シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

東浩紀の終焉

年末年始に本を見返していたら、故米原万里氏の著作に「ポモ論争」にずばり斬り込むような一節を見つけたので、ちょっと長めだが引用してみる。

中庸と中途半端のあいだ


通訳の最中、日本人の政治家が「中庸」とか「中道」とかいう言葉を頻繁に発したので、どう訳したものか困ったことがあった。
そういう概念がロシア語にないからではない。英語でも「幸せな真ん中(happy medium)」という言い方をするように、ロシア語でも「黄金の真ん中」という言い方で、まさに「中庸」に相当する概念を言い当てている。語源辞典を引くと、紀元前一世紀に活躍した古代ローマ随一の詩人ホラティウスの「頌詩集第二巻」に出てくる「黄金の真ん中(aurea mediocritas)」が初出ではないかと記してある。「偏らない、ほどよくバランスのとれた」というようなプラス・イメージの言葉だ。
では、なぜ訳に際して窮したのか?発言者自身は、明らかに右(シートン注:「偏らない、ほどよくバランスのとれた」)の意味のつもりで「中庸」とか「中道」という言葉を用いて我田引水しているのだが、発言内容そのものから窺い知れる内実は、じれったくなるほど中途半端でどっちつかずのあやふやなものだからだ。単に臆病なせいで、大勢に迎合し、といってその先頭を切る能力も勇気も視野もないから、ちょうど風当たりの少ない居心地のいい場所を確保して無難な行動に終始しているだけって感じが見え見えなのである。
こんなみっともない有様を「黄金の真ん中」なんていうふうにわたしが訳したら、きっと聞き手のロシア人は悪い冗談かと思うに決まっていると、わたしは気をもむ。
ところで、ロシア人は、「黄金の真ん中」の最良の見本として、良くジプシー・ダンスを例にあげる。ジプシー・ダンスを見たことがありますか?世界に数ある踊りの中で、最も魅力的な踊りだと、わたしは思っている。一度見た人は必ず取り憑かれる。
かつてはなかなか定住先を持てず己の芸で食い扶持を稼ぐしかなかったこの民は、行く先々の民衆の歌や踊りを鑑賞に耐える、つまり金の取れる魅力ある見せ物に換骨奪胎した。こうした生まれたのが、スペインのフラメンコやハンガリーのチャルダシュ、その他の名舞踊だ。
初めてジプシー・ダンスを見た人は、一見、ほとんど動きがない事に驚く。というのは、動きの派手で激しい踊りよりもはるかに動きを感じ取るからだ。それに、ずいぶん着込んでいるのに、露出度の高い踊りよりゾクゾクするほど色っぽい。
それは、なぜか?おそらく、九〇度しか足を上げられない人が目一杯九〇度上げるのと、一八〇度足を上げられる人が三〇度しか上げない違いではないだろうか。前者の方が見た目は派手だが、後者の方が、なぜか、かもしだすエネルギーとか色気とか奥行きに迫力があるのだ。つまり、一八〇度まで足を上げたうえで、さらに一五〇度下げるのに等しいから三三〇度の運動量が秘められている事になる。九〇度しか上げられない人のじつに四倍弱だ。
「中庸」とか「中道」とか言うと、まずは何はさておき、「極端を排し」と思われがちだが、本来は、むしろ極限の偏りをことごとく取り込んだ過酷にして懐の深いスケールの大きいものではないだろうか。それが、「中途半端」との本質的な違いだと思う……。つらつらと同時通訳ブースの中でそんな事を考えつつ、発言者のスピーチを校閲する権利を持たないわたしは「中庸」を、やはり「黄金の真ん中」と訳出していくのであった。


(ガセネッタ&シモネッタ 米原万里 文春文庫 より引用)


いまだかつて、南京事件論争における「どっちもどっち派」が肯定派・否定派の論点なりを読み込んで見解を示す、というような態度に出たケースは無い。ポモ・アズマンも同様で、彼の「どっちもどっち」を支えるような根拠というのは、


「けれど、南京大虐殺の有無についてはそのような強い実感がない。」
http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html


という“実感”だけである。彼はそもそも論争に関わる人物さえ挙げられる程度にも成り行きを把握しているだろうか。
何も知らないがゆえに、「どっちもどっち」とするなら、米原氏が指摘するように、そんなものは単なる中途半端な態度に過ぎない。両者のテキストを充分に読み込み、その上で両者の言い分が「どっちもどっち」というなら、それは「ポストモダニズム的姿勢」と評価できるだろう。両者を精査して「どっちもどっち」になれるとは私は思わないが。
東浩紀の問題とは、双方から距離をおく、という態度を、両者について存分に検討しての上での態度ではなく、最初から“どっちもどっち”とすることで知ろうとさえしない態度に安住するところにあるだろう、と考える。


それにしても、米原万里氏が亡くなったのは本当に残念だった。彼女が生きていれば、佐藤優の好き放題の振る舞いを掣肘出来ただろうに。

ガセネッタ&(と)シモネッタ (文春文庫)

ガセネッタ&(と)シモネッタ (文春文庫)