シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

恩讐の彼方に

どうにも見ているとやりきれなくなる話だ。


光母子殺害の遺族本村さん会見「議論に意味あるのか」
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_07052511.htm


被害者遺族の心情は、正確に理解することなどは出来ない。自分の想像など及びそうもない。
だから、遺族が極刑を望むとしても、それを否定するつもりなどはない。


だが、どうにも腑に落ちないのは、周囲、世間と言い換えてもいい、が遺族感情に便乗しているようにしか取れないところだ。
自分の乏しい知識の範囲では、近代刑法は私刑を禁じている。刑は更正や贖罪のための手段であったはずだ。どうみても、この裁判の成り行きは世間による総リンチ状態に見える。


被害者遺族の「死刑が執行されてからでないと、前に進めない」とか「死刑にならなかったら、私がこの手で殺す」という言葉を聞くと悲しくなる。
果たして、殺された母子は遺族が復讐心にはやるのを望んでいるだろうか。


真に必要なのは、遺族の復讐心に便乗して煽ることではなく、遺族が次に踏み出していける手助けをする事じゃないだろうか。


考えている事を巧くまとめられないが、的確に代弁してくれたbuyobuyoさんにトラックバック