シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

自滅する地方 崖っぷちのポモ

朝日新聞1/13夕刊で、昨年にも取り上げた東浩紀が「2010年底からの旅」という企画でインタビューに答えている。


これがね、また、まったくダメダメな代物なの。

ゼロ年代」の思想・批評は「スカスカ」だった、と語る。それが、2000年から10年間の総括だ

「何の社会的影響力もなくなりました」


と語っていて、その後グダグダと言い訳めいた反省?が続くんだが、相変わらず自己分析があまいのよ。

「ただ、僕が一貫して言っているのは、そうした『所与の環境』からも、理念は導き出せるということです。多くの人が受け入れているように思える一見ネガティブな状況を、プラスの評価に逆転させていくことは可能だ、と。これは、『かつて良かったものがダメになった』式の発想からは、けっして出てこないものだと思うんです。」
たとえばショッピングモール。「安価な商品の消費をあおり地域文化を壊す『ファストフード化』の代表として批判されがちですが、コスト面から見てもバリアフリーの進展度合いから見ても、高齢者や子連れには快適な場でしょう」。子どものいる東さんは、そう実感している。
 逆に云えば、従来の都市空間がいかに「ある人々」を排除しているか。「ショッピングモールは、公共性の再考を促す可能性を秘めた場所なのではないでしょうか」


まぁ、地方都市問題やショッピングモールの問題は、ここでも何回か述べてきているのだけれど、単純な消費行動に絞った話じゃないし、そもそも“批判されがち”って認識がそもそも逆だろ?この20年あまりアメリカの後追いするようにショッピングモールのような郊外開発型大規模店舗が展開されてきたわけで、批判どころか多くの人たちは歓迎していたわけじゃん。それも、ポモアズマンのいうような理屈で。


むしろ、そのような効用は本当なのか?という視点を持ち出す人は少数で、今だって「(一般)道路を造るな、延ばすな、拡げるな」とか、「ショッピングモールは地域経済を衰退させ、長期的に見れば地域民の消費行動にもマイナス」なんて意見は行政にも一般人にも受け入れられた試しが無いんだけどね。だからこそ、こういった場でシコシコと書いていたりするわけだが。


例えば、安価で品揃えが豊富に見えるが、地域雇用を奪い*1、競争相手を潰せばむしろ売れ筋しか用意しなくなる、事を藻谷浩介氏は指摘している。
子連れ、には快適でも、そこへ行くには車が必要であり、子ども達だけだったり、免許や自家用車を持たない人々は行動制限されているも同然、という指摘もある。高齢者にとっては自家用車を利用する事を不安がる人も多い(かといって選択肢が無ければ免許も返上できない)。
こうしたショッピングモールの問題点を指摘した意見は、夥しい研究の結果としてある。日本においては、宇沢弘文氏、上岡直見氏、服部圭郎氏、前出の藻谷氏、矢作弘氏など自分が知ってるだけでも何人もの識者が調査・研究に携わったわけだ。


それを「子どもがいるから」という「実感」で「理念を導き」出してしまうわけですか。
南京に行っても、「虐殺」を「実感」出来ないから、と疑いを持ってしまうアズマンらしいですな。
まぁ、そんな事じゃ、確かに「社会的影響力」など持ちようも無いでしょうよ。「民主主義2.0」とやらにもまったく関心持てないけど(だって、自分のブログに対するブクマを公開することも出来ないヤツがどのツラ下げて「民主主義2.0」だよ)、好きにやってください。

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)

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壊れゆくアメリカ

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*1:個人事業主から非正規雇用に替わるわけだから