シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 に花束を(結末書いてます)

これもタイトルはホッテントリーメーカー。それにしても、身もフタもない破壊っぷり。


激動の60年代が終わり、学生運動が行き詰まりを見せ始める70年代。徐々に先鋭化し、暴力的になった活動の果て、連合赤軍が結成される。暴力革命を指向する彼らは秘密の山岳ベースで訓練を行うが、狂気が彼らを覆う。


シネ・ギャラリーにて鑑賞。驚いたことに、好評につき上映延長。上映会場も大人数のホールに変更となる。人出もまあまあ。3時間もある映画だったが、時間を感じさせなかった。


連合赤軍事件といえば、自分はすでに記憶があってもいい歳だったが、まったく覚えていない。親に尋ねてみると、やはりテレビで見ていたという。どのチャンネルも一日中映していた、とのこと。なるほど。
記憶に無いのはなぜかわからないが、「ソーカツ!」という言葉には聞き覚えがある。子供の頃は「ソーカツ」というのは、リンチの代名詞だと思っていた。なんでか、というのは連合赤軍事件を知っている人には判るだろう。親ぐらいの世代だと、連合赤軍全学連共産党社会党もごっちゃらしいのだが、一般の人の認識もそんなものじゃないだろうか。つまり、「サヨク(アカ)はコワい」ということだ。


映画はそんなおおざっぱな人にも判るように進む。しかし、佐野史郎が登場したのは笑ったね。インタビューだとやりたかったのは「坂東國男」だそう。昔、ナンシー関佐野史郎は業が深い、軽く扱える役者じゃない、と述べてたけど、判る気がするね。宮台も出てたそうだけど気付かなかった。よく知らないし。
学生運動の経緯が示されて、いよいよ山岳ベースでの密室劇へと舞台が移る。
大塚英志の「彼女たちの連合赤軍」を読んでる身からすると、永田洋子の書き方はステロタイプな悪女なのが不満。まぁ、アイヒマンのような平凡さ、を盛り込むのは厳しいだろうとは考えるが。それ以上に、監督が遠山美枝子や重信房子が好きだったのだな、というのがありありと判る。その裏返しの怒りが森や永田に向けられているのだね。でも、端々のセリフは、連合赤軍事件を語る上で欠かせないエピソードに基づいていた。実際には遠山美枝子の殺され方はもっと悲惨で、裸で海老ぞりに縛られ、さらに暴行されて殺されている。そこまでむごたらしく殺される様は描きたくなかったのだろう。


理不尽とも云える「総括要求」。総括されて死んだら、死んだヤツが総括できなかったのが悪い、という自己正当化。森達の身勝手さは誰にも判っているが、誰も言い出せない。言い出したものは総括を要求されて殺されるからだ。その殺す役さえ、身勝手さを知るもの達によって行われる。ぞくぞくと仲間が殺され、逃亡する者も増えてから警察の追求を逃れようとするが、追いつめられて「浅間山荘」に立て籠もる。ここからが、テレビでも連日取り上げられた「あさま山荘事件」。


若松監督は外部の警官隊を撮さないことで、内部の緊迫感を高めているのだが、それにしても連中の中味のスカスカさが目立つ。内ゲバをやったあげく、他人の山荘に立て籠もり、警官隊と銃撃戦。目指していた「世界同時革命」とやらとの距離は計り知れない。なのに、吐き出す言葉は相変わらずお題目ばかり。全然心を打たない。最後には自分たちが殺した仲間を取り上げて英雄気取り。ふざけんな、と思った瞬間、加藤弟が叫ぶ「何言ってんだよ!」と。勇気が無かっただけじゃないか、と。仲間を殺した事を正面から受け止めもせず吐き出す言葉に何の意味があるのか。不覚ながら、加藤の言葉を聞いた瞬間に涙ぐんでしまった。
実際には勇気を持てばよかったわけじゃない。勇気を持って発言したら、なお恐怖に駆られている仲間に殺されただけだろう。結局、追い込まれる前の勇気が必要なのだ。  〜のためなら殺すのも構わない、という考えを拒否する勇気が。
世界革命戦争宣言が読み上げられるシーンが前半にある。

(略)
君達にベトナムの仲間を好き勝手に殺す権利があるのならば我々にも君達を好き勝手に殺す権利がある。

君たちにブラック・パンサーの同志を殺し、ゲットーを戦車で押しつぶす権利があるのなら、我々にも、ニクソン、佐藤、キッシンジャード・ゴールを殺し、ペンタゴン防衛庁、警視庁、君達の家々を爆弾で爆破する権利がある。

君たちに、沖縄の同志を銃剣で突き刺す権利があるのなら、我々にも君達を銃剣で突き刺す権利がある。

君達が朝鮮で再び戦争をやるために、自衛隊を増やし、フォーカス・レチナや三矢作戦をやり、朴独裁三選のためにそれに反対する任君を逮捕し、死刑にする権利があるのならば、我々にも赤軍を建軍し、革命戦線を作り、君たちを逮捕し、死刑にする権利がある。
(略)

これは、逆説として読むべき言葉だった。つまり、「殺すな!」の意だ。それをまともに受け止める事は、“ブルジョア”の立場に立つことと同じである。これは連合赤軍だけじゃなく、小はイジメから、大は軍隊・戦争に至るまで、同じ事なのだ。


最後に森は逮捕後、自己陶酔のような文章を残して自殺する。反吐が出る。何一つ自身の行為を受け止める事が出来ずに死に逃げる男。とことんクズであった。そして、永田と坂口は現在も死刑囚として収監されている。