シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

努力は報われるか?

「自分は努力したから、お前達も努力すべきだ」的思考
http://d.hatena.ne.jp/opemu/20070503


id:opemuさんの言うことはよく判ります。うちでも同じですよ。

最近、面倒を見るために、母と同居するようになったのですが、母もインリンと似た様なことを言うんですよね。母も苦労人で、僕の父が早死にしたので、安月給の清掃業に従事しながら子供3人を育ててくれたのですが、その母も「努力すれば報われる」ということをよく言います。それで、ニートやホームレスの人達には非常に厳しい。理由を聞くと「私は頑張ったから、それなりに何とかなった。彼達がそういう状況なのは、そうなるだけの理由があるからだ。」と。

自分の母も、小さい頃に父親を亡くし、祖母を助けてやってきた事もあってか、貧しい立場の人々には冷淡です。こういう感情というのは普遍的にあるんでしょうね。
イギリスのサッチャーが貧しい労働階級出身だったのは比較的良く知られてますよね。彼女も同じ論理でサッチャリズムを推し進めたわけです。


自分も非常勤が長かったんで、こういう思考をしても不思議では無いんですが、そうならなかったのには理由があります。
ズバリいえば、自分より遙かに優秀な仲間(院生)が就職できなかったのを見ているからです。同じ立場にあったのに、自分は職を得ることに成功し、仲間は職を得られなかった。これは努力の差によるものでは無い、と自分は知っています。偶然というか運だったのでしょう。
今でも後ろめたさを感じています。だから、逆にニートやホームレスに対して、突き放して考える事が出来ないのです。運が無ければ自分もなっていただろう、と考えるから。
自分にとっては「博士が100人いる村」は他人事では無かったのです。


博士が100人いる村
http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/


努力を重ねて今の地位を獲得した人々が個人の努力に帰着させる事は、とりわけ芸能界では見られます。でも、努力しても必ずしも地位を獲得できるわけでは無いことは、彼等自身が一番知っていると思うのですが。
むしろ成功した事をもって努力の証としているのでしょうかね。