オスプレイを「正しく怖れよ」
沖縄県の普天間基地へのオスプレイ配備に関して、日本政府が「安全性の検証」と県民への「理解に務める」そうです。
オスプレイ 合同委、安全策協議
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012072602000247.html
まあ、どんな検証をするつもりかは全然判りませんが、一つ判っている事があります。間違いなく「安全性に問題はない」という結果が出る、ということ。すでに結論は出ており、単に取り繕うためだけのセレモニーに過ぎないでしょう。沖縄県民なら誰でも気づいていることであり、その欺瞞に激怒しています。
沖縄県民大会 5万人超参加目指す
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120727/k10013892671000.html
さて、この沖縄県民の憤りに対しての日本社会の鈍感さに対して、「オスプレイを正しく怖れよ」という言葉を補助線として導入してみましょうか。そうすると、「安全性の検証」という茶番自体が内包する問題を可視化します。
日本政府が本当にしなくてはいけないのは、アメリカに対して沖縄県民の要望を伝えることであって、沖縄県民に対してアメリカの代弁者になることではありません。なぜ、アメリカ政府に配備撤回を求めないのか。なぜ沖縄県民の方に「理解」を強要するのか。
オスプレイの安全性については、その筋の専門家とやらが散々と説明してくださるでしょうし、その事故のリスクが、他のリスクに対して取るに足らない、と検証してくださるに違いありません。
しかし、そんなことは問題の大元ではないのです。その言葉がどちらに向けられているのか、誰にリスクの許容を迫っているのか、そのスタンスが問題であり、そして沖縄県民の怒りを深めているのです。
オスプレイだけの問題ではありません。すでに見てきた問題であり、今後もこうした欺瞞は続くでしょう。それに自ら嬉々として荷担するゲスも幾らでもいます。
大飯原発敷地内の活断層調査も同じことが予想されます。
大飯原発活断層 政府自ら調査を 民主原発PT声明
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012072702000102.html
きっと「安全性の問題はない」と結論づけてくれるでしょう。幾らでも異論を唱える人々は現れるでしょうが、政府はその結論を粛々と受け入れて、「国民の理解を得る」努力を惜しまないでしょうね。では。