シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

有人宇宙計画こそ民営化すれば?

あー、くだらねぇ。
何だって、有人宇宙計画なんてくだらなく無駄なものを持ち上げたがるのか。


長期滞在成功を 祈る仲間 見守る家族 若田さん宇宙へ
http://www.asahi.com/science/update/0316/TKY200903160139.html


「夢」「探究心」「思いやり」を胸に 若田さん手記
http://www.asahi.com/science/update/0316/TKY200903160210.html


もう何度と無く書いているのだが、有人宇宙開発には科学的価値は何一つ無い。
例えば、毎回のように宇宙ステーションでは

「重力のない環境では、重さや比重の違いがなくなるため、地上では作れないような新しい材料や合金の開発が可能になるといわれています。
 スペースシャトルでの実験や、建設がはじまった国際宇宙ステーションでは、こうした微少重力環境を利用した材料実験が研究の大きな柱となっています。
 宇宙で新しい金属が生まれるかもしれません。」

(cf.http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/encyclopedia-j/3kinkou/9episode/k___episode09.html


みたいな宣伝が成されるのだが、こんなセリフはそれこそ自分がガキだったときから使われている使い古されたセリフで、つまり、現在に至るまで宇宙において新素材開発も有意義な科学的研究も行われてはいないのだ。
例えば、「比重の差によって地上では混じらない元素による合金」などというのは、粉末冶金法の開発で「地上でも可能」になったし、どちらかといえば、重力による対流が無い方が温度差を生みやすく「欠陥の少ない半導体」の製造に繋がらない。電気泳動法などの技術進歩は無重力下で実験を行う事の意味を消失させた。


例え、無重力下における「科学実験」が意義がある場合でも「有人飛行」で行う必要は全くない。放物軌道で打ち上げれば大概は片づくし、周回軌道に乗せるにしても無人の場合コストは遙かに安上がりだ。無人で済むような実験をわざわざ有人施設で行えば、居住のためのスペースや設備が必要な上、人間の存在自体がコンタミ源や攪乱源になる。


こうした事は、「わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか―ニセ科学の本性を暴く」で、ロバート・L. パークが喝破している事なのだが、なぜか省みられる事がない。著者はホメオパシーのような「代替医療」や永久機関ビジネスなどと比べても、(SDI構想などと並んで)質が悪い、と評しているのだけれど。


不思議な事に、日本のサイエンス・ジャーナリスト、と呼ばれる連中で、「有人宇宙飛行は無駄」と書く人はいないようだ*1


もちろん、有人宇宙開発が夢だ、ロマンだ、というのを否定するつもりはない。だが、有人宇宙飛行に費やされる資金が、はるかに有意義な各種探査計画を圧迫している事は無視出来ない。


小惑星探査機「はやぶさMUSES-C)」
http://www.jaxa.jp/projects/sat/muses_c/index_j.html


どうしても、有人宇宙開発が必要だ、と思うなら、それこそ「民営化」すればいいと思う。それだけの価値を見出す人が出資すればいいのである。

わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか―ニセ科学の本性を暴く

わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか―ニセ科学の本性を暴く

*1:松浦さんも現在の計画には批判的なようだが、有人宇宙開発には好意的なように窺える