シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

夕暮れの影は巨大だ いまここにある風景

急速な産業開発に沸く中国。その変化する風景、を切り取って見せるカナダ人写真家エドワード・バーティンスキー。その撮影の様子を追ったドキュメンタリー


原題は「Edward Burtynsky Manufactured Landscapes 」(産業化された風景)。バーティンスキーはアメリカの東海岸の炭坑跡に迷い込み、その異世界のような風景に打たれ、産業化された風景をカメラに納めようと考えた、と述べる。その産業革命後進んできた、バーティンスキーいわく“長時間にわたって蓄えられてきたものを使い果たすパーティー”の、その“ラストダンスを踊ろうとしている”のが中国だという。
なるほど、冒頭の延々と続く工場をパンするカメラ、ロングショットに写る夥しい工員のQC活動!、さながらトヨタの工場かのようだ。バチェラーパーティーのツケは誰が払う?それも中国を含む途上国で行われる。テレビのブラウン管を含む重金属汚染の怖れのある産業廃棄物のより分け、タンカーの解体。それも産業化された風景の一部である。
巨大な三峡ダム発電所。それは、かつての「黒部の太陽」に他ならず、上海の旧市街の再開発は、バブル期東京にうり二つだ。自分たちが失敗も含めて行ってきたこと、それをラストダンサー中国は、より能率的に大規模に推し進めてきた。
バーティンスキーは問題を政治化しないことでより雄弁に語らせる、と述べた。見るものによって、より想像は掻き立てられるだろう、と。
我々が通ってきたもの、その風景が拡大投影されたものに不安を覚えるのなら、それはすなわち自分たちの歩いてきた道自体に内包されていたものだ。前に見えるもの、それは文明の残照による自分たちの影なのである。


『いま ここにある風景 エドワード・バーティンスキー:マニュファクチャード・ランドスケープ「CHINA」より』
http://www.cinemacafe.net/movies/cgi/21292/