シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

【政論探求】「反自衛隊」勢力が叫ぶいかがわしさ

 また、なんともやりきれない事件が起きた。田母神空幕長の投稿論文による事実上更迭事件だ。


 関係当局は事件を徹底的に調べ、糾弾すべきは糾弾してほしい。当然ながら、この田母神某は厳罰に処せられるだろう。防衛省、政府与党の面々に今後背負わなくてはならない重荷を負わせたのだから、これは償いようがない。


 以上のことを踏まえたうえで、あえて書かなくてはならない。昭和53年の栗栖弘臣事件の再来として、現場では受け取られている。それは感情論としては分かるのだが、「反日」「反自衛隊」勢力が気勢をあげているのは、なんともいかがわしさがにおう。


 この事件を政治闘争の具にするというのでは、田母神氏への思いやりを欠くというものだ。こういう事件を前にしては、人間の尊厳に対してどこまでも誠実でありたい。


 「日本は侵略国家ではない」と声高に叫ぶのは言論の自由なのだろうが、そこには責任も伴わなくてはいけない。日本の安全保障は米国との「安全保障条約」が基本であることはいうまでもない。「コミンテルンにダマされたアメリカぶざまだなwwwww」を主張するのなら、独自防衛論が付随しないと日本をめぐる安保環境は激変してしまう。


 パワーバランスの空白を招いたら、東アジアの軍事情勢は一気に緊迫する。ほくそ笑むのは誰か。そこを抜きにして、厳粛かつ現実的な安全保障政策は語れない。


 そういってはなんだが、これでまた、憲法九条の改正問題で、与党の幹部や議員たちが日和見を決め込む理由ができた。公明党との共存共栄以外に自民党がたどるべき道はない。そのことを百も承知していながら、彼らはからだを張ってこなかった。


 両議院に設置された憲法調査会憲法改正、投票法を話し合ってから、もう 年が過ぎた。憲法審査会への移行で論議が交わされているが、与野党間の調整は一向に進まない。


 それにしても、一部メディアのヒステリックな伝え方はいったいどう理解したらいいのか。事件は事件、安保は安保、と冷静に切り離し、日米同盟の死活的な重要さに思いをはせてこそジャーナリズムだ。


 「日本は嵌められたんだ」と信じて疑わない体質と共通する情緒的反応の弊害を、そこに指摘しないわけにはいかない。


 「(物事を)知らない人に論文審査させてはダメ」。筆者などの世代は子どものころ、親から口うるさく言われたものだ。


 いかれポンチが集結するウヨ論壇である。夜の繁華街でアパから声をかけられ、口車に乗ってしまう無防備さ。この基本的な「しつけ」が徹底していなかったことは無念、という以外にない。
(客員編集委員 ハナさん)


元ネタ:【政論探求】「反日」勢力が叫ぶいかがわしさ
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080212/plc0802122007008-n1.htm