シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

ネルソンさん。あなたは人を殺しましたか?

「かわいそうなミスター・ネルソン」
女の子がそう言いました。彼女は、私のために泣いてくれているのです。
頭がじんとしびれたようになり、胸が大きく波打ち、突然に息がうまくできないようになりました。深呼吸をしようと、大きく息を吸い込み、そしてふるえながら息を吐きました。と、同時に、私の目から大粒の涙が幾粒も幾粒も頬を伝っていきました。涙は頬からあごへまわりこみ、ボタボタと落ちていくのがわかりました。
(略)
アパートにもどったわたしは、出かけたときの私とはちがっていました。
自分自身の事が、とてもよく見えるような気がしました。
何をすべきかもわかったような気がしました。
わたしが戦ったベトナム戦争を、悪夢として時間の牢屋の中に閉じ込めるのではなく、今もなお目の前でおきていることとして見つめなくてはならないのです。
悪夢に勝つためには、真実を語る必要があるのです。自分自身に対しても、そして他者に対しても。
「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 アレン・ネルソン 講談社

この間、Apemanさんのところで紹介された京極夏彦保阪正康の対談。

保阪 こんなこともありました。口ではいろんなことを言うけれども心のなかで、自らの実体験に傷ついている人がいるんです。口では「日本軍国主義、何もそんなひどいことしてねえ」とか言うんですよ。だけど、「あなたはそう言うけれども、やっぱり日本もとんでもないことをしたんじゃないですか」みたいに話してたら、そのうち「君にだけ話したい」と言って、日をあらためて来いという元軍人もいました。

京極 それはどんな方ですか。

保阪 戦後はある会社の社長さんです。行ったら、ポケットから数珠を出すわけね。そして、いつも電車のなかで四、五歳の子どもを見たらこれで手を合わせてるというんです。それで、孫を自分は抱けなかったというんです。なぜかといったら、やっぱり中国で三光作戦をやって四、五歳の子どもを殺した体験を持っていたんですよ。家に火をつけると子どもが逃げ出してくるでしょう。上官に「どうしますか」ときくと、「始末しろ」と言われたっていうんです。心のなかはガタガタになっているんです。だから、逆に強く出るんです。

京極 うーん。

保阪 自分は孫が抱けない、数珠を手放せない。社長さんですよ。「キミ、日本は悪くないんだ」なんて言ってるんだけれども、ちょっと裏返しになると本当にシューンとしちゃうんですね。彼は口ではまさに軍国主義的なことを言いますよ。だけど、そんな人間のうしろに贖罪意識が隠されている。やっぱりそういうことをきちっと、僕は次の世代として聞いておかなければと感じるんですね。

京極 個人個人では、ものすごく贖罪の意識があるんですね。自分も傷ついているわけですしね。でも、それが全体として、国家として贖罪したかっていうことになると、これはどうもはっきりしないうちに済んだことにされてる。結局、後始末が個人に押しつけられているんですね。

保阪 そうなんですよ。それでね、僕は医学システムの評論やレポートなんかも書くから医者からよく相談されるんですけど、八十代で死にそうなおじいさんがいるというんですよ。

京極 ほう。

保阪 四十代の医者が僕のところにきて、もう動けないはずの患者が、突如立ち上がって廊下を走り出すというんですよ。そして、訳わかんないことを言って、土下座してしきりにあやまるというんです。そういう人たちには共通のものがある。僕はこう言うんです。「どの部隊がどこにいって戦ったかというのを、だいたいは僕はわかるから、患者の家族に所属部隊を聞いてごらん」。みんな中国へ行ってますよ。医者はびっくりします。

京極 ひどいことをしてきたのをひた隠しにして生きて来られたんですね。

保阪 それを日本はまだ解決していない。

京極 戦後、個人におっかぶさったものってすごく大きいと思うんです。

保阪 そういう意味で、日本の社会はある種の二重構造をもっているという気がする。それに気づくと、昭和史を調べていてもしんどいですよ。僕はべつに恥部を暴くという意味でやるわけじゃないんですけど。そういう話を聞くことが多いんです。

(Apemanさんのところからの孫引用)

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070509/p1


これを読んで、真っ先に思い浮かんだのが冒頭の「ネルソンさん。あなたは人を殺しましたか」だった。
海兵隊の「人を殺せるようになる」教育の後、ベトナムに赴き、最前線で人を殺す、例外無しに。
その重い後遺症に悩む彼が、自分の罪と向き合う契機になるのが、少女の「あなたは人を殺しましたか」の言葉である。講談社の本には、その後の苦悶については事細かに触れられていないのだが、コミックスの方には、その後のPTSDが生々しく描かれている。結局、彼の「贖罪」は、子供の言葉だけで済むわけはなく、その後長期に渡るカウンセリングでようやく自分の行った「罪」を認め、その「罪」と正面から向き合う事で悪夢を克服できた。ネルソンさんは、その自分の罪と認めた後、しばらく涙が止まらなくなった事をインタビューで述べている。人を殺す事の重みはそれほどのものなのだろう。


グロスマンの「戦場における「人殺し」の心理学」では、いかに兵士に人を殺させる事のタブーを取り除くか、裏返せば、人を殺すことのタブーがいかに重いのか、提示しているが、海兵隊の過酷な訓練は、そのタブーを乗り越えさせるよう巧みにカリキュラムが練られているらしい。
このへんは、「フルメタル・ジャケット」のハートマン軍曹を念頭におけば、理解できるのではないだろうか。


軍曹語録
http://www.hcn.zaq.ne.jp/ganso/neta/sergeant01.htm


旧日本軍将兵にとっては、不幸なことにネルソン氏のような「自分の罪」と向き合う機会は持たせて貰えなかった。自分の裡に秘めて、その中でだけ葛藤する他はない。その精神的負担は想像するだに恐ろしいものだ。それが、僅かな隙間を求めて表へ出れば対談で語られるようなエピソードに繋がるのだろう。


旧軍の戦争犯罪について「中帰連」の証言といえば、「中共の洗脳者」みたいな扱いで、保守・右翼は取り合おうとしなかったし、左翼陣営も(証言に信頼がおけるかは別として)付け入れられる隙を作るまいと、取り上げることは少なかった。


季刊『中帰連』WEB
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/


しかし、彼等の言葉を読むに付け、ネルソン氏が経たような「自分の罪と向き合う」事を中帰連の方々が行ってきたことは否定し得ない。その点では、彼等は罪を個人の中に抱え込んだ人々よりも幸せなのかもしれない。


従軍経験のある方々を、呪縛から解き放つ手助けが国内で行う事は出来ないものだろうか。

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 (シリーズ・子どもたちの未来のために)

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 (シリーズ・子どもたちの未来のために)

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」「東京大空襲」 (KCデラックス)

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」「東京大空襲」 (KCデラックス)

戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫)

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フルメタル・ジャケット [DVD]

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