相変わらずの“分裂”節。面白いには面白いんだけど、ネタだったら半分の長さにしたら?本気だったらイタいのだが。
さて、
・あなたは、なぜ、自分のお金を貧しい人々に分け与えないのですか?
あなたの毎月の給料から、ほんの4500円をスリランカの子供に仕送りすれば、その子は学校に行くことができ、その子の人生を劇的に変えることができるかもしれません。
あなたの貯金から、100万円をワーキングプアの方に与えれば、貧困から抜け出すチャンスをつかむかも知れません。
しかし、あなたは、そういう人たちを助けようとしない。
なぜですか?
自分よりも金持ちがいるから、まず金持ちからそれをすべきだから?
http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080316/1205655055
自分は、主として2つの団体に寄付を行うようにしている。
・国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/
・あしなが育英会
http://www.ashinaga.org/
あとは環境団体幾つか、というところだ。
国境なき医師団は、その即時性、即効性ゆえ。稼ぎ方を習って自分を救い出す能力を見つける余裕の無い人々を助けるには、彼らが一番信用できると判断している。
あしなが育英会は、彼らの将来に手を貸すため。
環境団体に関して云えば、以前、フェアトレードに関して紹介したように、持続的な支援になる事を意識しての事だ。
というか、大概寄付して、金が渡ればそれで良し、というような寄付・募金活動なんてあるのか?インチキめいたところを除いて。
例えば、日曜の朝日新聞の書評欄では「変容する参加型開発―「専制」を超えて」という本の書評があった。
住民の自発的な改善努力を重視しているはずの参加型開発が「専制」(=支援者の押し付け)につながってしまうという批判が高まっています。しかし、実際に、世界各地では新しいアプローチが次々と試されており、当事者主導の動きも活発になっています。そうした百花斉放の最前線を実地に即して検証することなく、単純明快に「参加型開発=専制」と片付けようとすることこそ「専制(=観察者の独善)」ではないでしょうか? そういう問題意識に立って、PRA、参加型ガバナンス、貧困削減戦略(PRSP)、人権に基づく開発アプローチ、フレイレ流エンパワーメント手法 (REFLECT)など、世界各地の事例が分析されています。是非ご一読ください!
(Amazonの内容紹介)
どこでも集めた“善意”の金、をどうしたら最も有効に使えるか試行錯誤している。
かつて、批判対象となった「ホワイトバンド」だって同じである。
ホワイトバンドに込められた意味は、「世界のまずしさは克服することができる。この世界にはそのための資源や情報がすでにある。必要なのは『貧困を世界の優先課題にする』という意志をもつこと」です。ですから、G-CAPは、2005年に世界中の多くの人たちがホワイトバンドをつけてその意志を世界に示すことで、貧困問題の解消に積極的に取り組むように各国政府や国際機関に訴える大規模なキャンペーンを展開してきました。
(ほっとけない 世界のまずしさ の活動主旨 より引用)
集めた金をなぜ貧困者に渡さないのか?という意見が散見されたけれど、どうした形が最も有効に貧困問題に働きかける事が出来るか、という考えが結実したものだった。ま、それが効果的かどうかは議論の余地があるだろうけど。
from氏の意見は一理あるが、しかし相変わらずfrom氏は事象を単純化しすぎる。どういう金の使い方が有効なのか、は各々考えてみてもいい。自分は少なくとも寄付や募金をする事を自己犠牲、などとは捉えていない。出来る範囲でしかしちゃいないのだから。でも、このエントリーを「何もしなくていいんだ。」という言い訳に使われるのは不愉快だね。

- 作者: ジャイルズ・モハン,サミュエル・ヒッキィ,真崎克彦,谷口英里
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2008/01/31
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (2件) を見る