シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

体育会系ってそういうことだろ? その2 博士の帰還

この話は、
・体育会系ってそういうことだろ? 博士の憂鬱
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071226/1198658440


の続きです。


えー、年末なんでブログ更新終わりにするつもりでしたが、意外なほど反響があって、しかも“ななめ書き”したゆえ、誤解を生んでるんじゃねぇか?、という意見も見受けられるんで、追記しておきます。


最初に断らなきゃならないのは、アスリート≠体育会系、と云うことです。自分もサッカーやりますし、休日にインドアで過ごすことはまずありません。自転車乗っているか、球蹴っているか、山登っているかどれか、です。ですから、指摘したことは、アスリートとしての本質では無い部分に関するところなわけで、その部分を指して、かつて“とんねるず”の石橋貴明は「体育会系」と命名したわけです。あくまでも「体育会(出)」でも「スポーツマン」でも無いことに注目。彼の使用は肯定と揶揄を半々に含んだ曖昧なものな訳ですが、いずれにせよ、その言葉だけで想像のついてしまう「ホモソーシャルな集団内で同調を強要され、それに親しんだ(順応)人々」と「その集団意識」を自分は問題視しているのです。
だって、その「同調」がスポーツなりに関係する状況、ってほとんどありませんからね。超一流のスポーツアスリート達、自分の場合サッカーに偏りますけど、プレミアリーグリーガ・エスパニョーラセリエAブンデスリーグ、etc。いずれも暴行やらなにやらと無縁でしょうが。「オマエのプレーはまるでダメ!」なんて、ガチなケンカが無いとは云えないでしょうけど、先輩(集団)による「オマエは根性が足りない」という曖昧な理由で暴行する、なんて事は無いと思いますよ。


で、残念なことに、日本の企業や某知事なりが求めているのは、どうやらアスリートを育てるための体育会、ではなく、あくまでも「同調圧力に順応した」人間と、その「仕組み」であるように思えるのでエントリーを書いたわけです。


その裏返しといえる博士の敬遠ですが、もちろん、FXさんのいうように

専門的な能力をいかせる企業なんてその時点で数が限られてくるので博士の就職が厳しいのは当然なのでは?

企業としては企業の中で芽をだしてくれればいいわけで最初から博士をとる理由もない。

という考えもあるでしょうが、一応、その是非はともかく、日本はこぞって「ものづくり」だとか「技術立国」やら「イノベーション」やら唱えているわけです。だとすれば、専門的能力が必要ない、なんてことは本来あり得ないはずですよね。各企業が技術面の先端を競い合うのが前提にあるはずですから。
同時に、「即戦力」なんて事も云われるわけで、「企業の中で芽を出してくれればいい」なんて悠長な話はしていられないはずなのですよ。
にもかかわらず、博士が敬遠される、それも評価を行ってからならともかく基本的に門前払い、である状況は博士が本質的に持ちうる傾向、に対する忌避ではないか、と考えられるわけです。それはたぶん、専門性への執着であったり、独立心の高さであったりするのではないかと思ったのですよ。穿ちすぎですかね。


企業の欲しがる研究人材、それはあいまいなビジョンでも汲み上げて研究テーマとしてくれて、かつ短期間で成果を上げ、異動先でもその分野にあっさり順応し、上司に逆らわない、というあたりでしょう。加えて賃金が安くても文句を言わず休みも必要なければ、云うこと無しでしょうね。
でも、そんな存在いないわけです。

研究・開発リーダーは、異なる個性の面々を巧みに束ねる力量が必要です。研究者に合った(事によると当人も知らない)研究テーマを割り振り、進捗状況を把握し、必要であれば適切なサポートを入れ、全体を無理矢理同じベクトルに揃えるのではなく、異なるベクトルを持つ各々を終着点に誘導する、こうした高度な能力を要求されます。つまり、研究者からなるオーケストラの指揮者と云えるでしょう。
大概、うまくいったプロジェクトというのは“指揮ぶり”が巧くいった時です。
こうした企業側の努力を放棄する代わりに、能力よりも従順さを求めるのが日本の企業体質じゃないかと思うのです。もちろん、そんなところばかりじゃありませんが、需給に見合うほどあるか、と云われれば、現在の惨状が物語るとおりです。


ちょっと気になったところを若干。


id:radio-keios さん
>理不尽さの先に高い理想があればいいですね。


これはダメだと思います。高い理想は理不尽さの免罪にはなりえません。理不尽はどこまでいっても理不尽です。ですから、通りすがりさんの


>私の感覚としては殴る蹴るは許容範囲としても


は、私は同意致しません。体罰はどうやっても許容できる話ではありません。子供の対して手を上げるケースが無いとはいいませんが、あれは本来許容できないものであるからこそ、子供の側にも非常事態である事が伝わるのです。常態化すれば教育効果などなく、単に「恐怖(苦痛)による服従強要」でしかありません。
ですから、学校を含めた集団内での体罰に関して弁護できる事など皆無です。


ちなみに、
>そう言った事が体育会系では普段から行われているのですか。


とのことですが、自分は部活で先輩達の目の前でオナニーさせられましたよ。中高の部活でさえもこんな話はゴロゴロしてます。大学の体育会だけがそうでない、なんてとても思えませんし、実際に表へ出たわけです。例外的な事とは思えませんね。


id:o-kojo2 さん、
>誰か「体育脳」っていわないの?


id:Apeman さん、
>犯罪を犯した青少年の自室にたまたまゲームソフトがたくさんあると「ゲーム脳」がどうたらとか言われるわけですが、「大相撲脳」とか「ラグビー脳」とか「応援団脳」とか言わない…のは明らかにマスコミのフレームの問題ですね。


まったくですね。スポーツが人格形成に役立つ、ってのも眉唾だと思ってますけど、その信仰の強い中では「ゲーム脳」はありえても、「体育脳」「ラグビー脳」とかは使われないんでしょう。


id:yamiinu さん
>大学のゼミの先輩(アメフト部主将)が剃毛をかけて誰かと相撲で勝負したと自慢げに話していたことがあります。僕はこの人ありえないと思いました。 


大昔の週刊朝日の人気連載企画「デキゴトロジー」には、某有名アメフト強豪大学のアメフト部の部内における理不尽話が連載されました。アメフトにも東京の大学事情にも詳しくない自分にも想像が付いてしまうほど詳細だったのですが、つくづく大学の体育会系部活には入りたくないものだと思ったものです。


在学生さん
>昔のことは知りませんが、最近の国士舘は他の大学とかわりません。今日のエントリ、ちょっと悲しいです。


すいませんでした。実はサッカー仲間にも国士舘出はいるんです。イイ奴ですよ。でも、昔の体育教師がタチが悪かったのは確かで、拓殖と国士舘が双璧だったんですよ。
それに、国士舘の逸話


望嶽寮物語
http://www11.ocn.ne.jp/~oo18/bougakuryou.htm

なんと言っても国士館は保守の牙城、他大学のスト破りに雇われていくようなところ。

なんて話もあるんで、正直、好印象は無いんですよ。申し訳ない。


最後に、この事件、決して甘く見ることの出来ない事件だと思うのですよ。というのも、この応援団や「体育会系」に共通する土壌は「沖縄集団自決事件」や「南京事件」など、旧軍の体質と同等に感じられるからです。
ホモソーシャルな集団内で理不尽な同調圧力が立場の弱いものに加えられ、その弱いものがさらに弱い立場のものに転嫁する、という点で根の深い問題です。
だからこそ、「体育会系」的なものにシンパシーを感じる人々は、旧軍の問題を隠蔽したがるのかも知れません。だいたい弁護する人々を比較すると共通していると思いませんか?