シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

ファイナルアンサー? スラムドッグ$ミリオネア

インド版ミリオネアに一人の青年が出場。瞬く間に勝ち上がり、あと一問で史上最高額賞金獲得、というところで彼は逮捕されてしまう。スラム街で生まれ育ち、教育も受けた事がない彼が勝ち上がった事がイカサマではないか、という疑いを掛けられたのだ。
警察の執拗な尋問に対して青年は驚くべき事を告白する。彼は出題の答えを“知っていた”。彼が答えを知るに至った半生は壮絶なものだった。


やー、どえらい映画でしたわ。ダニー・ボイル監督、サイモン・ビューフォイ脚本ということで、予想はしていましたが、初っぱなのスラム街の疾走シーンなんて、まんまトレインスポッティングですよね。違いといえば、原色にも近いスラム街の明るさと喧噪。スコットランドの陰鬱で沈んでいくようなスラム?とは対称的な、「野生の王国」的なスラムの活気。インド的、で括ってしまうのは何ですけど、ま、ステロタイプなインドのイメージですよね。
聖と俗、美と汚、富と貧、生と死、善と悪、さまざまなイメージが混在としていて、それをカレーで味付け。
主人公ジャマールは名前で判るとおり、イスラム教徒住民なのですけど、ヒンドゥー至上主義者の襲撃で母を失い、兄サラームと共に孤児になります。そういえば、この襲撃シーンはダニー・ボイルの「28日後…」の“走るゾンビ”と被るものがあります。さて、スラム街の孤児、とくれば、犯罪はつきもの。孤児となった彼らは慈善事業のふりをするムンバイ暗黒街の大立者、ママンにより利用されそうになります。このへんのガキを喰いものにする非合法ビジネスはお馴染みのものですけど、スラムで生きていこうとするなら、才覚にものを云わせてのし上がるか、犯罪者として覚悟を決めるか、どっちかになるわけです。前者が主人公ジャマールとすれば、後者が兄のサラームに振られた役割。何かにつけて甘いジャマールを兄サラームは庇いますけど、結局それがサラーム自身をさらなる闇へ引き吊りこみます。このへんはノワールものならお馴染みなんですけど、そのへんインド映画の味つけがされているのが新しいのかな。
それにしても、スラムというものが生命力溢れ活気ある坩堝、みたいに消費されてしまったら、それもどうかな、という気がする。
この映画を機に、「こちらがジャマールとサラームが育った街ですよ。」みたいな感じで観光スポットになったりして。
「ほら、トタン屋根が延々と続いて迷路みたいでしょ。財布には気をつけてくださいね。」なんて感じに程よく消毒されてしまったら、貧困の抱える問題がすり替えられてしまうような気がするよ。

ところで、「三銃士」って何のメタファなんだろ?