シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

 「格差」の原子力 2

さて、前回のエントリーで、原子力には「都会−地方格差」で括られるような問題が存在する事を指摘した。実は、細かい話は抜きにしたのだが地方生活者ならピンとくるだろう。ピンとこなかったらアナタは恵まれているよ。


原子力原発の抱える問題を赤裸々に告発した話としては、平井憲夫氏の話がある。いろんな意味で有名だ。


原発がどんなものか知ってほしい 平井憲夫
http://genpatsu_shinsai.at.infoseek.co.jp/hirai/


興味深かったのは、この告発に対する反応だ。原発推進、というより反・反原発の立場に立つ連中が、しきりに平井氏の講演内容にケチを付けていた。
で、その中で反論サイトを取り上げているものも多かった。


Re:原発がどんなものか知ってほしい
http://user33.at.infoseek.co.jp/


驚いてしまうのは、実名と職業を名乗り、かつ自分が癌であることを告白し、命を賭して告発した平井さんを“電波”と斬って捨てている連中が、匿名のまま、その確証もないまま垂れ流した文章を“反論の根拠”として取り上げている事だ。
なぜ、この文章の真偽について検討しないのか。出来ないのか。

私はこれまで、平井氏の文章を数人の原子力産業界の知人に紹介し、反応を見てきました。
その一部を紹介します。なお、意見を下さったのは、原発職員(現場工事担当、官庁検査担当、当直運転員、元放射線管理員)、元研究者(専門は原子炉の安全性)等の「それなりに知識のある」方ばかりです。

このあたりで、この人物が何にもわかっていないことが判る。というのも、紹介された現場工事担当、官庁検査担当、当直運転員、放射線管理員など、「現場」の状況など何も知らないからである。


どういうことか?工事担当というのは大体が大手ゼネコンの担当者であり、実際の工事に関わっているような人物はいない。これは、大型公共工事などじゃお馴染みだが、JVで行われる工事に直接関わっているのは、下請け、孫請けの工事員だからである。
三年前にも浜岡で工事関係者の告発があったが、電力会社やマスコミはその指摘を無視した。

浜岡原発の告発続報!悪夢に心苦しむ
 静岡県御前崎市浜岡原子力発電所中部電力株式会社)を建設したコンクリート骨材(砂利、砂)の試験結果について、虚偽の報告を続けていたことを原子力安全・保安院内部告発した骨材会社の元従業員A氏(45)は30日、インターネット新聞『JanJan』の取材に対して、「阪神大震災の光景をみてから自分がやってきたことに心が苦しんでいた」と語った。

http://www.janjan.jp/area/0407/0407307429/1.php


電力会社や重電関連メーカー関係者が工事関係者とコミュニケーションを取っていたならば、このような指摘が今になって出されるはずもない。


当直運転員、放射線管理員(線管)は電力会社正社員がほとんどだが、実際に線量管理区域に入り、危険な部署で働くのは、やはり下請け、孫請け、場合によっては偽装請負された作業員である。つまり、平井さんが指摘したような部位については、まったく関知し得ない連中ばかりなのだ。官庁についてはいわずもがな。


そして、断言してしまうが、現在の原子力産業に原子力について広く洞察力を持っているような人物など皆無である。なぜ、そんなことが断言してしまえるか。実は、知人が何人か原子力関係で働いているからである。知人の何人かは正社員。残りは下請けだが、共通点がある。働くようになるまで原子力について何も知りも興味も持たなかったのだ。もちろん、原子力工学など学んではいない。電力会社の正社員教育では、原子力がいかに安全か、というような事ばかりをレクチャーする。彼らは、学生時代などを通じて原発についての知識を仕入れたり考えたりはしないために、その「安全神話」をそのまま信じ込んでしまうのだ。


その是非はともかくとして、批判的な意見も充分に取り込んだ上で検討するならともかく、原子力関係から垂れ流された「絶対安全」な教育だけ受けても、問題が生じれば「想定外」としか云えなくなるだろう。というか、云えなかったわけだが。
彼等が「想定外」とした事態のほとんどは、原子力反対派が繰り返し指摘してきた事だったのだから。


原子力に人材が集まらなくなった理由はほかでもない。先述したTMIやチェルノブイリが影響している。自分も含めた物理学を専攻した仲間は大体が原子力に批判的だった。物理学会会長を務めた池内了先生も原子力利用に対して批判的である。つまり、少なくともTMI、チェルノブイリを体験した世代以下では、目端の利くものほど原子力に対して懐疑的であり、原子力方面に好んで進む人間など皆無なのだ。実際、原子力研究を行う人材が枯渇している事が問題になっている。


原子力分野の人材育成について−文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/12/06122615.htm


原子力分野の人材育成について
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu2/shiryo/012/06052401/002.pdf


理系研究者にとって不人気な原子力業界。集まるのはごく少数の原子力シンパか、多数の原子力に対する知識さえ持ち得ない人材だけなのである。


そんな中で健全な批判意見など出ようも無いし、ただ盲目的な安全神話に踊らされる状況である。
原発事故が起きるたびに、「なぜ、こんな初歩的なミスばかり?」と考える人は少なくないだろうが、そんなミスが続くのは別におかしな事でも何でもないのだ。

>  「同意できるところも少しあるが、殆どは嘘ばかり」
>  「分野によっては素人同然の知識」
>  「読んでいて途中で馬鹿馬鹿しくなった」
>  「実は反対派も嘘が多い事は解っているはず。引っ込みがつかなくなっているのでは」
>  「放っておけばいいんですよ。(大笑)」

この部分は、そのまま原子力業界にお返し出来るだろう。最後のはダメか。


この反論文の著者も同じである。以下の部分を読んでほしい。

「原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。」

 ここで予備知識を一つ。

 火力発電所の運転蒸気圧力は246気圧。蒸気温度は538度。さらにタービン発電機の回転速度は原子力の2倍の3000回転です。

 原子力発電所は原子炉の核燃料を保護する為に、比較的低い圧力と温度で運転されているのです。だから熱効率が悪いという問題もあるのですが。

 というわけで「70気圧」でも確かに十分高いかも知れませんが、「ものすごい圧力」と言うのは言い過ぎじゃないでしょうか。火力の超超臨界圧ボイラーに笑われてしまいます(T_T)

 というわけで、原子力発電所の蒸気条件は実はそれほど過酷なモノでは無いんです。ただし、火力の過熱蒸気と違い、湿り蒸気が流れるのでタービンブレードなどは湿分対策が必要で、対処されています。

 また、確かにメンテナンスを怠れば配管の肉厚が薄くなる個所もあります。従って、メンテナンスも適宜行いますし、必要に応じて配管の交換も行います。私は部署も違うんで交換頻度の詳細は解らないですが、配管の交換は滅多にあるものでは無いはずです。間違っても毎年配管を交換するような個所はないですから誤解しないようにお願いしたいです。

実は、原発の一次冷却系の配管は火力発電所の配管などとは“まったく違う”。
何故か?「水素脆弱現象」があるからである。


原子力とは大雑把に言ってしまえば、核反応による放射線(と、その反跳による格子振動)により生じる熱を取り出すシステムだ。つまり、熱出力{発電出力が120万kwなら、標準で300万kw×時間が熱出力になる}*1のほとんどが放射線によって作り出される熱ということになる。で、熱だけでなく、その莫大な放射線によって冷却水より水素が生じる。放射線が水を分解、水素を作り出すことはよく知られており、それを「水素生産手段」として研究しているチームもあるくらいだ。


J-STORE(明細:水素製造方法)
http://jstore.jst.go.jp/cgi-bin/patent/search/pat/detail_pat.cgi?patid=4725&detail_id=4998


沸騰水型は当然、加水圧型のいずれも冷却水中には水素が発生する。この水素が問題なのだ。
水素は金属の結晶格子中に入り込んで金属をボロボロにする。被メッキ部材ではメッキ後に脱水素のための加熱処理を行うケースがあるし*2、水素によって金属結晶が崩壊するのは、水素吸蔵合金などではお馴染みだ。


もちろん、原子炉の冷却水配管には脱気バルブは設けられているし、水素を再反応によって取り除くよう冷却水に触媒を加えているかも知れない。配管も水素脆弱に耐性のある材料だろう。それでも水素の問題は原子炉配管には付きまとう問題なのである。この他にも原発の一次冷却水には中性子量調整のためにホウ素(ホウ酸)が混ぜられているし、冷却水成分は「火力発電所」とはまったく異なる。


水素脆弱の問題があったとしても必ずしも即危険というわけではない。しかし、水素吸蔵の可能性の無い火力発電所の条件と比較しようもない事は判るはずだ。
それを著者が得々と書いてしまうのは、彼が「水素脆弱」を知らないからだろうか。


水素脆弱は冶金学を学んだものなら知っている現象だ。放射線による水素発生は核物理か核化学ではよく知られている。つまり、全体を見通すよう学んできた者には原子炉の水素脆弱は思い至っても、電力会社なりの特異な教育を受けてきたものには思いもよらないのかもしれない。
平井さんの言うとおり「原発に職人はいない」のである。電力会社による特異な「安全神話」を信じ込んだ顛末なのだ。


彼の「反論文」は全部そんな感じだ。良く読んでみると、原子力−電力業界の主張を垂れ流しているような文章ばかり。新潟中越地震後に読んでみると苦笑してしまう文章も多い。この文章が平井さんに対する「反論」として通用する、と考えてしまうナイーブさに驚いてしまう*3


実際の原子炉は彼らのような、電力会社か重電関連会社*4の正社員ではなく、孫請け、請負で働くような「原発ジプシー」が動かしているのである。
だが、彼らの言葉は表へ出ることはめったにない。


君臨する「正社員」と、実務を行う日陰者の「請負労働者」。これは、まさに現在の「格差」の問題だ。


労働条件に関しても考えてみよう。放射線管理は原発労働で「体の外側」に放射性物質が付着した場合、を考慮している。「体の内側」に放射性物質、を取り込んだ場合は考慮外だ。
だが、実際には「体の内側」に放射性物質を取り込んだ場合、つまり「体内被曝」が大きな問題になる。なぜなら、実際の原発労働では安全規則が守られない事が常態化しているからだ。労働現場で、建前としての「安全基準」が守られないのは珍しいことではない。
例えば、焼津の食品加工業では冷凍魚の加工に金属鎖の手袋を着けて行うことが定められている。しかし、外国人労働者は“手袋をせず”に加工を行う事が普通に行われている。手袋を着けたままでは、加工のノルマをこなすことが出来ないからだ。そのために指を切断したりする怪我は珍しくはないが、外国人請負労働者は労災を受ける事が出来ないし、その事実が表へ漏れる事もほとんど無い*5

原発労働は安全?…被曝労働者、ご遺族の話

嶋橋伸之さんは29歳の時に慢性骨髄性白血病で亡くなりました。

彼は高校を卒業してから闘病生活に入るまでのおよそ9年間、静岡の浜岡原発で働いていました。仕事は定期点検の時に原発の中に入り、計測器類を点検整備する仕事をしていました。原子炉の中で動く計器類を実際に点検するわけなので、ものすごく放射能が強いため作業は一人10分から15分しかできない場合もあったということです。

けれども、原発が危険と思ってもいなかった両親は息子が原発で働き始めて9年後の89年、お父さんの定年退職を機に一緒に住もうと思い、浜岡に家を買います。この年の9月両親が引っ越していくと、息子が風のような症状で一人寝ていました。すぐに両親は病院に連れて行きますが、すでに彼は白血病だったそうです。(略)

http://blog.iwajilow.com/?eid=564946


安全神話の闇に葬られる原発被曝労働者
http://www.janjan.jp/living/0706/0705310440/1.php


建前と実態の乖離は、偽装請負労働の場では珍しくもない。原発はその典型例なのである。


労働者自体はどうか。現在、外国人労働者、研修制度を悪用した労働が問題になっているが、原発では早くから外国人労働者が活用されている。手配するのは、真っ当ではない「手配師」だ。つまり、暴力団(=ヤクザ)である。原発建設でも、原発運転でも、ヤクザ無しには進まない。原発は、そのイメージとは異なり「未来のエネルギー」などではなく、因襲や旧弊に支配された古くさい代物なのだ。


原発には明確な労働ヒエラルキーが存在する。
一番上には電力会社正社員。二番目は電力会社・重電の関連会社(子会社)社員。その下に子請け、孫請け会社社員がくる。子請け、孫請けでも、原発地域住民と季節労働者では差があるし、その下に、外国人労働者がくる。外国人労働者の事など誰も気に掛けやしない。日本の原発で働いた外国人労働者の運命を知るものはほとんどいない。


前回のエントリーの冒頭で、“奇妙に白茶けた建物”の事を取り上げた。旧浜岡に散在する「寮」にも差がある。電力会社社員は寮になど入らない。関連会社社員は、やや整った寮に入る。何もない田舎を一定期間辛抱して過ごす。彼等のなぐさめは150号ぞいの外国人パブだ。そこには窓も無く、昼間通りがかると廃墟のようにさえ見える。そして、「原発労働者」は「寮」に入る事も出来ない。


そのヒエラルキーの頂点である電力会社正社員や関連会社社員が、「原発は安全ですよ。健康にも何の害もありません」などと云ったら、外国人労働者はどう思うだろう。我々に問われているのは、ヒエラルキーの頂点の言葉に耳を傾ける事ではない。底辺を強いられた労働者の言葉を拾い上げることなのだ。


ついでに指摘したいことがある。
被曝線量基準の問題だ。もともと、被曝線量基準は実験などによって求める事は出来ない。それでは人体実験になってしまう。また、外部からの放射線照射と放射性物質微粒子などのよる「内部被曝」を一緒に考えることも出来ない。放射線強度も放射線源からの距離の逆二乗に比例するからだ。体内に取り込んだ場合、その影響を定量化することは困難である。
にも関わらず、原子力関係者は平然と「放射線量は問題ないレベルです。」
などと述べてしまう。
放射線ではなく放射性物質が放出されたなら、その被曝影響は単純に語ることなど出来ないはずなのに。


そして、不思議な事が起きる。
現在、広島・長崎原爆被爆者の原爆症認定基準で見直しが求められている。
TMIでも、チェルノブイリでも、ユタ州ネバダ州の核実験場近くでも、世界各地のウラン鉱山近郊でも、セラフィールド再処理工場近くでも、ラ・アーグ再処理工場でも、ハンフォードでも、チェリャビンスクでも、セミパラチンスクでも、各地の原子力発電所労働現場でも、イラク各地でも、旧ユーゴでも
「自分は放射線障害ではないのか?」
と問う声が上がっている。その多くは住民であり、労働者であり、弱い立場の人間だ。現在の基準では、彼らは被曝患者としては認められないケースが数多くある。普通に考えれば、もともと実験などで求めることの出来ない基準は、実態に合わせて見直されなければならないはずだ。
だが、実際には「仮の基準」であるはずの被曝線量基準を基に、「彼らが浴びたのは、影響が無いレベルの放射線でしかない。したがって、彼らの症状は放射線障害とは認められない」としてしまう。
そして、それをさらに活用して「今まで日本で原子力に関わって放射線障害で死んだ者はほとんどいない」とやってしまうのである*6。よく見ると、これはトートロジーだ。
被曝基準がおかしいのではないか?体内被曝を無視しているのではないか?その疑問は、しかし、直されることはない。
かくて、世界中でグレーゾーンに置かれ、苦しみ、死んでいく人たちが増えていく。


原子力発電施設等放射能業務従事者に係る疫学的調査に関する質問主意書
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a154061.htm


原子力は、その暴力的なまでの力と利権ゆえに、「格差構造」無しには成り立たない代物だ。
「地方vs都会」、「請負労働者vs電力会社正社員」、「発展途上国vs先進国」、etc。
その構造を維持するために、どれだけの巨費と権力が注ぎ込まれているのか。
フラットで、地域差・情報格差の少ない社会で、原子力が維持できるか考えてみるといい。


それだけではない。原子力は技術的にも既に的外れで古くさいのだ。その点を次回説明する。


原発 1973年~1995年―樋口健二写真集

原発 1973年~1995年―樋口健二写真集

闇に消される原発被曝者

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息子はなぜ白血病で死んだのか

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これが原発だ―カメラがとらえた被曝者 (岩波ジュニア新書)

これが原発だ―カメラがとらえた被曝者 (岩波ジュニア新書)

原発被曝日記 (講談社文庫)

原発被曝日記 (講談社文庫)

原発ジプシー

原発ジプシー

アトミック・カフェ DVD-BOX

アトミック・カフェ DVD-BOX

禁断の科学

禁断の科学

ヤバンな科学

ヤバンな科学

*1:原子力発電の効率は30%程度

*2:脱水素処理をしないと、部材が破損することがある

*3:これは、別に平井さんの言葉が全て正しい事を意味しない。

*4:東芝と三菱が双璧だったが、現在東芝が攻勢中

*5:実際には労災を受ける資格は存在する。だが、労災を申し出ればどうなるかは承知している人々がほとんどだろう

*6:東海村の臨界事故は、誤魔化しようがなかったようだが