シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

ノーベル賞の憂鬱

連日騒ぎになっておりますノーベル賞受賞騒ぎ。
物理学賞を南部、小林、益川先生の御三方。化学賞を下村先生、と、久々の快挙でございます。
しかしですねぇ、浮かれて受賞者に電話までしてしまった麻生さんですが、


・「国民みんな喜んでいる」=益川、小林両氏に祝意麻生首相
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008100701011


・「日本に勇気と希望与えた」 首相、ノーベル賞の下村氏に祝意
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081009AT1G0900Y09102008.html



この受賞、って日本の政策に対する痛烈な皮肉なんじゃないか、と勘ぐっておりますよ。
今回の受賞者のうち、二人が頭脳流出された方、で、一人が日教組シンパで、九条の会に名を連ねている方、というのは既に知られているとおりです。


・「日本人3人がノーベル賞受賞」という言説
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20081007/1223385373


・連日の快挙、ノーベル化学賞下村脩
http://d.hatena.ne.jp/riseizenkai/20081009/p4


・「日教組」の元書記長がノーベル賞をとった!?
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20081008/1223394762


南部先生、下村先生ともに、日本じゃ研究出来ヘン、とアメリカへ渡ってしまった人なんですよね。


・『研究は謎解き作業。私の趣味』 ノーベル賞南部陽一郎さん
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008100890135009.html

東大や大阪市大を経て渡米し、一九七〇年に米国籍を取得した。日本では何年も研究室で自炊し、寝泊まりする日々が続いたが「米国は研究だけでなく社会環境や生活環境も(日本とは)大いに違った。自由な雰囲気にひかれた」。

 米国籍の取得も「ある意味自然な選択だった」とする。以来、研究に没頭し日本に帰ることなど考えなかったが、「年を取るとそういうこと(郷愁)も出てきますね…」。


・「化学賞は意外」「クラゲ85万匹採取」下村さん語る
http://www.asahi.com/science/update/1008/TKY200810080259.html?ref=reca

――米国に居続けたのは?

 「昔は研究費が米国の方が段違いによかった。日本は貧乏で、サラリーだってこちらの8分の1。それに、日本にいると雑音が多くて研究に専念できない。一度、助教授として名古屋大に帰ったんだけど、納得できる研究ができなかったので米国に戻った」

 ――何が納得できなかったんですか?

 「規模が違う。僕は十何年かけて85万匹のオワンクラゲを採取した。100トンは超すでしょう。何十人もの人を雇いました。家族も手伝ってくれた。ノーベル賞はその副産物なんです」


気持ちはよく判ります。自分も一度アメリカの大学に誘われたことがありますが、言葉や生活環境に不安を覚えてやめてしまいました。もし、もう少し若い時分だったら移ったかも知れません。というか、その後の日本における研究者の待遇の著しい悪化にしくじった気がしたものです。
友人ではすっかり日本の環境を見限って移る準備をしている者もいますし、全国のお祭り状況とは裏腹に研究環境は悪化する一方です。というのも、すでに全国の国公立大学の大方は文科省天下り官僚に牛耳られる状況になったためです。


南部先生ら三人の業績は、「それ、何の役に立つの?」と言われれば、なかなかに返答に困る事でしょう。しかも、アイディアを思いついた当時に至っては、「実用性」という括りでは除外されるジャンルだったはずです。
マーカーとしての役割、が得られなかったとすれば、下村先生の研究も同様の評価だったはずです。
だって、クラゲの発光のメカニズム、ですよ?そのために夥しい試料が必要でしたし、「それ、何の役に立つの?」と常に言われたでしょう。


産経はこんなとんまな事を口走ってますけど


・【主張】ノーベル化学賞 独創的な研究のはずみに
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/185368/

日本人科学者のノーベル化学賞は、1981年の福井謙一さんから2002年の田中耕一さんまでの4人に続いて、今回の下村さんで5人に達した。理論畑の福井さんを除いて全員が、実用性の高い技術の研究だ。


でも、研究ってのは、その積み重ねなんですよね。膨大な得られた研究成果の中から「役立つ」ものを拾い上げる、干し草の山から針を見つけるようなものですが、作業も才能を必要とするリッパな研究であります。
役に立つか判らないものも含めて未知のものを研究することも、有象無象の研究成果から役立つものを掘り出すのも、両方があって科学技術、ってヤツは進歩するんです。


昔、ちょっと昔まで、は大学研究者なりが手当たり次第に得た科学的成果を、企業開発者が掘り起こして実用化してきました。バブル期は基礎研ブーム?があって、あちこちで長期的スパンを意識した研究を企業も行ってきましたが、企業に余力が無くなると、掘り起こしさえも企業が行う事が出来ず、大学にアウトソーシングを掛ける事になりました。それが現在の産学官共同研究(開発)、ですよね。本来であれば、さほど悪い話とは思いませんが、その結果地道というか役に立つかどうかわからない研究は切り捨てられるようになっています。研究者は誰もが(予算獲得のため)いかに役に立つか、をアピールに走り、しかもそれを判断するのが官僚崩れですから、基礎研究分野では特に酷い状況になっています。


今回のノーベル賞騒ぎで、さらに文科省を含めたダメ連中が張り切ってますけど、オマエ等が張り切るほど、日本のレベルは下がるんだよ!、と言いたい気分。

すっこめ、ボンクラども。

自民党日教組叩きも同じ事。

いいからすっこんでろ。教育や子供らをテメエらが好き放題に弄くろうとするんじゃねぇ。

子供も研究者も基本は同じです。信じて見守ること。それが大人の度量ってもんなんです。
昔の人は良いことを言ってるじゃないですか。
「角を矯めて牛を殺す」
自民党のクソも、文科省のバカも出る幕はありません。


ですから、教育改革、大学独法化は、まさにノーベル賞受賞者を輩出する環境を破壊し、真逆の方向を向いている、と言わざるを得ない。
そんな状況ではしゃいでいるバカ共は滑稽ではありますが、しかし、将来が憂鬱なのであります。