日本学術会議への人事介入に抗議する
これほど露骨なアカデミズムへの介入を堂々と行うようになってきたのですね。つまり、こういうマネをしても、国民は問題視しない、と。
さんざん、政権の不正、モリ・カケ・サクラ・黒川・マスク・電通中抜き、とあっても、政権が変わったらパンケーキで支持率アップ、となれば、そら、舐めてかかるのも当然です。先だってのエントリーでも書きましたが、そうするべく振舞ってきたのですから、その結果が出た、という当たり前の出来事です。
学術会議の任命除外「判断は変えない」 加藤官房長官
https://www.asahi.com/articles/ASNB25RWZNB2UTFK01F.html
菅首相「法に基づき適切に対応」と強調 任命外した理由は答えず 学術会議人事
https://mainichi.jp/articles/20201002/k00/00m/010/231000c
まあ、当然ながら安倍がやっていたのを”継承”したというわけで、この国民あって、この政府あり、ということです。
官邸、安倍政権時の16年にも学術会議人事介入 差し替え求め、事実上拒否
https://mainichi.jp/articles/20201002/k00/00m/010/335000c
アカデミズムを軍事研究や歴史修正主義に誘導したいのでしょうけど、くだらないですね。
そんなもの、ナチスや赤狩り時代のアメリカ、旧ソ連のルイセンコ、文化大革命時の中国、と先例はいくらもあるわけで、そのどれもが自由闊達な研究基盤を失った結果、現実に対応する能力を失うようになる、という結果が見えています。特に日本なんて衰退著しいのにこんな真似をやらかせば、幇間御用学者による阿りと誤魔化しが幅を利かせることでしょう。つまり、日本の学界がオール原子力業界みたいなものになる、ということです。
私は研究者人生ももう後半戦。日本の現状にウンザリしており、研究を降りるのもやぶさかではないですが、若手がこんな状況下に置かれるのは耐えられません。
あらためて、日本学術会議への人事介入に抗議いたします。デモ・スト・サボタージュ、協力いたします。
ぜひ、全国の研究者の皆さん、立ち上がりましょう。
では。
目を逸らすなよ
くだらない記事を見ました。
(パブリックエディターから 新聞と読者のあいだで)政権評価の声、感じ取れたか 山之上玲子
https://www.asahi.com/articles/DA3S14639024.html
新聞社には日ごろから、記事に賛同する声も反対意見も届きます。あらゆる人に好感をもたれる記事というのは、めったにありません。とはいえ、憲政史上最長の政権が幕をおろした節目の報道で、みなさんの受けとめ方がこれほどわかれた理由はどこにあったのか。パブリックエディターは、読者と新聞の橋渡し役です。心に引っかかったこの問いに向き合わないわけにはいきません。
何云ってんの?
さんざん、メディア自体が政権維持に貢献してきたじゃないですか。
菅氏がやり続けた東京新聞・望月衣塑子記者への露骨な嫌がらせは総理会見でも続くのか?
https://dot.asahi.com/dot/2020092300060.html
望月記者に対する嫌がらせだけじゃなく、記者クラブ自体が政権に不都合な追及を遮断する役目をバッチリ果たしてきたわけでしょ。ほぼ共犯関係だったし。しかも、情報番組やらで、この会見の様子をキチンと取り上げたこと、とかありました?
黒川検事長、賭け麻雀仲間は朝日新聞“経営部門の要職社員”か…コンプラ推進すべき立場
https://biz-journal.jp/2020/05/post_158433.htm
安倍晋三の会見で答えにもなっていない回答に突っ込みすらしてないでしょうが。で、そのご褒美までこうしてちらつかされているわけでしょう。
首相補佐官に柿崎氏 共同通信元論説副委員長、秋田出身
https://www.asahi.com/articles/ASN9Y3TBKN9YULFA00J.html
メディアのお偉いさんは安倍のメシ友だらけだし。
首相と会食、権力との距離は 記者ら飲食ともにする懇談
https://www.asahi.com/articles/ASN2F7F5NN24UTIL04F.html
これほど、メディアが権力と癒着して厳しい態度で臨めたら、その方が不思議なくらい。むしろ、あなた方が政権擁護に頑張った結果が見事にでましたね、としか言いようがない。
まあ、ナチスの”仕事ぶり”にドイツ国民は満足していたし、アメリカ国民の”赤狩り”への支持は高かった。中国の文化大革命も一般市民が熱狂した結果なわけで、なぜ”大衆扇動”という権力とメディアの華麗なるマリアージュであることを無視するのか不思議*1。
営業的なことを考えるなら、幅広い層へアピールする方が良いかもしれない。だが、メディアの務めとして、声なき声を拾い伝えることに迷ってほしくはない。
もし、本当に迷っているのなら、そちらの青木記者に聞いてみたらどうですかね。
青木美希
https://twitter.com/aokiaoki1111
では。
民営化しない葬儀
中曽根”大勲位”康弘の葬儀を”国葬”として盛大に行うそうです。
中曽根氏の葬儀に9千万円 政府が閣議決定、予備費から支出
政府は25日の閣議で、内閣と自民党による故中曽根康弘元首相の合同葬の経費として約9600万円を計上することを決定した。令和2年度一般会計予備費から支出する。合同葬は10月17日午後2時から東京・高輪のグランドプリンスホテル新高輪で実施される。
https://www.sankei.com/politics/news/200925/plt2009250013-n1.html
でも、中曽根って、レーガン、サッチャーと共に80年代の”新自由主義”、”なんでもかんでも民営化*1”、”小さな政府”の権化だったのですけど。
中曽根元首相死去で改めて考えたい、国鉄民営化の意義と限界
11月29日、中曽根康弘元首相が101歳で亡くなった。1982年から87年まで憲政史上7位の長期政権を築いた中曽根氏は、「戦後政治の総決算」をスローガンに、現在につながるタカ派・新自由主義路線の基礎を作った人物であるが、一般的には日本国有鉄道、日本電信電話公社、日本専売公社の民営化など行政改革を推進したイメージが強いだろう。
https://diamond.jp/articles/-/222752
1980年代以降の行政改革の経緯について
わが国では戦後驚異的に経済復興が進められるが、1973年に高度成長は終わり、1980年代になると財政危機に陥ることになる。そこで政府は80年代以降、財政危機が起きると園危機的状況を打開しようとさまざまな政策を打ち出した。ここでは80年代の日本における行政改革についてそれぞれの背景や主な政策をふまえて考えたい。
1980年代前半、中曽根内閣は「増税なき財政再建」を基本方針とする行財政改革を推し進めた。いわゆる三大公社=日本国有鉄道・日本電信電話公社・日本専売業者の民営化がされたほか、さまざまな民活事業が打ち出されたのである。また国民の負担を軽減する手続きの簡素化・有効期限の延長などのほか、情報・通信とトラック輸送事業の規制緩和にも目立った動きがあった。その結果、一時的に刻の財政状況は改善されたが、1990年代の布教によって再び財政状況が悪化する中で問題となる行政サービスの民営化が改めてクローズアップされた。
バブル崩壊後の1990年代の各政権は90年代前半では、宮崎政権の「資産倍増計画」に代表されるように景気回復策に重点を置いてきた結果、景気そのものは低空飛行ながらも持ち直しの圭灰を見せつつ今日ほど深刻な状態ではなかった。変化を見せたのは第二次橋本内閣による橋本行政である。経済化区画を中心に、「経済・財政・金利システム・社会保障・行政および教育」の6大改革が行われた。経済構造改悪のために行われた規制緩和は、大企業は助かるが大多数の国民にとっては負担が大きいものとなった。1994年から小才依存度が急激に高まり、1996年には多少の経済回復も見られたから、橋本内閣は消費税を5パーセントに引き上げるなど`火だるま`になって改革に従事した。
https://www.happycampus.co.jp/docs/983431251601@hc06/7478/
レーガンは盛大な葬儀が営まれましたけど、サッチャーがくたばる頃にはイギリスでも新自由主義に対する嫌悪感は強くなってましたからね、強い批判がありました。
歯に衣着せぬ監督は、発作後、昨日亡くなった元首相の話題について、彼の思いを忌憚なく語った。
“マーガレット・サッチャーは、現代で最も不和を生じさせ、最も破壊的な首相だった”と彼は言った。
“大量失業、工場閉鎖、地域社会の破壊、それが彼女の遺産だ。彼女は戦士だったが、彼女の敵はイギリスの労働者階級だった。
“彼女の勝利は労働党と多くの労働組合の政治的に腐敗した指導者に助けられた。我々の今日の混乱状態は、彼女が始めた政策のおかげだ。
“他の首相達、特にトニー・ブレアは、彼女と同じ道を歩んだ。彼女が猿回しオルガン弾きで、彼は猿だった。
“彼女が、マンデラをテロリストと呼び、拷問者で殺人鬼のピノチェットとお茶を飲んだことを思い出そう。
一体どうして彼女を称賛する必要があるだろう? 彼女の葬儀は民営化しよう。競争入札にして、一番安い応札者に決めよう。彼女はそれをこそ望んだろう。”長年のサッチャーの論敵、ローチの意見は驚くべきものではなく、セント・ポール大聖堂で行なわれる、サッチャー女性男爵の葬儀は800万ポンドかかると予想されており、1965年のウィンストン・チャーチル卿の死以来最大の葬儀となるという発表を受けたものだ
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-68b3.html
サッチャーがくたばった時、新自由主義による犠牲を払った人々は「鐘を鳴らせ!悪い魔女は死んだ」を使って、その死を祝いました。
反サッチャーの歌大ヒット 「魔女は死んだ」英で
【共同】サッチャー元英首相が8日に死去してから、サッチャー氏の政治路線に反対する人々が死去を祝う歌として使っている「鐘を鳴らせ!悪い魔女は死んだ」が、英国の音楽ヒットチャートで急上昇している。
日本でも、ケン・ローチの言葉に倣って、中曽根の葬儀を民営化しろ!と云いましょう。
まあ、度々触れている事ではありますが、新自由主義者、竹中平蔵が典型例ですが、の述べる民営化(≒小さい政府)の本当の目的は、公共財の私物化、でしかありません。
葬儀1つ取っても、それが垣間見えるわけですね。
”自助”を最初に言い出す首相にしても、葬儀くらい自分たちの金でやれ、とは言わないのでした。
では。
*1:日本では民営化、と呼びますが、正確に言えば私物化です
コロナ時代の都市と都市文化
先日、興味深いコメントを頂いておりました。気づくのが遅れて申し訳ありません。
パンデミックと都市の関係に関しては到底私の手に余る問題ですし、それほど学ぶ間もありませんが、私見について述べるということでご了解ください。
まず、各地における感染状況は都市がコンパクトかどうか、はあまり関係がないようです。
アメリカに関してですが、初期はニューヨーク周辺の感染状況は酷いものでしたが、現在は到底コンパクトとは言い難い、カリフォルニア州やテキサス州でも爆発的な感染状況にあります。
感染者全米最多のカリフォルニアで、デジタル化・リモートワークが進展(米国)
米国カリフォルニア州の新型コロナウイルスの累計感染者数は、8月下旬時点で66万人に上る。全米の州で最多だ。経済活動の制限が続き、企業は厳しいビジネス環境下に置かれている。
https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2020/c9fa240add8304c7.html
米国の人口当たり感染者数、ジョージア・テキサス・フロリダが上位
(CNN) 米国の新型コロナウイルス感染者数を人口当たりで見た場合、ジョージア、テキサス、フロリダが上位3州を占めることが分かった。米南部と西部ではここ数週間、1日当たりの感染者数が減少に転じていたものの、依然として国内最多の水準にあることが浮き彫りになった。
https://www.cnn.co.jp/usa/35158417.html
ヨーロッパ各地も初期こそ感染状況が酷かったものの、現在は抑え込んでいます。
一見、都市の過密状況が感染に与える影響は大きそうですが、どちらかといえば、都市の規模によるように見えます。
東京、大阪、名古屋のような大都市は、到底コンパクトシティなどではありませんし*1、地方都市の問題とは異なる状況にあります。
私が述べている「コンパクトシティ」に関する話は、地方都市に関する話、地方都市が郊外化によって空洞化し、都市たり得なくなる、ことに対する警鐘なので、規模、という点ではあまり問題にならないように思います。
コンパクトな都市、であっても別に人がギューギュー詰め、というわけでなく、特に私が述べているのは、“クルマ(自家用車)を極力使わないで済む街”であり、それに対応した施策は感染拡大に繋がる、ということにはなりません。
むしろ、現在の感染対応策として、各国では都市からクルマを排除する動きが見えます。都市の屋外は充分な距離を空ければ人が安心して移動や滞在出来る空間になるのですが、クルマはその妨げになる、ということで、クルマを都市の道から排除し、徒歩や自転車に開放するのがトレンドになりつつあるようです。
新たな都市は(クルマではなく)自転車とバスと歩行者のためにつくられる #1
https://wired.jp/membership/2020/08/27/cities-without-cars1/
新たな都市は(クルマではなく)自転車とバスと歩行者のためにつくられる #2
https://wired.jp/membership/2020/08/28/cities-without-cars2/
この記事は、まるで私が書いたんじゃないか、というような記事ですが、ということで、コロナ対策とコンパクトシティは相反する、的な議論は当たっていないと考えています。
さて、前から気になっていることなのですが、今回のコロナ騒ぎで強く感じる違和感があります。
それは、東京から地方への移住、という話になると、なぜか地方というのは地方在住の人間でも住むのを躊躇うような過疎地、ということになるのは何故か?ということです。
人気番組「ポツンと一軒家」のイメージですよね。
ポツンと一軒家
https://www.asahi.co.jp/potsunto/
地方移住、というと「山と海が近く、自然豊かで人々が素朴で優しい、食材も滋味に溢れて美味しい、お金では買えない豊かさ」的なフレーズで語られる肯定論と、「雑草や虫、害獣との戦いに悩み、保守的で排他的な連中との付き合い方に苦しみ、食材ったって安くはないだろ」的な否定論を見かけるのですが、この論議からは「地方都市」(または、地方郊外)はスッポリと抜けています。
本当の地方移住の受け皿となるべき地方都市を地方自治体自身も軽視し、空洞化と郊外化を放置と言うか促進させているのが問題なのですけどね。
ちょっと例としてまたまた静岡市を取り上げてみます。
一応、静岡県の県庁所在地で、政令指定都市*2、人口は70万弱、ですが、実際は旧清水市を併せてなので、40万強の都市(旧静岡市)と30万弱の都市(旧清水市)という構成です。その両者とも、いわゆる「夜の街」もあれば、商店街、旧静岡市の中心市街にはデパートもまだ残っています*3。地方都市でデパート、それも伊勢丹、松坂屋、PARCO、マルイが残っていることは驚くべきことです。このことが奇跡的であることを大都市圏住民は判りませんし、当事者の静岡市も気づいていません。
https://www.isetan.mistore.jp/shizuoka.html
松坂屋静岡店
https://www.matsuzakaya.co.jp/shizuoka/
静岡マルイ
全国各地の地方都市中心市街からデパートが失われており、デパートが無い地方都市も珍しく無い状況であることを考えれば、静岡市はこれを守ることを検討しても良いのですが、積極的な方策を取ってはいません。ちなみに、旧清水市側は、デパートは撤退しました。他の地域と同じ状況にあります。
いわゆる都市生活に伴う雰囲気というか、状態。都市文化とでもいうべきもの。魅力的な地方都市にはまだそれが残っているところがあります。衰退が進む地方というのは、この、地方の中核となる都市、単なる住民居住地というのではなく都市文化を持つ地域、を失ったところが多いように思うのです。都市文化の重要性については、ジェーン・ジェイコブスの次の書籍がおススメです。
私は静岡県中部の郊外地に住んでいるのですが、静岡市の中心市街地、静岡の住民は“おまち”と呼びます*4 は何となしに出てくるところです。
週末、何となしにぶらついても何かしらのイベントがあり、イベントが無くても、店を廻ったり、喫茶店に入っても、映画を見ても、昼呑みしても、公園で昼寝してもよし、なのです。最近では若い人がお店を出すケースもボツボツあり、中にはクラフトビール製造に乗り出すところもあります。
AOI BREWING
もちろん、大都市圏に比ぶべくも無いレベルではありますが、それでもささやかな都市文化があるのです。
地方移住を考える人に知ってもらいたいのは、地方都市にもこうした都市文化があるよ、ということであり、その担い手を地方は欲している、ということです。
豊かな自然や田舎も地方都市の場合、アクセスは容易です。静岡市の場合、(駅から)南に5kmも行けば海、北に5kmも行けば山間地が見えてきます。地方都市のコンパクトさ(保たれていればですが)は、都市生活と村落的生活のアプローチを容易にします。
それこそが、大都市圏に質、量で劣る地方の優位性ではないかと思うのですが。
残念ですが、先日、静岡市中心市街の大型書店「戸田書店」が閉店しました。私も何度となく訪れ、そこそこ購入していた書店でした。ネットで書籍を買う事も出来ますが、やはり、沢山の書籍に囲まれた空間でなんとなく本を探す愉しみ、というのは得難いものです。静岡市からはそうした都市文化が一つ失われたわけで、他にも徐々に失われるものはあるでしょう。
「素敵」「心が洗われる」 閉店前の書店に置かれた1個の「檸檬」をめぐる交流に心が温まる (1/2)
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2008/16/news025.html
私の住んでいるところには都市文化はありません。クルマによる移動が普通になった地域では都市文化は消滅します。クルマによる移動は地域概念を破壊し、巨大ショッピングモールが消費の場として勝利します*5。ショッピングモールは企業により消費行動が管理されている場所であり、都市文化は無い。「ゾンビ」でショッピングモールが舞台なのは、それが”人間”の生活の営みでは無いことを示しています。
私がコンパクトシティについて述べるのは、危機に瀕している地方都市を守りたいからです。一旦、都市が空洞化し、単なる郊外の連なりに変われば、そこにあった都市文化は失われ、取り戻すのは容易ではありません。
日本の地方都市はどこも衰退の危機に瀕しています。なぜか地方自治体はそれを食い止めようとせず、むしろ衰退に拍車を掛ける政策を進めています。それが私が“自滅する地方”と呼んでいる理由なのですが、“まち”は単なる人口密度が高く人が多いだけの地域ではなく、まさに都市そのものである、ということに気付いてほしいと思います。
では。
静養をおすすめします
熱い*1日々が続いてますね。
政府が対応を取らないことで、GOTOキャンペーンはシャレにならなくなっています。
で、安倍首相の健康問題が取りざたされているようです。
首相の公務再開「思いが強い」官房長官
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200819/k10012572981000.html
繰り返し「休んで」と… 菅氏の進言に安倍首相は
https://www.asahi.com/articles/ASN8L7WGSN8LUTFK017.html
クソほどに役にも立たず、電通バラマキだとアベノマスクだとか、いらんことしいなので、大人しく静養してもらえばいいと思います。
静養場所として、こちらなんかおススメですね。
二度と表舞台に出てこないで下さい。迷惑なので。
では。
追伸:近日中にコメントに頂いたコロナと都市問題の件をエントリーしたいと思います。
*1:暑いよりこちらが合っている感じです
GO TO ?
コロナと長雨に打ちのめされる日々が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
新しい生活なんちゃら、には全然馴染めないロートルではありますが、そんな私でも鼻白むような話が「GO TO キャンペーン」ですね。
高齢、若者団体はGoTo対象外 宴席伴う旅行も「利用控えて」
https://www.at-s.com/news/article/politics/national/787750.html
この状況で無理矢理実施するより、観光関連従事者への補償を行い、時期を見て行えば良いと思うのですが、どうみてもコロナ拡大とそれによる一層のダメージ、となるでしょう。第二インパール作戦、の異名に納得しましたが、COVID-19さんも手ぐすね引いて待っているようです。
もう、どうみてもGO TO HELL! という感じですね*1。
では。
アメリカに必要なのは融和ではなく、一層の分断
昨今、日本の政治・経済状況の悪化は著しいことを何回か嘆いてきましたが、アメリカも酷いものです。トランプの思いつきとさえ云えないような行動に振り回され、深刻な状況になっていますね。民主党の政権奪還かトランプ再選か、となると必ず現れる言葉に、(アメリカ)国内の融和、というのがあります。最近だとオバマ氏らまで登場して、寛大と融和を説いちゃったりしてますけど、私はこれには異なる意見を持っているのです。
元大統領4人、米の分断憂う 黒人暴行死で相次ぎ発言
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020060400707&g=int
アメリカに必要なのは融和などではなく、いっそうの分断、そして分割です。
というのも、アメリカは“すでに分断”されているからです。
以前、取り上げた金成隆一氏の「トランプ王国」にはアメリカの白人保守層に拡がる“風景”*1が描かれています。そして、その彼らが描く“本当のアメリカ”の姿、ハッキリと分断されたそれは、アメリカが一つではない、ことを示しているのです。

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実際に、この姿は現在のアメリカの姿を正確に捉えています。東・西部海岸地域(北部13州やカリフォルニア州など)は民主党が強くリベラルな土地柄。中・南部地域(テキサスやアラバマ、ミシシッピ、ルイジアナなど)は共和党が強く保守的な土地柄。大統領選挙でもこの傾向は鉄板で、両勢力が均衡している州がスウィングステートと呼ばれて大統領選の帰趨を決めるのです。
これらの州を比較してみましょう。
各項目 | 東・西部海岸諸州 | 中・南部諸州 |
---|---|---|
政治姿勢 | リベラル | 保守 |
大統領選 | 民主党支持 | 共和党支持 |
銃規制 | 賛成 | 反対 |
中絶権利 | 賛成 | 反対 |
宗教 | 多様 | キリスト教 |
進化論 | 受容 | 拒絶 |
世界像 | 地球 | 世界は平坦 |
LGBT権利 | 受容 | 拒絶 |
男女平等 | 受容 | 否定的 |
ヘイトスピーチ | 拒絶 | 受容 |
労働権利 | 積極的 | 消極的 |
国民皆医療保険制度 | 積極的 | 否定的 |
社会福祉 | 積極的 | 消極的 |
教育 | 積極的 | 消極的(宗教的なものは許容) |
温暖化対策 | 積極的 | 否定的 |
国際関係 | 積極的 | 消極的 |
安全保障 | 多国間主義 | 単独主義 |
大雑把に抜き出してみました。実際には州内でもグラデーションがありますし、一つに括れるわけではありませんが、大まかな傾向というヤツですね。
我々がステロタイプ的に思い浮かべる“アメリカ人”とはこれらの集積体であって、テンガロンハットをかぶってブーツを履き、銃を腰にぶら下げるような輩はニューヨークにはまずいませんが、テキサスではありふれていたりします。東・西部海岸諸州と中・南部諸州では社会・産業構造も人々の意識も、信じるものも、大きな違いがあるのです。
アメリカ国内の融和を説く人々は、一つのアメリカ、を強調しますが、これほどのギャップを埋めることは難しい。政策は妥協的にならざるを得ず、問題解決に繋がることは少ない。
アメリカ全体の政策は1970年代より保守的なものになってきました。共和党の大統領が保守的・新自由主義的政策を打ち出し、民主党の大統領はそれに歯止めを掛けようとするが不徹底、という流れです*2。
さて、こうしてみると、互いに想像を廻らすことも難しい人々を融和させることは困難でしょう。
人間様はサルが変わった生物などではなく、神が創りたもうたもので、女は男から神が創ったから劣る存在で男に逆らう女は生意気だ。生殖の権利?売女のタワゴト。黒んぼは野蛮で、メキシコ人は盗人で、アジア人はずる賢い。銃保有は憲法修正第二条に記された権利で、家族や社会を守るのに絶対必要だ。社会保障?医療保険制度?甘えだ甘え。貧乏人は自己責任だし、カネを恵んでやるとツケ上がる。教育だと?聖書に書かれていることだけ教えときゃいいんだよ。世界は丸い?聖書にそんなこと載って無いぞ。勉強したヤツなどロクなもんじゃない。
こういう人たちと融和、っていってもねぇ。
女性・マイノリティ差別が激しく、自分に甘く他人に厳しく、すぐに暴力に訴え、子どもの教育にも不熱心。こういう夫がいる夫妻が「家庭が上手くいかなくて」と言った場合、融和を説きます?
「互いに理解しあえ」だの「協調してやっていかないと」とか言いますか?
離婚一択でしょ。
さっさと別れた方が良いですよ。そうアドバイスするでしょうが。
なので、アメリカは人々の意識も、社会・産業構造も、望む社会像も地域で差があるのですから、その地域で分割してしまった方が良いと思うのです。それぞれの国をどう名づけるかは知りませんが、仮にUSAとCSAにしましょうか。どうせ、かつての名前でもあるのだし。政策も似たようなもんでしょう。それぞれ気に入る政策の側に移り住んでもいいですし。
内戦でも何でも、他国に迷惑を掛けなければ好きにして貰えばいいと思います。
では。

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一応、本気にされるとなんなので言っておきますと、安易に融和を説くのは”足して2で割る”ことにしかならない、という話です。