シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

自転車通勤しようぜ!

4月に入ってガソリン暫定税率失効によるガソリンスタンドの大混乱。
悪いけど、バカバカしくって笑っちまうよ。なんでそんなに“安売りガソリンスタンド”に集りますかね?1リッターあたり25円ほどの値下げ、離れたスタンドまで行って、行列になって待った挙げ句に入れられるのはせいぜい50リッター弱。1200円ほどのためにやる事じゃないよ。その分、車を使うのを控える方が効果的だろ?
このところ体調も良し、季節も申し分無し、で、自転車での移動が多くなった。ガソリンは1ヶ月前に入れたきり。今の様子だとガソリンを入れなきゃならないのは4月の終わりだろう。どこの店も充分に値下げされている頃だ。このガソリン狂想曲はまったくの対岸の火事、である。もちろん、様々な事情でガソリンの値下げが切実だ、という人がいる事は否定しない。彼らにとっては笑い事では無いだろう。でも、大概の人にとって、そこまで深刻な話だろうか。大半は2、3kmほど、近所では200mほど離れたところにさえ車で出掛ける人たちが居る。車の方が面倒くさくねぇの?と思うほどだ。自転車で出掛ける途中に渋滞に出くわせば、もちろんこっちには影響ないが、車に乗る人たちは大部分が一人。たかだか一人の移動に8平米の場所を取る約1tの鉄の塊を動かさなきゃならないなんてバカバカしい限りだ。

(略)
同区(シートン注:静岡市駿河区)の自営業○○さんは「今までバイクや電車を利用し、給油は半分以下で抑えていた。役人に無駄遣いされていたと思うと腹立たしい」と怒りをにじませる。
静岡新聞 2008,4/1 夕刊)

電車やバイクで済むなら、そのまま続けておけ、って。年間2.6兆の金のうち、どんなに“無駄”に使おうと、全体で見れば大した額じゃない。真の問題は、「必要な道路」とやらが、“本当”に必要なのか、考える事だ。自動車による移動が前提の社会が、当たり前なのか省みることだ。


だいたい、京都議定書の達成がどうのいうなら、一番効果があるのは自動車に乗らないことである。
一般家庭生活におけるCO2(換算)排出量は日本全体の10数%。みみっちい対策とやらを取らせようとする事自体ごまかし以外の何者でもない。しかし、家庭における排出量が減らせてせいぜいg単位であるのに対して、ガソリン消費1リッターにつき3kg以上のCO2が排出される。つまり、どんなに家でケチケチしようと、自動車で出掛ければ台無しである。逆に云えば、少々家でハメを外そうと、自動車を利用しなければ排出量は大幅に削減できるのである。


で、自転車通勤だ。実にいいよ。利点は色々ある。
・運動不足解消、メタボ解消
・交通費削減、小遣い増加
・環境対策
・メシが美味い、酒が旨い etc。
だが、何より自転車は走ること自体が楽しいのである。
今なら菜の花が咲き、桜は淡い色の花を散らせ始めている。ゆきやなぎはあくまで白い。黄、薄紅、白。ツバメもチラホラ姿を見せ始め、ケヤキには青葉が覗き始める。春を全身で味わえるのだ。徒歩以外の通勤手段では気づきもしないだろう。


自転車通勤を勧めても始める人は少ない。
「距離があるし」
「そんなに体力がない」
「坂が面倒くさい」
「自転車がない」
「服装に困る」
色々と言い訳はある。
でも、やらない理由が100あっても、やる理由は1つで充分だ。
「自転車に乗るのは楽しい」
自転車通勤しようぜ。いつでもアドバイスに乗ろうじゃないか。