シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

自滅する地方 連立方程式を解け

ども、相変わらず地方衰退ネタは反響が大きいですね。
さて、前回のエントリーで

「もちろん、自分は「コンパクトシティ」が処方箋だと考えていますよ。それはなぜか、といえば「連立方程式」の「解」だから、です。」

と述べたわけですけど、この辺を説明していきましょう。
何かしら課題が設定された場合、最も効率が良いのはそれらを纏めて解決する手段を用いることです。いわば「連立方程式」の「解」な訳ですね。
では、「コンパクトシティ」はどのような「課題」の「解」なのか?


まず、最初に押さえておかないといけないのは、「コンパクトシティ」というのは、和製英語である、ということ。現在では日本の地方自治体での多くで、コンパクトシティは取り上げられていますが、まったく根本を押さえていません。「中心市街再活性化」であるとか、「複合商業施設建設」などによって“コンパクトな街”を謳い文句にしますが、以前説明したとおりです。


・道路を広げてはいけない 自滅する地方都市

さて、中心市街地の居住人口や来街者数の増加も政策的に進めようと(中心市街地活性策と略す)長年やって成果が出ていないのはなぜか。

それには二つの理由があると考えます。

一つは、中心市街地活性策と並行して、郊外化策を進めている事。
(略)
もう一つの理由が、適切な中心市街活性策をとらないこと。

http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20070626/1182849631


まったくチグハグな政策を行っているのです。
実際には、“街がコンパクトであるかどうか”は付随的なものでしかありません。
一番重要な事。それは、“都市内から自動車を排除すること”です。それが出来なければ、巧くはいかないでしょう。
アメリカでは“new urbanism”(新都市主義)もしくは“transit-oriented-development”(公共交通指向開発)と呼ばれます。ここではハッキリと「都市内からの車の排除」が記されています*1
どういうことか?自動車は実際には都市内交通手段としてはまったく非効率的な代物です。もし、あなたが自動車に乗るのであれば、都市内の移動で自動車の平均時速がどれくらいになるか測ってみるといいでしょう。まず、平均時速20kmを超える事がマレである事に気づくはずです。なぜか?それは都市内での自動車の律速は「信号のタイミング」で決定されるからです。ほとんどの都市(中心部)では自動車は慢性的に渋滞を引き起こします。


東京渋滞ランキング
http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/09about/jutai_kankyo/jyutai/mobility/ranking.htm

教えてください。あなたが知っている「いつもの渋滞」


走行中に追い抜いたはずの自転車に信号で並ばれた経験がありませんか?ママチャリではない、真っ当な自転車に乗れば平均時速20kmで30分程度走る事はわけない事です。
これも試してみるといいのですが、休日の早朝などにちょっと自転車で車道を存分に走行してみましょう。すると、極めて走りやすいことと要する時間が短いことに驚きます。これは信号も自動車もあまり気にせずに走れるためです。つまり、都市内交通においては自動車を用いるよりも、自転車の方が有効なのです。なぜなら、自転車は交差点において信号無しでも交差することが可能ですが、自動車では不可能だからです。自動車と自転車の占有面積を比較してみれば判ります。自転車が信号を律速としなければ、信号を律速とする自動車よりも遙かに早く移動出来るのです。少なくとも移動距離5km圏内では、自動車は自転車より有効な手段ではありません。


・「都市」における「あるべき自転車の役割」
http://www.plan.cv.titech.ac.jp/fujiilab/pdf%20files/bicycle_part

ここで,もし自家用車がその都市の移動の主要な部分を占めていれば,そこで必然的に生ずるのが「渋滞」である.言うまでもなく,都市という多様な交流のための場には,狭い場所に多量の移動の需要が集中している.その一方で,自家用車による移動は他手段に比して格段に広い“面積”を必要とする.かくして,自家用車に過度に依存する都市においては,「渋滞」が不可避的に生ずる.その結果,人々の円滑なる交流は阻害されてしまうこととなるのである.例えば,バンコクやマニラなどで想像を絶する交通混雑が生じているのは,こうした背景によるものに他ならない.

(略)

その結果,最も重視すべき移動手段は,自動車でも公共交通でも,そして,自転車でもなく,「徒歩」であることを指摘した.必要とされる面積の少なさからも,また,その移動活動そのものの“意味”の多様さの観点からも,「徒歩」こそが都市において最も重視すべき移動手段であると考えられるのである.その一方で,最も相応しくない交通手段は,一人あたりの移動に求められる専有面積が最も大きい「自動車」(クルマ)であることを指摘した.

(略)

その上で,「公共交通」と「自転車」が,「徒歩」と「自動車」の中間的な優先順位を担う存在であることを指摘した.そしてさらに,公共交通と自転車とを比較するなら,専有面積の観点から考えて,駐車(駐輪)問題も併発しうる自転車よりも,一台の車両を共有する公共交通を重視すべきであろう点を指摘した.
かくして,「望ましい都市」においては,徒歩を最も重視する一方で,その歩行者の長距離移動をサポートするための利便性の高い公共交通を整備することが重視されて然るべきであると考えられるのである.そしてその上で,公共交通だけではサポートすることが難しい中距離の移動を担う交通手段として,「自転車」を位置づけるという,自転車特有の役割が浮かび上がることとなるのである.そして,少なくとも都市内の交通において自動車(クルマ)が担うべき役割は,上記の交通手段の中でも最も小さなものとして位置づけることが必要とされているのである.


市民・自転車フォーラム
http://www.jitensha.info/report/report.html

愛・地球博瀬戸会場「愛知県パビリオン」にて自動車1台の専有面積に対して、同面積での自転車の駐輪台数・CO2排出量・名古屋市内の移動平均速度を比較する展示をし、多くの方に共感をいただきました。また自転車マップも開催全期間、常設展示されました。


自転車に乗れない人はどうするか?そこにこそ、LRT、トラムと呼ばれるような公共交通機関が利用される余地があるわけです。自動車が頻繁に往来する道路ではLRTが有効でないことは判りますよね?日本各地の「路面電車」が廃止になった経緯には、「(自動車)交通の妨げになる」という理由がありました。裏返せば、自動車を排除した都市にはLRTなどが適しているわけです。
しかしながら、このような公共交通機関は自家用車の普及につれて衰退したのは散々説明してきました。つまり、自転車・公共交通機関と自家用車はトレードオフの関係にあるのです。


自動車を必要としない都市においては、土地の有効活用も可能です。自動車が占有する道路に比べれば、自転車も公共交通機関も遙かに小さい面積しか必要としないからです。


こうしてみると、「都市からの自動車排除」は
・渋滞解消
・騒音減少
・交通事故減少
・公共交通機関の運営維持
・都市内の土地有効活用
に繋がる、というわけです。これらの問題を個別に解決しようとすれば面倒な話です。
例えば、ITS構想というのがあります。多額の資金を投じて高度交通システムとしてのインフラ整備を進めようというわけですね。


ITSとは?(国土交通省道路局ITSホームページ)
http://www.mlit.go.jp/road/ITS/j-html/whatsITS/index.html#top_tab

ITSとは、最先端の情報通信技術を用いて人と道路と車両とを情報でネットワークすることにより、交通事故、渋滞などといった道路交通問題の解決を目的に構築する新しい交通システムです。


ITS:本格導入で交通事故3割減 総務省試算
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090510k0000m040104000c.html

交通事故は約3割減り、渋滞による時間のロスも年間3億7000万時間削減できる−−。車同士が無線で情報をやり取りすることで交通事故を回避するITS(高度道路交通システム)が本格導入された際の効果について、総務省がこんな試算をまとめた。

 システムは、通信機を搭載した車同士が、位置や進行方向などの情報を相互に無線で交換する仕組み。さらに、交差点やカーブに設置したセンサーが車や歩行者を感知して、事故の危険性がある場合に運転手に警告する仕組みも想定されている。無線には11年7月に停止するアナログ放送の周波数の一部を活用し、政府は12年からの本格実用化を目指している。

 総務省は実証実験の結果などから、システム導入で追突や出合い頭の事故が減り、普及の進んだ20年には交通事故件数が3割減ると試算。車の修理や通院費などの金銭的損失額も、現在の年間4.4兆円(04年度推定額)から3兆円程度に抑えられると見ている。また事故渋滞や無理な運転が減る効果で渋滞の解消効果もあり、渋滞による時間の損失(台数×時間)は、現在の年間37億時間から1割削減できると見込む。

 ただ実用化には課題も多い。通信機同士や周波数帯の近い地上デジタル放送との電波干渉を回避するなどの技術面や、通信機を車や道路に設置するための法整備などで、総務省国土交通省、経済団体などが官民合同で解決に向けて取り組んでいる。【中井正裕】


しかし、「自動車の排除」によってこのような資金を投じなくても解決を図れるわけで、これこそが「連立方程式」の「一つの解」というわけです。


このような都市では拡がった市街よりは小さくまとまっている方が都合が良い。これは判りますよね。都市内で用事を済ますのに広範囲を移動するのは効率が良くない。それよりは、小さくまとまっていれば要する時間を短縮出来る。考えれば、モータリゼーション以前の都市が“コンパクト”であったのは当然なのです。
もともと日本においては農村部でさえ「集落」という形で、家々は寄り添い集まっていました。富山県の砺波平野や岩手県の胆沢平野は日本には珍しい「散居村」ですが、近代の開墾地を除けば各家々が散らばった村落は成り立ち難かったのです。村落以外の町、例えば「城下町」や「宿場町」「湊町」「寺内町」が「等身大に」まとまっていたのは言うまでもありません。


逆にモータリゼーションゆえに「郊外化」は「可能」であった、と言えます。自動車が無ければ現在のような「郊外」はありえない。公共交通機関(や自転車)では広範囲に拡がり、人口密度の低い地域の交通を担うことは出来ません。公共交通機関の運営が維持出来るのは、ある程度以上の乗客数が見込めなければならないからです。実際、地方においては郊外化とともに公共交通機関が廃止・撤退していったわけです。
ですが、自家用車があれば「郊外」が成り立つのかといえば、それも違います。このような「郊外」はインフラ整備・維持の面で問題がある事は再三説明してきました。同じ人口、同じインフラで人口密度に差があれば、一人あたりのインフラ整備・維持費に違いが出るのは理解出来ますよね。そのような事態が全国の地方自治体の財政問題の一因になっているのです。
もちろん、かつて人口が増加した高度成長期であれば、郊外の開発にまったく意味が無かったとはいいません。問題は人口も経済も停滞、そういって悪ければ安定期に入った現在に、高度成長期やバブル期にあった計画を今なお引きずる事にあります。


もし、それでも郊外の一戸建ての生活にこだわり、自動車によるドア・トゥ・ドアの生活を「選択する」というのであれば、出すものを惜しんだり、住民サービスが低下する事に文句をいうべきじゃないでしょう。しっかり税を納めましょう。大事な「郊外型生活」を維持するためです。


ちなみに、郊外型生活はみんなが望んだ、「選択」した結果だ、とか、自然の成り行きである、とか言ってる人はid:hokusyuさんのところで「選択」というものについて学び直しましょう。


我々は自分達が思っているほど「自由な選択」など出来ません。例えば、小泉純一郎による「構造改革」を思い出してみればいいでしょう。「構造改革に賛成か反対か、反対なら抵抗勢力だ」のように恣意的な二者択一が設けられました。このような状況では「選択」の余地はあるようでありません。郊外型生活も自動車も同じです。自動車は憧れの的、文明の象徴、そのようなイメージが喧伝され、本家アメリカでも進められた「郊外型の一戸建て」生活とともに政府の政策に盛り込まれた中で、それがみんなの選択だ、などとは云えないのです*2。そもそも、「自動車を要しない便利な都市内交通」という概念も、「密度が高くても快適に暮らせる都市内集合住宅」も選択肢として与えられていなかったのに、どうして「郊外型」生活が「選択」の結果、などといえるのでしょう。


「選択」というのは、手札を全て明かした上で行われるものなのです。


このような「コンパクトシティ」の概念に対して、日本には向かない、だという意見があります。笑ってしまいますね。こんなところまで「日本特殊論」が登場するなんて。
以前、自然エネルギー導入に関して説明したところ、「日本では太陽光発電は向かない、風力発電は向かない」などという意見を貰ったことがあります。一方で、そのような意見を述べる人は、「(断層が多く地震が頻発する)日本に原子力発電は向かない」などとは言わないのです。他にも「日本では死刑廃止は馴染まない」「日本には裁判員制度は向かない」などという意見も聞かれます。ここでも日本では凶悪犯罪が他国より少ないというような「特殊論」は考慮されません。


コンパクトシティも同じです。「中心部が無いからコンパクトシティは向かない」と述べますけど、「国土面積がアメリカの25分の1なのに人口は2分の1でしかない、つまり人口密度で10倍以上の日本、しかも平野部の比率も少ないのに、自動車のための道路に土地を利用するのは向かない」とは述べないんですよね。


でも、“new urbanism”“transit-oriented-development(TOD)”って、日本の都市が手本になってるんですよ。“new urbanism”というのは、旧来の、例えばコルビジュエの「輝ける都市」であるとかライトの「ブロードエーカーシティ」に対する新しい都市主義なわけですけど、おそらくはジェイコブスによる近代的都市理論批判や、エベネザー・ハワードの「田園都市」構想が根底にあるでしょう。ハワードの「田園都市」は近代日本にも影響を与え、「田園調布」「宝塚」が有名、ましたが、これらは正確には「田園郊外」と呼ばれる性質のものです。ハワードがスプロール化が進むロンドンに対する処方箋として提唱したものですが、その提唱したプランの中でマンフォードが高く評価した、とされるのが「鉄道によってネットワークされたクラスター化された都市」である点です。つまり、都市の人口密度を高めて都市領域を広げない。もし、人口が増えたら都市を広げる代わりに“新たに都市を設け、それらの間を鉄道でつなぐ”構想でした。
これはつまり、日本の都市近郊私鉄沿線の街の造りそのものなのです。ですから、“transit-oriented-development”になるのです。


このようなコンパクトシティで重要なのは中心部などではありません。重要なのは「領域」です。ハワードやマンフォードが述べたように、都市を広げてはいけない。その点こそが重要なのであって、都市の「中心」などというのは象徴的な意味でしか無いのです。
例を挙げますね。世界で最も素晴らしい都市、とも言われる南米ブラジルのクリチバ。ここでは中心部はトランジットモール化されていますが、それ以上に重要なのはバス(ここのバスは連結型で格好良いです)路線を軸として都市を展開している点にあります。車よりもバスの方が利用しやすく、その連結点が中心部になるように設定されている。どってことない地方都市のスプロール化対策のために「中心部を設定し直した」のです。それが国連人間居住会議において「世界一革新的な都市」と呼ばれるようになったのです。


世界的に先進的な都市も同じです。ドイツはフライブルグのヴォーバン。以前取り上げましたが、ここはもともとフランス軍駐留の基地跡です。人口密度を高く保つために公共集合住宅群を建設、そこをLRTでフライブルグ市街地と結びつける。ここにも中心などはありませんでした。基地跡ですからね。自動車を極力排除し、公共交通機関を活用し易くして、人口密度を上げる。これによって「環境都市」として知られるフライブルグにおいても先進的地域と目されるようになったのです。


市街中心地の住民のエゴ?郊外地住民の不満?それは幾らでもあるでしょうよ。当然じゃないですか。クリチバだって、ヴォーバンだってミュンスターにもフランクフルトでもフローニンゲンだってアムステルダムだって当然ありました。それらの住民対立や葛藤について知りたければ文献はあります。やれない理由なんて幾ら挙げても意味がありません。なぜなら、すでにやり遂げた人々がいるのですから。先例も無い状態でビジョンを頼りに人々を根気よく説得し、実現した人々の偉業に比べたら、それに範をとって行動に移すなんてずっと楽な事です。それさえ行動に移さない事をやれない理由を挙げて正当化を図るなんてあまりにみみっちいだけです。


このようなコンパクトな自動車を排除した街では、交通弱者、とりわけ障害者や子供、高齢者が行動しやすい事は言うまでもありません。これは当然メリットと言えるでしょう。高齢者、に限りません、が自分の足で行動することは老化防止や疾病予防に繋がるでしょう。これらも当然メリットと言えます。


「高齢者の交通安全行動調査」の概要
http://www8.cao.go.jp/koutu/juten/silver2.htm

 1) 高齢ドライバーの車依存度は非常に高い。
 運転免許の保有率は29.9%、免許を保有している高齢者の75.6%は、週3〜4日以上運転しており、都市規模別では町村の場合は運転している高齢者の85.9%(大都市は63.3%)
 2) 運転に不安を感じても、運転から引退したくない高齢ドライバーがかなり多い。
 「運転に不安を感じた」場合「運転から引退する」が52.9%、「その時になってみなければ分からない(やめたくない)」が32.3%

(略)

高齢者の外出目的は「買い物」「通院」が多い。
 「買い物」で外出する高齢者が63.6%、「通院」で外出する高齢者が58.1%、以下「趣味」が31.3%、「健康維持」が23.3%、「友人宅訪問」が22.2%


児童生徒の交通事故防止対策の強化について
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19781113001/t19781113001.html


これ以外に、解かれるべき「連立方程式」の「解」もあります。


昨今、話題になりましたね。温暖化ガス削減中期目標。麻生首相等は自画自賛していましたが、すっかり「化石賞」扱いの温暖化ガス排出削減量に留まりました。この手の問題になるとやたらと「無理」と云うことがさも現実を踏まえた地に足の着いた自分、みたいな連中が現れてウンザリしますけど、日本の削減目標はあまりにみみっちく、かつ個人レベルに「努力」を強いるものになっています。


温暖化ガス削減中期目標、経団連会長「世論調査に整合性ない」

日本経団連御手洗冨士夫会長は25日の記者会見で、世論調査で1990年比7%減の支持が最も多かった温暖化ガス削減の中期目標を巡り、「最後に決めるのは首相だが、国際的な公平性、実現可能性、国民負担の妥当性をふまえた決断を期待している」と述べた。目標は2020年を目安にし、政府が6月までに6つの案から絞りこむ。経団連は同4%増が妥当との姿勢を崩していない。

 御手洗会長は7%減の案について「政府の資料では1戸あたりの負担が月5000―1万5000円になる」と説明。一方、別の世論調査では「約6割の人が月1000円以下の負担なら良いとの結果だった」として、2つの調査には「整合性がない」と指摘した。「内容をもっと説明して国民の理解を得ることが必要だ」と強調した。

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20090526AT3S2501625052009.html


温室ガス、4割超が7%減を支持 世論調査

 内閣官房は、京都議定書に続く温室効果ガス削減目標に関する世論調査結果を24日、公表した。

 2020年までの削減幅の選択肢のうち、回答者の45・4%が、省エネ機器導入を積極的に進める「1990年比7%減」を支持。日本経団連などが強く主張している「4%増」への支持は15・3%。最先端の省エネ機器導入義務づけなどで削減を進める「15%減」が13・5%。最も厳しい「25%減」を支持したのは4・9%だった。

 質問には、対策に伴う国民への負担が示される一方で、温暖化が及ぼす被害に触れられておらず、「甘い目標しかできないように国民を誘導しようとしている」(気候ネットワークの浅岡美恵代表)などの批判もある。

 国際的に負担を分担する方法に関しては、日本が8−17%の削減を求められる「GDPの大きな国が対策コストを多く負担する」との考え方への支持が42・4%と最も多い一方で、他の先進国に比べて日本の削減幅が特に少なくなる「これまでの削減努力が十分でない国が大きく削減する」は15・9%にとどまった。

 「温暖化対策のために1カ月当たりの家計の負担がどの程度増えても良いか」との問いには「1000円未満」が41・2%と最も多かった。
47NEWS(よんななニュース)

http://www.47news.jp/CN/200905/CN2009052401000395.html


ですが、これらの削減目標に関する話にはすっかり欠けている部分があります。
運輸部門のおける「自家用車」の排出量は決してバカにはならないのです。


運輸部門の地球温暖化対策について
http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/environment/sosei_environment_tk_000006.html

【各輸送機関の排出量の割合について】
 2007年度では、我が国における二酸化炭素の排出量のうち約2割を運輸部門が占めています。また、運輸部門からの排出量のうち約半分が自家用乗用車からの排出となっています。


そして、その自家用車の利用実態は短距離の移動がそのほとんどを占めています。


1. 福井都市圏の都市交通の実態
http://info.pref.fukui.jp/toshi/pt/1-2jittai/1-2.html

* 自動車利用によるトリップ数は、平成元年と比べ約2割増加しています。(図7)
* 目的別にみると、私用目的でのトリップ数が平成元年と比べ1.94倍と特に増加しています。(図7)
* さらに、私用目的の内容を見ると、平成元年に比べ“「大規模小売店へ」の「買物」”が2.02倍、また、“「学校や教育施設へ」の送迎や習い事などの「その他私用」”が3.75倍と、特に増加しています。(図8)

(略)
# 自動車利用によるトリップ数は、短距離(2km未満)での移動が、平成元年と比べて1.26倍と特に増加しています。(図9)
# この要因の一つとして、近所への買物や、子供の学校や塾への送迎など、短距離での自動車利用が増えたことが挙げられます。(図10)


堺市の交通ビジョン
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_koutuseisaku/koutu_vision_02_01.html

〜公共交通利用が減少、自動車利用が増大〜

堺市に発着する交通の交通手段利用は、鉄道が約15%、バスが約2%、合わせて約17%に対して、自動車は約34%と公共交通の倍近い状況にあります。

また、この20年間の推移をみると、鉄道・バス利用が2割減少していますが、自動車は6割増となっており、とりわけバス利用の減少が大きくなっています。

(略)

〜短距離の移動でも自動車利用が1〜3割を占める〜

区の中での移動に利用する交通手段は、徒歩が4〜5割、自転車が1〜4割弱で、平均で徒歩・自転車が約7割を超えています。

一方、バスの利用は少なく、南区が3.1%で最も高く、最も低い東区では0.5%、平均では1.9%となっています。

また、区の内々のような移動でも、自動車は1〜3割利用されています。


身近な交通の見直しによる環境改善に関する研究(報告書の要旨)
http://www.nies.go.jp/kanko/tokubetu/sr79/index.html

平日は7〜8時台の通勤(7%)と17〜18時台の帰宅(28%)、休日は10〜16時台の家事・買い物(19%)あるいはレジャー(13%)の利用が多く、主要な移動の目的となっていることを明らかにした。また、10km未満のトリップの頻度は全体の約66%と多い一方、CO2排出量の寄与は全体の約28%であることを明らかにした(図4、5)。さらに、トリップ距離帯が短いと、平均速度が低く排出係数が大きい傾向があり、排出係数は、10〜29km帯で全距離帯平均と等しく、3〜9 km帯で平均の17%増し、1〜2 km帯では平均の44%増しとなることを明らかにした。


つまり、自動車に頼らないコンパクトな街、は個人に努力を強いる事無く、温暖化対策を進める事が出来るわけです。


さらに付け加えるなら、若年貧困層にとって自動車による移動が前提である地方は決して過ごしやすい場所では無いですよね。ですから、「若者に自動車が売れない」というメーカーやディーラーの嘆きに対して、皆吹き上がったわけでしょう?


“クルマ離れ”の若者にアピールする自動車ビジネスとは?
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0708/24/news077.html


(自動車+若者+離れ or クルマで検索)


住まいだってそうじゃないですか?今までの住宅政策というのは「郊外化政策」と一体化した「持ち家」指向だったわけです。若い頃は賃貸の集合住宅で我慢し、“いつかは”「一戸建て」。長期に渡るローンを前提に一戸建てを持つ事が、「勤め人(正規雇用労働者)」の夢であり目標だったんです。それは労働のインセンティブを生み、高度経済成長の一因になった事も常識の範疇ですよね。


ですけど、現在の労働環境、とりわけ若年層にとって、そうした「夢」ってもはや成り立たないもの、というのも常識では無いでしょうかね?


・ハウジングプア、声上げよう 支援ネット結成
http://www.asahi.com/national/update/0315/TKY200903140253.html

「派遣切り」で住まいを失った労働者らを支援する「住まいの貧困に取り組むネットワーク」の設立集会が14日、東京都内で開かれた。参加した市民団体などのメンバーは公共住宅の増築など、住まいのセーフティーネットの充実を求めることを確認。集会後に新宿区内をデモ行進した。

 パネルディスカッションでNPO法人自立生活サポートセンター・もやいの稲葉剛代表理事「公共住宅を増やしてこなかったことが、ハウジングプア(住まいの貧困)の問題につながった」と指摘した。

 「全国追い出し屋対策会議」の徳武聡子さんは、家賃滞納を理由に強制的に住居から追い出す行為を取り締まる法律が整備されていない現状を説明。低所得者層の居住権を守るよう主張した。


日本における「持ち家政策」の手本はアメリカですけど、その「持ち家政策」の末路こそが「サブプライムローン騒ぎ」でしょ?正規労働者の減少にもかかわらず、持ち家拡大を進めれば、当然の事ですよね。で、ヨーロッパなどでは、「都市部における低所得層向けの公共集合住宅」を設けることが住宅政策の重要なポイントにして社会福祉政策の一環として捉えられているんです。
どちらの方がマシなのか。考えてみてください。


じゃ、ついでに医療・福祉問題にも触れましょうか。


自動車偏重と肥満の関係:17カ国で比較調査
http://wiredvision.jp/news/200901/2009010521.html

こうしたデータを、米国人は怠惰で車が大好きだからという理由に結びつけるのは容易だろうが、本当はそう簡単ではない。欧州の都市は建物や施設が密集し、交通網が高度に発達していることが多い。一方、米国の都市はスプロール化[都市が無秩序に拡大していくこと]が進み(アトランタやダラス、フェニックスに行かれたことがあるだろうか?)、公共交通機関のインフラは一般にそれほど整備されていないので、車を使わずに徒歩や自転車で移動するのが難しい場合がある。


自動車に頼り体を動かさない、交通事故による障害、または交通事故を怖れて外出を減らす、どれも健康を損なう可能性があるわけでしょ?それも個人の問題、という考えもありますけど、その状況を強いられている人がいることも確かなのです。


「都市交通問題」「医療・福祉問題」「環境問題」、これらの問題解決にはそれぞれ予算が充てられています。それを「自動車に依存しないコンパクトな街」への再編で効果を得られるわけです。であれば、縮小のための財源が無い、などというのはおかしな話でしょう。
もともと、「郊外化」に対して多額の土木費(一般会計、特別会計)が投じられて進められてきたわけです。せめて「郊外化」を止めること、それにより多額の土木費が浮きます。それを「コンパクト化」に投じれば良いのではないですかね?少なくとも「郊外化」よりは効果的です。さらに、「都市交通問題」「医療福祉問題」「環境問題」に投じられる予算の幾分かを利用すれば良いと思うんですけどねぇ。どうなんでしょう。
次回は、そのへんの試算を行っていきます。

*1:クリストファー・アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」を参考のこと

*2:こうした意見に合理的推論で異議を唱えたのが宇沢弘文