シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

アパルトヘイト大国日本

もうすぐ米大統領選挙が本格的に始まりますね。前々回、前回の大統領選挙では“バーザーズ”と呼ばれる人たちがちょっとした話題となりました。


過激な米右派、オバマ氏の出生地と大統領資格に難癖
http://www.afpbb.com/articles/-/2626263?pid=4409886


町山智浩さんの「99%対1%アメリカ格差ウォーズ」にも載せられていますが、「オバマ(大統領)はアメリカ生まれではない」と主張し、大統領としての資格なし、と騒いだ人達のことです。オバマ大統領は出生証明書まで公開して、アメリカ国籍であることを示しましたが、バーザーズは疑いの目を向け続けました。なぜなら、彼らの本当の動機は、オバマ大統領がどこで生まれたのか、にあるわけではないからです。人種差別的意識と民主党大統領の足を引っ張れればよかったのであって、その口実が生まれだっただけであり、いくら証明しようと、その主張に正当性がなくても、関係がなかったのです。

同じく、EU離脱騒ぎであまり話題にならなくなりましたが、ロンドン市長選でパキスタン系のサディク・カーン氏が市長に選ばれました。その選挙戦においても生まれを問題視する声が保守党候補ゴールドスミス陣営から発せられました。テロリストと同一視するなど、差別的な主張が繰り返されたのです。この問題は移民問題EU離脱と相まって英国保守層の差別的意識を浮き彫りにしました。


ロンドン市長選で労働党候補カーンが勝利したことの意味
http://bylines.news.yahoo.co.jp/onomasahiro/20160508-00057445/


フランスでも極右政党「国民戦線(FN)」が移民や移民をルーツに持つ市民に対して“ペーパーフランス人”なるレッテル貼りで“本当の”フランス人と、“それ以外”という差別的主張を行い、テロ問題への不安と相まって拡がりを見せています。


テロ遺族に「死んでよかったな」 仏に広がる排斥と憎悪
http://www.asahi.com/articles/ASJ9M7QS8J9MUHBI01H.html


これらの主張は、日本での報道では人種差別的で偏狭な極右思想として扱われていますが、問題が日本で起こると異なるようです。


民進党代表選 党員ら8割、蓮舫氏に投票
http://www.yomiuri.co.jp/local/fukushima/news/20160915-OYTNT50374.html


一見、国籍を問題にしているようでありながら、問題の論点はどんどんずれていっています。実際には、差別と民進党に対する攻撃ができれば構わないのでしょう。他国の差別的状況を報道しながら、蓮舫氏に対して、攻撃者の差別的態度を不問にするのはどうかと思いますね。


今や日本は各国の極右憧れの国になっています。なにぜ、難民申請もほとんど受け入れず、移民に対しても後ろ向きで、国籍取得者に対しても二級市民扱いなのですから。(ちなみに、Twitterで「入管」という言葉を検索すると、クソウヨの呟きがやたら目に入るので、気分が悪いです)
「スゴイ日本」が大好きな方々の認識と異なると思いますが、今の日本は、トランプや「国民戦線」が政権を取った様な、または、オルバン政権のハンガリーエルドアンのトルコ、プーチンのロシア、習近平の中国、の鏡映しにしかすぎません。他人の振り見て我が振り直せ、とはまさにこの事です。
では。

参考:仮放免者の会(PRAJ)
http://praj-praj.blogspot.jp/

どん底よりも底」 ― 届かない収容外国人の声  東日本入国管理センター
http://spork.jp/?p=4997

「感動ポルノ」と貧困問題

先日、Eテレのバリバラで。「検証!『障害者×感動』の方程式」という、日本テレビ24時間テレビを念頭においたプログラムが放映され、話題になりました。番組では、障害者の“頑張り”にだけ焦点をあて、“頑張る障害者”という感動のネタにすることを「感動ポルノ」と批判します。また、「感動ポルノ」を手厳しく批判した、ステラ・ヤング氏のスピーチも取り上げていました。


【生放送】 検証!「障害者×感動」の方程式
http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=239


障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは
http://logmi.jp/34434

(前略)障害者の生活には、実際それなりに困難がつきまといます。乗り越えなければならないことはいろいろとあります。でも私たちが克服しなければならないことは、みなさんが考えるようなたぐいのものではありません。身体の障害は関係ないのです。

私は「障害者」という言葉を意図的に使ってきました。なぜなら、私たちの身体と病名よりも、私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じているからです。(後略)


障害者の障害とは、障害者の側にあるのではなく、社会の側にあるのだ、障害者は頑張る事で社会に感動を与えるための存在では無い、という言葉です。
私は、同じように社会の側に問題のある事柄を当て嵌めたいと思います。

(前略)貧困者の生活には、実際それなりに困難がつきまといます。乗り越えなければならないことはいろいろとあります。でも私たちが克服しなければならないことは、みなさんが考えるようなたぐいのものではありません。家庭の事情は関係ないのです。

私は「貧困者」という言葉を意図的に使ってきました。なぜなら、私たちの収入と雇用よりも、私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じているからです。(後略)


どうでしょうか?我々は貧困者に対して勝手な像を当て嵌めていませんか?つましく、努力して節約に励み、僅かな楽しみさえも我慢して他人の施しを受けまいとする。そんな勝手な貧困者像を作り、頑張る貧困者に「感動」していませんか?感動するのはまだ良いのですが、感動出来る貧困者像を押し付けてはいませんか?
実際にこういう話がありましたよね。


“貧困女子高生”が映し出した深刻な報道の危機

相対的貧困」への理解を欠く、日本のジャーナリズムの現状

http://webronza.asahi.com/national/articles/2016091300003.html


これは、勝手な貧困像を押し付け、その像に合わないからニセモノだと決めつけ、個人の中傷に走った騒動で、いわば貧困の「感動ポルノ」の強要とでもいえる話です。片山さつき氏が加わっているのはいつものことながらヒドイですね。


https://twitter.com/katayama_s/status/766895331401347072

拝見した限り自宅の暮らし向きはつましい御様子ではありましたが、チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょうからあれっと思い方も当然いらっしゃるでしょう。経済的理由で進学できないなら奨学金等各種政策で支援可能!


最初に述べた障害者の「感動ポルノ」批判に同調し、24時間テレビを批判した人でも、貧困問題となると「感動ポルノ」を押し付けようとする方々は結構見られました。つまり、本当に障害者の立場、社会的包接の必要性に共感したわけではなく、24時間テレビの“偽善”を叩くネタがあればよかった、ということなのでしょう。


24時間テレビは確かに“偽善的”で「感動ポルノ」です。でも、“偽善”を嫌う人々が善を為すか、マイノリティに共感を寄せ、彼らに対する社会的問題の解決に取り組もうとするか、といえば、そういうわけではありません。むしろ差別的だったりします。
であれば、24時間テレビの“偽善”の方が、“露悪的”な人々より、何万倍もマシと云えそうです。
では。