしょう。


このような人口再集中をどうやっておこなったらいいのか?という点からの批判はあるでしょう。
強制的な移動を行うとか、無理矢理な建て替えを図るとかは実現不可能です。ですが、ビジョンを示し、積極的にコミットすれば再集中の方向性は打ち出せます。それこそが重要な点であり、なによりこのコンパクトシティを皆が魅力的だと感じて貰えるかが大事な点でしょう。
皆さんはどうお考えでしょうか。


どのようにして人口再集中を行うかについての私案は次のエントリーに述べます。


参考文献
・compact city
http://www.thr.mlit.go.jp/compact-city/index.html


・「アメリカ大都市の死と生」ジェーン・ジェイコブス

アメリカ大都市の死と生 (1977年) (SD選書〈118〉)

アメリカ大都市の死と生 (1977年) (SD選書〈118〉)



・「パタン・ランゲージ」クリストファー・アレグザンダー

パタン・ランゲージ―環境設計の手引

パタン・ランゲージ―環境設計の手引



追記:写真はネコ様