シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

ぼくのかんがえたナチス

ナチスの「25カ条綱領」は日本人必読では
http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program


もう、バカだったら黙っときゃいいのに。なんで新自由主義者って連中は歴史まで「ぼくのかんがえた○○」を開陳するかね。

その25か条綱領には、次のようなものが含まれている。
(略)


まず、ここに載せなかったのが何なのか説明してみろって。wikipediaから引用しながら、こういう真似するかね。
だいたい、ナチを形作る綱領は次の部分がナチスの性格付けているだろ

1. 我々は、民族の自決権を根拠として、全てのドイツ人の1つの大ドイツへの合同を要求する。
2. 我々は、他国に対するドイツ民族の同権、ヴェルサイユ条約およびサン=ジェルマン条約の廃止を要求する。
3. 我々は、我が民族を扶養し、過剰人口を移住させるための土地(植民地)を要求する。
4. 民族同胞のみが国民たりうる。宗派にかかわらずドイツの血を引く者のみが民族同胞たりうる。ゆえにユダヤ人は民族同胞たりえない。
5. 国民でない者は、ドイツにおいて来客としてのみ生活することができ、外国人法の適用を受けねばならない。
6. 国家の指導と法律によって定められた権利は、国民のみがこれを有する。ゆえに我々は、いかなる公職も、それが国家のものであるか州のものであるか市町村のものであるかを問わず、国民のみによって占められることができるようにすることを要求する。我々は、人格や能力を考慮せずにただ政党の視点のみによって占領されている腐敗した議会の体たらくに対して闘争する。
7. 我々は、国家がまず第一に国民の生活手段に配慮することを約束することを要求する。国家の全人口を扶養することが不可能であれば、外国籍の者(ドイツ国民でない者)は国外へ退去させられる。
8. 非ドイツ人の今以上の移民は阻止される。我々は、1914年8月2日以降にドイツに移住してきた非ドイツ人が、直ちに国外退去を強制されることを要求する。
9. 国民は全て同等の権利と義務を持たねばならない。

(略)

22.我々は、故意の政治的虚言およびその報道による流布に対する法的な闘争を要求する。我々は、ドイツ的報道機関を創造することを可能にするため、以下のことを要求する:

a. ドイツ語で発行される新聞の全ての編集者と従業員は民族同胞でなければならない。
b. ドイツ以外の新聞はその発行にあたって国家の明確な許可を必要とする。それらをドイツ語で印刷することは許されない。
c. 非ドイツ人によるドイツの新聞に対する出資または影響は、法律によって禁止される。違反に対する罰として、そのような新聞企業の閉鎖、および関与した非ドイツ人の即時国外追放を要求する。
d. 公共の福祉に反する新聞は禁止される。我々は、我が民族生活に退廃的な影響を与える芸術・文学的傾向、および行事の閉会、上述の要求の違反に対する法的な闘争を要求する。


だいたい、前半(私が取り上げた部分ね)と後半で色合いが違うのは一目瞭然で、ナチスが寄り合い所帯だった頃の名残なんだもの。実際、ナチスが政権を窺えるくらい伸長すると綱領は自然消滅していく。それも、wikipediaに載っている。


ナチスの公共事業を含めた経済政策が優れていた事は一般に知られている事でもあるが、ケインズも政策を評価していたらしい。未読ではあるが。


ヒトラーとケインズ(祥伝社新書203) (祥伝社新書 203)

ヒトラーとケインズ(祥伝社新書203) (祥伝社新書 203)


ナチスの経済政策が、ユダヤ人差別などからドイツ国民から目を逸らした、という点はあるかもしれない。が、それであるなら、むしろ「経済(金融)政策が大事で、戦争責任問題などは瑣事に過ぎない」とする政治家やその信奉者の方が問題では無いの?こういう輩は新自由主義と親和性が高そうだけど。


参考:植民地支配も人災です
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100816/p1


それに、歴史的に見て、ナチスが敵視したのが共産主義/社会主義であって、さらにナチスと事を構えたのが、「ニューディール政策」、政府関与を積極的に進めて市場放任主義に釘を刺したフランクリン・D・ルーズベルトである事も無視しているし*1
でさらに加えるなら、ミュンヘン一揆のあと、ヒットラーは政界保守派や財界の援助を受ける。ナチスのメディアを総動員しての選挙活動は潤沢なスポンサーからの資金提供無しには行われなかった、なんてのは常識の範囲だと思ったんだが。

もちろん、ナチスの政策だから全部間違っているということにはならないし、ナチスの政策にも正しいものはあるかもしれない。重要なのは、ナチスの政策が正しいか間違っているかというよりも、「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方そのものが危険だ、ということなのだ。

正誤・善悪によらず、何かを他人に「強制」するという考え方にこそ、全体主義ファシズムへの萌芽がある。何かを他人に「強制」してもいいと考えている人は、自らの無謬性(誤りがないこと)をまったく疑っていない。自らの正しさを確信すること自体は問題ないのだが、それを「他者に強制する」ことから問題が生じる。


これ、全然違うから。全体主義ファシズムでなくても、他人に強制する政治体制は存在する。全体主義ファシズムを形作るのは、そんなものじゃないから。

自由主義リバタリアニズムがこの「強制」を嫌うのは、何が正しいのか、何が善なのかということに関して、唯一の絶対的な基準があるということを疑っているからだ。自由主義者リバタリアンは、つねに異なる意見、異なる価値観を共存させ、多様性を認めることで、社会は発展するし、また社会は安定する、と考える。

自由主義者が政府より市場を好むのも、政府は「強制」するものであり、市場は「自由」な取引で成り立つものだからだ。

うん。だから大間違い。市場はプレイヤーだけじゃ成り立たなくて、「ルール」と「ジャッジ」が必要であり、「ジャッジ」により「ルール」遵守がプレイヤーには課せられる。でなければ「市場」じゃない。
プレイヤーに好きにさせろ、というのは、ジャイアンのび太
「正々堂々と殴り合いで決めようぜ!」
というのと同じだから。
「オマエのものはオレのもの。オレのものはオレのもの」を形を変えて言っているにすぎない。

よって、政府は「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方の危険性や副作用をよく理解して、どうしても「強制」を行使しなければならない場合にのみ、きわめて慎重に行使すべきなのだが、日本政府はそれをあまり理解しているようには見えない。最近また大店法の話が出てきたりしているのを見ても、「これは善なのだから、他人に強制してもいい」ということを、むしろ無邪気に信じているかのようだ(特に民主党は、以前からこの傾向が目につく)。その規制が経済をブチ壊すことを理解できないのだろう。それも経済産業相が、である。


どうやら、民主主義の政府における施策の意味を理解していないんじゃないかな?政府とは国民の代表者であり、国民全体の意見として仮託したものだ。直接民主主義ならもっとストレートに意見反映されるだろうが、それはここでの論点には無い。だから、「強制」というのは「自分の意見に合わないから、押しつけたもの」と感じているだけだろう。
もちろん、問題のある施策はあるだろうし、それは批判されるだろうが、それは「政府」から「強制」されるから問題なのではなく、施策自体の問題点が取り沙汰されなくてはならない。


で、大店法の問題に対しては、拙ブログの「自滅する地方」で説明したとおり。むしろ、大店舗野放しの方が経済を縮小させる。本当にこいつ大丈夫かな?

民間人は「ゲームプレイヤー」であり、政府は「ゲームデザイナー」である。企業や民間人は、政府のような「強制」力を一切持っていないのだから、社会問題になるような「構造」問題に対しては、企業や民間人には責任が生じようがない。これは「システム」の問題なのであり、よって責任があるのはもっぱら、「強制」力によって制度設計をおこなった政府である。それなのに、民間の企業を「ワルモノ」扱いして、その行動をさらに規制すれば問題が解決すると考えているのだから、まるで逆だ。セーフティネットは必要だが、市場を規制してもセーフティネットにはならない。


ああ、二周遅れのバカ話をしたいヤツだったのね。「政府」と「企業」「民間人」を二項対立に置くのがそもそも馬鹿馬鹿しい。「民間人」はすなわち有権者であり、「企業」なども積極的に(不相応なレベルまで熱心に)政治介入するではないの。


コイツの話がいかにアホかの実例がある。


ミルトン・フリードマンはかつてコイツのような論理でもって、ナチスソ連を、ファシズム共産主義を批判していた。それは良いとしよう。
が、そのフリードマンはチリのアジェンデ政権がクーデターによって崩壊すると大喜びしたという。その後のピノチェト政権は軍政下において新自由主義政策を推し進めた*2
つまり、「おい、お前ら、市場で自由にやれよ!」
と銃を突き付けて「強制」してくださったわけだ。その「新自由主義」の「強制」をフリードマンは肯定したのである。

「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方は、まさに「パターナリズム」である。それは、親が子供に対しておこなう場合であれば許されるだろうが、社会のなかで他者に対して「強制」をおこなうことは許されない。しかし、この「強制」が唯一、合法的に許されているのが政府である。


まさに「市場」による「自由」な取引が「善」だから、他人に強制してもいい、って事。
人々が「新自由主義はゴメンだ」という態度を表明する事はどう受け止めるのかな。それを「強制」と捉えるのか、それともそれも選択肢だ、と捉えるのか。


ま、いずれにせよ、「規制を緩和すれば経済が活性化する」「自由な市場が経済を活性化させる」という考え自体が間違いだから。間違いを幾ら飾り立てても無駄だし。


それにしても、「肉屋に師事するブタ」ってのは、懲りないモンなんだね。
では。

*1:アメリカの保守派はどちらかといえばナチスに親和的であった

*2:もちろん、背後には「新自由主義大好き」アメリカ、が糸を引いていたわけだが