シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

反反原発のイタさ

昨今国内の原発再稼動を巡って色々あるわけですが、ちょっと見受けられる言葉がチョイチョイ引っかかるので意見を述べておきます。

アレな反原発派がイヤになったので反原発をやめた

時々こんなことのたまわる方が現れますよね。いわく、そんなことだから反原発活動は支持を失う、みたいなことです。しかし、こんな言葉を相手にするのは馬鹿げています。
なぜ、反原発の考えを反原発派の好悪で決めたりするのでしょう?原発問題はチェルノブイリや福島が示すように極めて広域にわたり多くの人々の生活に影響を与えます。その問題と真摯に向き合おうとするならば、反原発派、とやらへの賛否くらいでその決心が揺らぐはずもありません。別に反原発派に属する必要などありません。自身のものとして、原発問題に取り組めばいいだけです。私も特にどこかへ所属しているわけではありません。自身の判断として反原発に取り組んできましたし、これからも反原発であり続けます。
それを“反原発派に幻滅したからやめる”?
ずいぶん甘っちょろい人ですね。そんなレベルで原発問題を捉えるようなボンクラじゃ、そもそも反原発側に立ってくれてたって、物の役には立ちません。むしろ、原発推進側にいてくれて構わないくらいです。
もちろん、原発支持の立場を鮮明にしないまま、反原発を腐したいだけ、という事も考えられるわけですが、その場合だって、そんなしょぼい考えのヤツなら、相手にするだけ無駄というものです。
原発派、の態度をいちいち詮索したがるようなバカは相手にするのはやめましょう。

アレな反原発派が反対するせいで、安全な原発へのリプレイスが進まなかった。

こういうことをいう人は、完全に原発というものに無知ですね。原発をリプレイス、など元々無意味にして不可能なのです。
まず、原発の構造というものを考えてみましょう。大雑把には、核燃料集合体を収める圧力容器、それを格納する格納容器そして、発電機と蒸気タービンから成っています。
そのどれをリプレイス、するのでしょうか?(燃料集合体を含めた)圧力容器でしょうか。しかし、圧力容器はいわば巨大なステンレスのボイラーで、格納容器内で容易に交換することは出来ません。放射線被曝のおそれも高いですし。そして、圧力容器と格納容器は一対で、つまりお揃いで造られているために、リプレイスしたら良いといわれるような初期型の原発では、小出力のユニットしか使えません。初期型原発の発電能力は20万〜40万kW、新型のものでは120万kWですが、わざわざリプレイスして出力を上げられなければ不経済です。格納容器も込みで交換となれば、それは事実上、原発廃炉と撤去、新設、を意味します。そんな不経済なことを電力会社がやるはずもないでしょう。だからこそ、電力会社は一ヵ所に続々と原発を新設したのであって、リプレイス、などという儲かりもしないことを電力会社は最初から考えなかったのです。
ですから、原発のリプレイス、などというのが絵空事なだけでなく、その絵空事が実現しないのを反原発のせいにしよう、という二つの意味でイタいのです。

原発派は、原発の安全審査や決定に関わる人材を利益相反だの原子力ムラの住人だと文句をつけるが、他に専門家はいるのか

そもそも原子力に関しては、二つの意味で専門家はいません。原発はさまざまなシステムの集合体であって、専門家、ではその全貌を把握することが出来なくなっています。

サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠

サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠

これは別に原発だけの問題ではありませんが、特に原発のように巨大で複雑なシステムの場合、問題が顕在化しやすいのです。また、現場などでの状況は多重請負構造のために全体に伝わりにくく、その詳細は隠蔽されます。
もう一つの問題は、原子力はこの30年ほど不人気な分野で、ゆえに有能な人材などいない、ということです。すでにスリーマイル島事故の後から原子力に対して楽観的な見方をする人々は減ってきたのですが、チェルノブイリ事故の後、人材はほぼ払底しました。その時分に原子力分野に残ったのは、未だに原子力に夢を見るようなマヌケか、そこしか入れない無能か、どちらかです。ですので、彼らの福島での態度を思い起こせば判るように、総じて浅く、楽観的で、無責任です。特にいわば原子力ムラのトップだった斑目氏はこんな人物だったりします。


フクシマの戦犯・班目春樹元原子力安全委員長が「原発事故は天罰」発言! 現体制にも引き継がれる御用学者の無責任体質
http://lite-ra.com/2016/03/post-2053.html


新作マンガ一覧
http://ponpo.jp/madarame/lec5/list.html


自らの日記?で自己弁護しているつもりなのでしょうが、他者からはドン引きされ、テレビのインタビューでも見ている人を唖然とさせてしまうわけです。こんな人でもトップなのか、こんな人だからトップなのか、いずれにせよ、原子力に人材無し、は致命的です。

原発を止めて電気代が上がると経済にダメージがある

これに関してはすでに「デカップリングでググレカス」で済みますが、少し例を挙げましょう。
昨年の電力需要は着実に減少していますが、日本のGDPは(一応は)増加しています。


電力需要実績 2015年度
http://www.fepc.or.jp/library/data/demand/__icsFiles/afieldfile/2016/04/28/juyou_k_fy2015.pdf


世界的にみれば、CO2排出が初の減少となりましたが、景気減速に見舞われているとはいえ、世界全体のGDPは増加しています。


CO2排出、初の減少見通し 2015年 中国の石炭使用減少で
http://www.afpbb.com/articles/-/3069443


ですので、デカップリングが成り立つ今、原発を止めると経済が・・・みたいな脅しは無益です。もう少しましな話を捜しましょう。
あ、そうそう、

再生可能エネルギーの投資額が過去最高に、2015年に全世界で35兆円 (1/2)
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1604/04/news026.html


だそうです。今後も、再生可能エネルギーは拡大必至な投資先なのですね。経済成長云々いうなら、こちらへ支出する方がよくありません?
ちなみに、原子力については沈没寸前の東芝がアピールしてますが


東芝 原子力事業アピールで米の原発建設現場公開
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160504/k10010508861000.html


NECGコメンタリーシリーズについての紹介と日本へのメッセージ
http://www.jaif.or.jp/cms_admin/wp-content/uploads/2015/12/sp_necg_1208-0.pdf

米国の経験では、既存の原子力発電所は電力市場で財政問題に直面し、電力市場は新規原子力発電所建設を奨励しないことが分かりました。
米国の電力改革プロセスは、通常は元の所有者と新しい所有者の間で期間限定(例えば、10年間)の電力購入契約を締結して伝統的な電力会社所有者の原子力発電所に関する権利を剥奪しました。
これらの電力購入契約が失効するにつれ、電力市場と低い天然ガス価格によってマーチャント原子力発電所(注:電力自由化市場での発電炉/発電所)の損失が発生しました。このことにより、2基の運転中の原子力発電所(キウォーニとバーモントヤンキー)が早期廃止に追い込まれ、さらに2基の運転中の原子力発電所ピルグリムとフィッツパトリック)が早期廃止予定であり、10基以上の運転中の原子力発電所が損失により早期廃止に直面しています。2007年に申請中だった25基以上の新規原子力発電所のうち、わずか2つの原子力発電所だけが建設中です。(ボーグル3、4号機、サマー2、3号機)。これらの原子力プロジェクトのどちらも、電力改革が行われなかった州にあり、どちらもかつての投資家所有の規制された電力会社と公営電力会社が所有者です。 米国の電力市場がある地域では、新規原子力プロジェクトのいずれも前進していません。

原子力および電力自由化に関するアメリカの専門家からの意見です。すでに、原子力に投資するのは無意味なのです。

安全であると確認された原発を動かす(のだから安全だ)

ということは、今までは安全を確認もせず動かしていた、ということでしょうか?それとも、安全だと考えていたが、実は安全ではなかった、ということでしょうか?
もし、前者なら過去の態度に問題がありますし、後者なら現在でも同じことが当てはまるだろう、と言えます。なんといっても、原発は過去トラブルが起こるたびに「今後は安全を最優先に努めます」と言いつづけて来た訳ですから。

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

原発事故はなぜくりかえすのか (岩波新書)

震災による原発事故について東電首脳らの責任を追及しても意味はない

これも同じです。事故が地震による被害によるもので想定外だったのなら今後も同じです。想定出来ないような状況が発生するなら、原発は動かすべきではない、と云えるでしょう。
想定外、というのが嘘であるのならば、その想定を無視した輩、たとえば国会で津波による事故の危険性を指摘されていたのに居直って見せて、しかも現在でも「世界最高水準の安全が確認された原発を稼動させる」とかのたまわる、無責任で恥知らずの男*1を弾劾すべきですね。


私は必ずしも、原発即時廃絶は現実的ではない、と述べる人を十派一からげにするつもりはありません。
たとえば、「チェルノブイリの祈り」を書いたスベトラーナ・アレクシエービッチ氏はインタビューに対して以下のように述べています。


チェルノブイリと福島 核惨禍描いた作家「科学は無力」
http://www.asahi.com/articles/ASJ470PC3J46PTIL01Y.html

(前略) ――核と決別できますか。

 「私は、今すぐ原子力の禁止を求める立場ではありません。将来的には他のエネルギーに代わると思いますが、それはまだ現実的ではありません。ただし、すべては厳しいコントロール下でなければなりません。3月のベルギーのテロでは、原発を破壊しようとしたと伝えられています。もちろん、人類は原子力に代わるエネルギーに到達するはずです」


彼女はチェルノブイリの問題について長く深く取り組んできました。その体験の上で述べる「現実的」意見には傾聴すべき点があるでしょう。
ですが、いわゆる反反原発の人々は、こうした被害者や被災地に向き合ってきていません。そのことはハッキリと透かして見えるので、彼らの「現実的」な意見など聞くに値しないのです。
反反原発の人々というのはしょうもない存在ですが、一番しょうもないのは、自身がそのしょうもなさを意識せず、自身を「冷静で感情的でなく、科学的で現実的」と捉えているところですね。では。

*1:皮肉が通用しないと何なので書いておきますが、安倍晋三のことです。彼は2006年に共産党の吉井議員に福島での津波による被害想定について問われたのに、木で鼻をくくったような答弁を行いました。当時、キチンと対応していれば福島の事故は防げたかもしれません