声高に叫ぶな!
W杯で不規則な生活を送っているところでありますが、件の塩村議員に対するセクシャルハラスメントの話は、相変わらずゲスい状況になっておりますな。
彼女の過去をあげつらって*1問題を無効化しようというゲス共もいますね。メディアでは週刊新潮やら文春がやっているので、ああ、いつものやり口だなぁ、という感想しか持てません。沖縄返還密約問題の時の西山記者に対する手口を彷彿とさせるだけですし。
東京都議会の自民党と公明党の態度も酷いものです。当初は問題を矮小化して幕引きを図ろうとしていましたが、
女性都議へヤジ、抗議1千件 自民、発言者特定せぬ意向:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASG6M5HK9G6MUTIL031.html
塩村都議「不十分」処分要求書受理されず - 政治ニュース : nikkansports
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20140620-1320981.html
反響の大きさにうろたえます。
複数の自民都議「ヤジここまで問題になるとは」:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASG6P6555G6PUTIL010.html
一転して発言を認める始末。
自民・鈴木章浩都議、ヤジ認める 「早く結婚すれば」:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASG6R4CRBG6RUTIL02C.html
が、会派離脱で茶を濁すだけです。
都議会:自浄能力どこに…「鈴木議員以外のヤジ不問」で幕
http://mainichi.jp/select/news/20140626k0000m040090000c.html
本会議前の議会運営委員会理事会で、自民と公明は鈴木氏の謝罪を求める共産の動議提出に反対していた。自民の吉原修幹事長は「理事会で必要ないという結論になった。議会のルールは尊重してほしい」と共産の対応を批判した。他のヤジの発言者については、これまでの主張を繰り返した。「一人ずつ所属議員に確認したが、いなかった」
他のヤジ発言者の特定求めず 都議会が再発防止求め決議:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASG6T53HZG6TUTIL033.html
ヤジを認めて自民会派を離脱した鈴木章浩都議(51)以外のヤジには触れず、発言者の特定も求めなかった。
ですが、
複数都議がヤジ 議場の音声分析「自分が産んでから」も:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASG6W5KBQG6WUTIL020.html
東京都議会で晩婚化対策を質問した塩村文夏(あやか)都議(35)が「早く結婚した方がいい」とヤジを浴びた問題で、複数の議員が立て続けにヤジを飛ばしていたことが分かった。当時の議場の音声を分析したところ、「自分が産んでから」と別のヤジも聞かれた。日本音響研究所の音声分析では、女性蔑視発言を注意する声があったことも分かった。
という話も出てきましたし、今後どうなるか、は我々の問題でしょうね。
で、こういう話では、断固とした処置を望むと急に「やり過ぎ」「売名行為」とか言い出す連中が現れます。
はてなブックマーク:塩村都議「産めないのか」発言で告訴も 外国特派員協会で108人を前に会見 - MSN産経ニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/politics/news/140625/lcl14062508170001-n1.htm
ここには、ゲス連中が大挙集合しており、丁度いい例証になっています。
以前から気になっていたことですが、社会的問題を取り上げたドキュメンタリー作品や小説、映画などのレビューに「問題を声高に叫ばない」「淡々と語る」事を誉めそやす、というフレーズを見ることが増えたような気がします。原発事故に関してもそうですよね。
「声高に叫ばない」のはある種の演出手法と云えなくもないですが、それを誉めそやすことは逆に、「声高な」告発を奨めない、ならまだましで、非難することになります。
もともと、社会的問題を当事者が「声高に叫ぶ」のは、皆が耳を傾けない、真剣に取り合わないからです。問題に目を向けさせるため、当事者は叫ばざるを得ない。なのに、叫ぶと「うるせー!」といい、「淡々と」「冷静に」語ることを強要する。
まぁ、自分達が問題を軽視していたこと、当事者を無視していたこと、を直視させられるのが気に入らない。だから、自分達に直視を迫らない「ゆるい」言葉で、ちょっとだけ啓蒙してよ、ということなのでしょう。
特に、女性差別などマイノリティ問題では当然の権利を主張するだけで、中傷、攻撃が相次ぐようになります。
おそらく、従軍慰安婦問題における否認の構図もこうした事が関係しているのでは無いかと考えているのですが、こちらはまだまとまった考えではないです。
いい加減、マイノリティの権利申し立ては、マジョリティである自分達を不愉快にさせない範囲で認めてやる、みたいな態度はやめませんか。
抑圧されたものが、その抑圧の重さゆえに声を荒げるのは、無理からぬことだ。ところが、それを理解できない多くの人々は、物事はどんな場合でも理性的な話し合いで解決されるべきだという原則を譲らない。その原則は、それ自体としては正しいが、現実の場面でそれを求める人たちは、自分たちが抑圧をしている少数者に対して、数の力で「オレのやり方にあわせろ」と言っていることに気がつかない。
学ぶことを奪われ、読み書きも出来ず、差別されるままに生きてきた人たちが、自己を取り戻し、誇りある存在であると自らを肯定的に認識できるようになるには、差別に正面から立ち向かうという過程が絶対に必要だ多くの糾弾闘争は、部落民が、差別者とのやりとりを肌で体験しながら、差別とは何か、差別に対してどのように反撃していくのかを身をもって学ぶ場でもあった。
そもそも、糾弾される側が冷静な議論を求めるのは、足を踏みつけておいて「冷静に話しましょう」と言うような茶番であって、まずするべきなのはその足をどけることなのだ。冷静な議論はそれからの話である。
(当ブログの「自衛と差別」より辛淑玉さんの言葉を引用)
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091212/1260629555
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