シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

派遣村とあれこれ

派遣村について、色々ガタガタ云っている連中がいますな。


派遣村には政治色が感じられるのでイクナイ


参考

派遣村「まじめに働こうとしている人なのか」総務政務官
http://www.asahi.com/national/update/0105/TKY200901050290.html

学生運動を引き合いに、「『学内を開放しろ』『学長出てこい』、そういう戦略のようなものが垣間見える気がした」とも語った。


田中康夫センセ、「キャンディ」はお好きですか?(笑)
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20090107/1231306306

(略)田中曰く、裏で指揮っているのは共産党系の労組団体で動員をかけている。露骨な政治的パフォーマンスで派遣労働者の為にやっているわけではない。


なんで政治性が見えるのがそんなにイヤなのかね。当然、政治的なものに決まってるじゃん。というか、自分たちが社会的活動を行う、それは全て政治的な意味合いを持つ。もちろん、程度は異なるだろうが。それが民主主義、というもの。
政治性がある、という批難は大概自分達の「政治的指向」と異なる場合に表明されるよね。自分達の指向する政治性は「透明」に見える。それだけのことだろうに。
それにしてもなぁ、田中康夫。長野で共産党にはお世話になったんじゃなかったの?しかも、派遣村には菅直人も手を貸してるんだよね?その指摘はおかしくないかい?
というか、共産党色なりが気に入らなければ、自民党にせよ新党日本にせよ、自分達もやればよかったのに。特に自民党にとっては人気回復のチャンスだったのにね。


で、付け加えるなら、全国に多数存在する、もちろん浜松も例外ではない、ホームレスの代弁者と成り得ないとすれば、その方が“単なる遊び”に過ぎなくなるだろう。その点では派遣村は見事に役目を果たした、と云えるだろう。自治体や省庁を動かしたのだから。
今回、何一つとして協力出来なかったので、もやいに寄付しようと思う。彼らの活動に賛意を示すために。


派遣村に集まってきた連中は甘えている。タバコを吸ったりしている。

参考

派遣村のボランティアに人間性に問題があるって言われたんだけど・・
http://anond.hatelabo.jp/20090106231352


え、タバコ吸ったりするのが問題ありなの?ま、オレもタバコは苦手だがそういう問題じゃないだろ。なに、職と住み処を失った人は何もかも捨てないといけないわけ?派遣村は「施し」だと、だから「謙虚」にしていないといけない、と。驚きましたな。
派遣村は施しなどじゃないし、日常の習慣やささやかな楽しみさえ捨てなきゃならないところなどじゃない。人として最低限文化的な生活を営む、その権利を彼らは当然持っているし、持つべきだ。
それが「貧困対策」というものだろ。


 ・極めつけ


はてサの皆様に質問がございます。
http://anond.hatelabo.jp/20090107103438


いいねぇ。実に厨坊臭い。

一学生の私はただただ敬服するばかりです。

と書きながら

ある種、私もそれなりの努力をして生活をしてまいりました。その結果があって、今の私がいるのだと思います。

笑わすなっての。学生さんが努力したから他人の苦境には同情出来ないって?ショボ過ぎるよ。


で、名指しされたわけでは無いが答えようと思う。

まず、「派遣村」の活動に関して言えば

ただ開いている口に餌を運ぶことが果たして真の意味での救済なのでしょうか?

とか、

「弱者は無条件に救済されるべき」

などという取り組みではない事は理解しろ。
そのうえで、“なぜ派遣村のような活動に賛意を示すのか?”
それは、下の動画が参考になるだろう。


YouTube - Dog Risks Life To Save another Dog!

via:車にひかれた仲間を、自分の命をかけて助けに行く勇敢な犬の動画(GIGAZINE

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081209_rescue_dog/


この仲間?を助けようとした犬に、なぜ危険を冒して助けようと思ったんだい?
と尋ねたら何と答えるだろうか。犬の言葉は理解出来ないが、おそらく彼(彼女)はこう答えるだろう。

「仲間を助けるのに理由なんて無いよ」


オレも同じだ。困っている誰かを助けるのに理由なんていらない。
強いて言えば、自分はポスドクや非常勤の期間、結構つらい思いもしてきているし、未だにそんな仲間もいる。自分が職を得られたのは努力や能力というより運だった事も知っている。だから他人事とは思えない、と言う事はある。
が、それはあくまでも付け足しに過ぎない。そうでなくても、たぶん自分は困っている者に手を伸ばす事にためらいなど無い。


逆に、派遣村に対して否定的な連中もいろんな拒否理由を並べてはいるが、実際にはこういう事でしかないだろう

ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限(かずかぎり)もない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻(あり)の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。カンダタはこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦(ばか)のように大きな口を開(あ)いたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断(き)れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数(にんず)の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断(き)れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎(かんじん)な自分までも、元の地獄へ逆落(さかおと)しに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這(は)い上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。
 そこでカンダタは大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一体誰に尋(き)いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚(わめ)きました。
(「蜘蛛の糸」 芥川龍之介 青空文庫
シートン注:カンダタ、に変換)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/92_14545.html


みっともないから、そんな真似はやめろ。