シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

エロとバイオレンスとレイシズム

なんか、どえらくトラックバックが掛かっていたので、何だ?と思ったらfurukatsuさんから。


レイプゲーム上等!! ヘイトスピーチ上等!!
http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20090510/1241973086


なるほど、こんな話が持ち上がってたのですね。


日本製「性暴力ゲーム」欧米で販売中止、人権団体が抗議活動
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090507-OYT1T01111.htm

少女を含む女性3人をレイプして妊娠や中絶をさせるという内容の日本製のパソコンゲームソフトに海外で批判が高まっている。

 日本での販売中止を求める抗議活動を国際人権団体が始めた。このゲームは2月に英国の国会で問題になり、ビデオ・書籍のネット販売大手「アマゾン」が扱いを中止した。しかし、児童ポルノなどの規制が緩い日本では今でも流通している。


一応、読売新聞のミスリードを誘う記事がクソであることは認めます。以前主張したように、一応、フィクションに関しては、公表禁止だとか行う事には賛成出来ません。それこそ以前取り上げたマルキ・ド・サドやらはどうなのよ?という事になりますから。過去に遡れば恋愛小説さえも隠れてコソコソ読まなきゃならないような扱いを受けた時代だってあったわけで、そんなのを繰り返そうってのか、というのが感想です。エロやバイオレンスてんこ盛りであろうとも、フィクションである限りは具体的な人権侵害には繋がらないわけで、精々「見たくないものの目からは隔離する」ゾーニングくらいに留めるべき、とは思ます。

が、同時にこの指摘も注目する必要があるでしょう。


性暴力表現と規制(good2nd)

Equality Now の主張は、問題のゲームが性暴力を肯定的に表現していること、それが性暴力を容認し正当化し奨励するものであること、こうしたゲームが流通することは性差別をなくす上で障害となっており、日本政府はこうしたものに対抗し性差別をなくしていく義務がある、と要約できるでしょう。そして、メーカーには販売中止を求め、政府には禁止(ban)を求めています。

こうしたゲームが犯罪の増加につながっているから禁止せよ、というような主張ではなく(だから「ゲームと現実の区別が云々」という批判や強力効果論云々という批判は的を外していると思います)、差別を容認し温存し性暴力を肯定していることが問題とされているわけです。だから問題はエロではなくて差別なのであって、というか、差別問題がここではエロという形で現れている、ということだと思うのです。

http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20090514/1242334288


なるほど。これはまったくその通りですね。レイプゲームがゲームとして流通しうる土壌こそが問題、という訳です。女性を貶めるような、例えば痴漢被害に対して

どうしてレイプを嫌がる権利はあって、レイプする権利はないのでしょうか。

世間ではレイプちかんは女が悪いのは常識だと思いますが、最低最悪なのはレイプちかんの悪口を言う女であるの見解がネットでは主流ですが、マイノリティ少数派としてどう思いますか。

おれはレイプちかんの99割は冤罪だと思っています。

本当に疑問なのは非処女がレイプされてきづつく事があるのしょうか。使用済みなのに、悔しいです。

元々、女が男性に姿を見せるから何かをしなくてはならなくなります。

1人暮らし、電車で1人でのる、スカートで女を満喫して、化粧して上目使いでこび、男性のいる会社で働く、男性のいる学校に行く、

そういう女の責任おちどはなにもないですか。

1人暮らし、電車に1人で乗る女は自分からレイプを招いているとしか思えず、男性に文句を言えるのですか。

男性に姿を見せずにいればレイプされることはありません。

腕力のなさ、知識のない子供はそれだけで罪なので文句は言えません。

おれは、幼稚園のときカマほった男を返り討ちにした。幼稚園児にできるのだ、女にできないとは言わせない。

本当に、男性に甘えないでほしいです。

揶揄のつもりなくまじめに書いているのでまじめに返事をお願いします。

http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20090418/1240059138#c1240905252


と言ってしまえるような、そうした意見が一定以上の支持を集めてしまうような。
また、

集団レイプする人は、まだ元気があるからいい

と発言してしまう選良がいたり、擁護されるような。そうした日本の女性蔑視の風潮が問題だ、というわけですね。
では、こうしたレイプゲームを禁止したら、差別撤廃へ進むのか、といえば、それも違うでしょう。
どうすればいいのか、といえばgood2ndさんが仰るとおり、「現実の性差別を無くしていくこと」な訳ですね。
自分の解釈ではありますけど、Apemanさんが以前仰った


言論への法規制を懸念するなら・・・

さて、ヘイトスピーチの違法化それ自体を(そして/あるいはヘイトスピーチ違法化の巻き添えを食って自由であるべきその他の言論まで規制されることを)懸念するなら、やるべきことはなにか? 最も重要なことの一つは、ヘイトスピーチ南京事件否定論などを市民(研究者含む)が自発的に批判することによってそれらを徹底的に周縁化し、無害なものにすること、そうやってヘイトスピーチ規制のための立法が必要ないと内外に胸を張れる状態をつくることである。

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20081217/p1


も同じ意味であろうと考えます。平たく云ってしまうなら


エロゲーの規制を懸念するなら、性差別の方を批判し、(エロゲーの存在がorエロゲーの存在に)影響を及ぼし得ないものとしてしまう必要がある。


ヘイトスピーチの規制を懸念するなら、差別や歴史修正主義を批判し、(ヘイトスピーチの存在がorヘイトスピーチの存在に)影響を及ぼし得ないものとしてしまう必要がある。


事例を挙げましょうか?暴力表現に関して云えば、日本はアメリカなどよりも規制の甘い国です。批判を浴びる事もありますが、しかしそれは日本において銃器によるような凶悪な暴力はほとんど無害化され、周縁に追いやられているからです。日本人は銃器を野放しにするような事を許容しない。銃器犯罪に寛容ではない。それでこそ、フィクションの暴力表現に対して過剰な規制は必要ない、と主張出来るわけです。


レイプゲーム上等!! ヘイトスピーチ上等!!


と叫ぶのはまったく構いませんが、であれば、なおさら女性差別などに対して真摯に対応すべきだと思いますよ。歴史修正主義に対しても同じです。