シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

元増田は馬鹿である

自称しているようなんで、タイトルに使わせて貰う。
しかし、なんか痛々しいな。


吾輩は馬鹿である - アホ話の補足
http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080813/1218644552

いや、だからそれがどう本質的なのかが「理解できない」と私は何度も述べている。

そのような事実は余りにもtrivialであって、福耳氏を批判する根拠となり得ないであろう。私は何度も欠いたが、殺人犯が包丁を持っていたからと言って、包丁を持っていた料理人を非難するのはお門違いもよいところである。

さすがにこの程度の話に理解できない、を堂々と言われるとアタマが痛くなるね。


まず、福耳先生が、経営学(デパート出店の選別)を緊急措置的な行為の「トリアージ」に喩えた、ところまでは理解してるね?で、それに情緒的反応を示した学生に対して「ナイーブすぎる」とか「ケーキでも売ってればいい」と反応した(好意的な男子学生は誉めてるし)。
つまり、キミの大好き(らしい)な「価値中立的」話などではない。福耳先生は、しっかりと自分の判断を加えて「トリアージ経営学」を称揚し、それに反応した学生を評価しているのだよ。
だから、

私は何度も書いたが、殺人犯が包丁を持っていたからと言って、包丁を持っていた料理人を非難するのはお門違いもよいところである。(一部修正:シートン

道具の使い方を間違えていたのは福耳先生の方で(彼は救急医療の専門家などではない)、トリアージという“包丁”を場違いなところで振り回していたわけだ。だから皆、
「アンタ、使いどころ間違えてるよ。それじゃ、殺人犯と同じだぜ」
と指摘してやったわけだ。
で、本筋(救急医療の現場)とずれた「トリアージ正当化」はナチスではない人々も含めて「ホロコースト」を如何に正当化し得たか、の論理と共通してますよ、と述べたわけ。
id:HALTAN君は、このへんの部分の論議をすっ飛ばして、「判らない」「衒学的だ」「不謹慎」と述べたわけで、それはあまりに不誠実じゃないの?と言うこと。


いや、これより噛み砕いて(だいぶ話をはしょってるし)説明は無理だから、これでも理解できないなら、どこが理解できないのか、もちっと具体的に書いて。


あとは付け足し。

トリアージだって「助けうる最大人数を選別する」というのは、「助かる人数がたくさんの方が良い」という、特定の政治的な文脈によるものです。選別に漏れた人、身内にとっては他の人間がどうなろうとも、身内なりが助かる方が“良かった”のです。

そりゃそうでしょう。だが、それは「私情」以上のものにはなるまい。そのことを指摘することで何か建設的な提案がおできになるのであろうか。できないのであれば、あなたのその言い分は単なる「難癖」である。

本当に理解力無いねぇ。私が言いたいのは「私情」に対する「公情」と呼べるものはあるの?ということ。それは、社会の中の厳密なコンセンサスなどじゃないでしょ?それは、ある政治的判断で成されることだ、ということなのですよ。それを絶対視するなら、自分が中立的などじゃないことは自覚した方が良い。
で、建設的な提案、というなら、そもそもトリアージは建設的、などじゃない、ってことは理解できてるんでしょうね。建設的というなら、リソースの潤沢な確保とか、対応でしょ?

これも「ためにする議論」としか思えない。誰しも、一定以下のリスクには目をつぶって生きているのであり、そうしなければ到底生きてはいけない。例えば、あなたの毎日の通勤の途上で通り魔に遭うリスクというのも当然存在するが、あなたはそれについて何か対策をされているか?毎日遺書を認めてから出勤なさっているか?

はぁ。通り魔はともかく、以前にも書いたけど自分はかなり危ない環境で自転車通勤しているんで、死は常に覚悟しておりますがなにか?
で、慣れの問題はリスクを見誤らせる事がある、ってはよくある話だね。通り魔どころか、事故死のリスクは一般の人間にとって、かなり高いリスクになりうる。でも、大概の人は事故の可能性を意識して生活する事はマレだろう。一定以下、だからリスクに目を瞑っているわけじゃなく、避けようがないから、の部分が大きいと思うけど?

それは単純に見積もりが誤っていただけのことで「中立ではない」ことにはならない。確かに本人の政治的立場その他の願望が見積もりの誤りを誘発することはあり得るが、そのことが「見積もりの方法論自体の価値中立性」を損なうことにはならない。

違うね。引用先などに目を通してみればいいが、見積もり自体恣意的なものだよ。「見積もりの方法論」を利用する際、一般的にリスク評価などは恣意的なパラメータ導出が行われる。
それこそ、無駄公共事業における環境アセスメント原爆症患者の判定基準*1など例は溢れている。人間が扱う以上、「中立」はあり得ず、自らの(他者の)ポジションに留意するのは現在の科学者の基本的スタンスだ。

そもそも、原発のリスク評価に文句があるならば、原発反対派も独自にリスク評価を行えばよいだけの話ではないか。

引用の上の方に書かれているけど、原発反対派のリスク評価は信用おけない、とラスムッセンは述べているわけだが、当時冷戦下で原子力に関する情報は極秘とされていた事を(恣意的に)無視している。内部からの告発はシルクウッドのように消される(これも陰謀論かな?)事になる。情報の非対称性がある中で、異議の申し立てをするのはなかなか楽な事じゃない。でも、日本でも反原発に関わる人は、“内部”出身であることを忘れるべきじゃないな。新聞記事にもあったが、原子力大国フランスでも地道な異議申し立てをしている人々は存在する。


一方で、ご立派で信用のおける科学者方の見積もりがどういうものであったか、は「アトミック・カフェ」などを見てみれば良いのではないかと思う。ああいったプロパガンダが行われ、それは「科学的中立」を装った(自覚は無かったかも知れないが)権威によって監修されていることを忘れるべきじゃない。


アトミック・カフェ [DVD]

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行われているのは“トリアージ批判”などではない。

批判側はそのように口を揃えるが、今までなされた説明を見る限り、実質的にあなた方の言動が「トリアージ批判」でなかったとは私には到底信じられない。

はぁ。どのへんがトリアージ批判に該当するのでしょうね。かなり意図的に露悪な修辞を使っていたhokusyuさんの文を指してトリアージ批判、と述べる事は出来るかもしれませんけど、一般的にあれをトリアージ批判と取るのは無理だと思いますよ。
hokusyuさんに同調する私は、最初からこう述べています。

緊急医療のトリアージと経営をごっちゃにして正当化する人、に関してはみんなが突っ込んでいるので細かく触れない。

学生達もトリアージがダメだ、と云っているわけではない*1。“かわいそうだ”と云っているのである。「人権侵害だ」と云っているわけではなく、「人権侵害ではないのか」と問いかけているのだ。学生達はトリアージの本質を理解しているがゆえに、違和感こそを表明し、かつ行為自体を否定してはいない。

http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080527/1211878137

私は葛藤を持つ事を否定しません。葛藤を持ちつつ、それを乗り越える事は認めます。ですが、葛藤から目を逸らす事が素晴らしいとは思わないのです。

http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080529/1212050196


さて、どのへんがトリアージ批判なんでしょうね。

そう思いたければそう思ってもよいが、では、例えば選択公理*2を認めるか認めないかが政治的価値と無関係であると主張することはどのような政治的ポジションに相当するのか説明して頂こう。

わざわざ「学問」て書いてやってんのに、「選択公理」ですか?ま、それなら「数学」で示してやろうか?
ビューティフル・マインド」でも有名になった、ジョン・ナッシュの研究していたゲーム理論アメリカの核戦略研究にも応用されていた。

ゲーム理論を読みとく (ちくま新書)

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ナッシュを受け入れて研究させる事自体が、アメリカの対共産圏戦略に繋がっていたわけだ。で、現在では純粋に政治的価値と無関係、な研究をさせてくれる場所自体、まず無い。大学の独法化はそれをさらに一定の方向に推し進めた。我々はただ研究するだけで、なんらかのポジションに立つ事になる。
自分が研究の場を得る、それ自体何らかのポジションである、事に無自覚なのは致命的だぜ。

そんなことをおっしゃるなら、優生学や創造科学はまともな科学の体をなしているとでもあなたはお思いなのだろうか?

思ってたら、自分のブログにトンデモ、などというタグを付けて擬似科学を批判していたりしないのだが。
問題は、ナチの時代だけじゃなく、優生学は“中立的な立場”から人種による差、というものを「実証」して見せた、ということだ。
去年のワトソンの騒ぎを忘れたわけじゃないだろ?ワトソンだけじゃなく、ショックレーなども人種差別的発言を行い、その根拠を「科学」に求めている。科学的に証明されているんだから仕方がない、という言葉だ。
で、それをキッチリ批判するインセンティブは、「中立」な人間からは生じて来ないのだよ。残念ながら。
だから、自分が中立である、と思いたいなら、それは自らを常に省みてポジションを確かめなくてはならない。ま、大概そんな事は無理だから、「中立」って言葉を括弧書きして眉に唾つけとく方が確実、ということ。


キミが中立たらん、とするなら、その意気は買う。だが、自分は中立だ、と主張するなら、それは馬鹿だ。

どんな屁理屈ですか。現段階で倫理的な結論が出せないというだけのことをどれだけ拡大解釈しているのだか。

あのな。倫理的な結論、というのは常に変わりうる。現在じゃ、中絶に異議を唱える人は少数派だろう。だが、中絶が非合法、というに限らず、避妊や自慰行為さえ“倫理的じゃない”という時代があった。
だからこそ、倫理的な前提は常に研究において差し挟み、進めるにしろ止めるにしろ、その制約を受ける事になる。それを後回しにするなら、“永遠に”結論が出ないのは当然だろ。

この件に当てはめて言えば、私が言いたかったことは、紙上で核反応の計算をすることが反倫理的であるはずがない、ということだ。

何の為に計算するわけ?自分の知的好奇心を満足させるため、か?19世紀末までならともかく、現在じゃどんな形であっても研究は個人だけのものでは済まない。“紙上で核反応の計算をすること”だけ、なら反倫理的じゃない、かもしれないが、それだけで済む状況などありえない。こういうのを机上の空論、というんじゃないの?
で、付け加えておけば、福耳先生は自分の意識の中に留めておいたわけじゃなく、“実学としての”(分裂君のいうには知っておかないと年収で差が付くほど大事な)経営学で、学生に説いてしまったわけなんで、そんな机上の空論を持ち出すのはどうかと思う。

敢えて売り言葉に買い言葉で言うが、群論ごときも理解できないあなたにそのような上から目線の下種の勘繰りを言われたくない。単に、私の手持ちの知識の中で啓蒙書に出てきそうな分野を挙げただけだ。ハッタリをかましたければ、サイバーグ=ウィッテン理論だの幾何学的測度論だの、いくらでもその種の用語を持ち出すことができる。そもそも、ゲージ理論などは数学的には単なるファイバーバンドルの理論に過ぎず、極端に難解なものなどではない。

えー、一応弁解しておけば、群論を理解できないわけじゃなく、実際の計算などは本を見なけりゃ出来ないって事なんですけどね。いや、ニガテなのは確かだが。
で、ゲスの勘ぐりついでにいえばだね、「ゲージ理論」が「啓蒙書」に出てきそう、と捉えるのは如何なものか。普通は「専門書」にしか無いと思うぞ?
で、ゲージ理論などは数学的には、って、ビックリ。
いや、そうでしょうよ。特殊相対性理論だって、数学的には単なる連立方程式を解くだけだなぁ*2
その導出にあたる背景や、どのような物理的世界が描かれるかで難易度は変わってくるわけで、「数学的には〜に過ぎず」と主張されるとは思わなかったわ。参りました。

そして、私が工学系の専門だなどと述べたつもりはない。敢えてあなたの勘繰りに付き合うならば、理学系の専門知識と工学系の専門知識を兼ね備えて持っている人間は境界領域にいくらでも存在するし、境界領域でなくとも、進学や就職の過程で進路変更をするなどしてそういう人間ができあがることはいくらでもあり得るだろう。後は勝手に想像するがよい。

いや、間違いなくキミは工学系だろうよ。以前、工学系のメンタリティーについて述べたことがある。


ワトソン・アインシュタイン・「ガリレオ
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071024/1193215157


キミの示す態度は、あからさまに“東工大系”工学者のノリだ*3。確かに理学系の専門知識と工学系の専門知識を兼ね備えた境界領域の研究者、というのは幾らでもいる。が、そういう人たちが、hokusyuさんやApemanさんの文を読んで「理解できない」などと言ってしまうとは思えないね。それは、あからさまに文章読解力を欠いているもの。専門バカという可能性は否定しないが。


前回、私が池内了先生の本を紹介したのは、先生が私に科学者の持つべき良心について教えてくれた方だからだ。研究者の端くれとしては、それを次代の研究者に伝えていくのも責務だと考えている。正直、キミには期待できないが、この駄文を読んでいる人の中で研究者がいたら、“自分は何のために、誰のために、何を研究するのか”に自覚的であって欲しいと思う。

*1:残留放射線の影響を加えるかどうかで揉めたのは記憶に新しい

*2:特殊相対性理論の解析は本当に簡単で、中学2,3年程度でも理解できます

*3:東工大生や出身者が皆こういう人ではない