私は、絶対に、どんな状況になろうと、軍事研究は行いません。
軍事研究を行うくらいなら研究者を辞めるし、この国にも未練は無い。
防衛省の紐付きも拒否する。
では。
「2001年宇宙の旅」「幼年期の終わり」等の数々の作品で知られる作家、アーサー・C・クラークには「優越性」*1という短編があります。ストーリーは、ある元軍高官の申し立て、という体裁で語られる宇宙戦争の顛末です。そこでは、ある宇宙戦争が、優勢側の科学者が発案する「新兵器」や「新戦術」によって形勢逆転し、ついには敗北を喫する、という奇妙な話です。その味方を逆アシストする科学者の弁解には、さるムラ世界の御仁たちを思わせる不思議なリアリティがあります。
アーサー・C・クラークは第二次世界大戦中、軍のレーダー研究に関わっていました。バトル・オブ・ブリテンは英軍がレーダーを駆使して戦況を有利に進めましたが、その貢献者の一人であるクラークは、こんな皮肉な一篇を描いているわけです*2。
さて、巷のデュアルユース論の何が問題なのか、といえば、つまり「優越性」ほど極端ではないにせよ、「新技術による兵器」や「戦術」というのは、それほど安易なものではなく、充分に改良し、検証されなければ使い物にはならない、ということです。
私は若いころからアウトドアでの活動を趣味としたのですが、今とは違い、気軽に手に入る道具はほとんどありませんでした。あっても高価で専門店でなければ買えなかったり。そんな中で比較的安価で実用に耐えたのが「米軍放出品」というヤツでした。無骨で飾りっ気も無いものでしたが、頑丈で耐久性が高く、使い勝手が良かった。いわゆるヘビーデューティというヤツです。MA-1ジャケット、だとか、クロノグラフなんてのも、その流れですよね。いわゆる民生品とは違う、証明済みの実用品、そういう扱いの道具がありがたかったのです。
つまり、単純な道具に留まらず、軍事レベルで利用されるものは民生レベルとは全然違うのです。これは、単に耐久性とかだけでなく、そもそもの運用体系や目的、思想が違う。民生品をそのまま軍事転用、などそもそもできないのです。
民生品やその技術を軍事転用するには、それなりの「転用研究・開発」が必要です。だから、軍関係が欲しがっているのは、デュアルユース、軍事・民生の両方に使えると称する、研究などではなく、軍事利用・転用するための研究・開発従事者、なのです。
そのための囲い込み手段こそが、研究予算を防衛予算から助成すること。心理的障壁を下げる、または、しがらみを作るか…
もともと、デュアルユースだ、というなら別に防衛予算経由でなくても良いのです。あえて防衛予算から研究費を補助すること、それこそが軍関係者にとって重要な意味があるわけです。
軍事研究への関与の是非をめぐる論争では、デュアルユース論(例:電子レンジ、インターネット、ロケット、原子力、等々)を見かけますが、発言者はほぼ問題点を理解できていないのです。
では。
福島第一原発の汚染水が垂れ流されることとなりました。
政府はしきりに「科学的根拠に基づき」という詐術を用いています。
しかし、重要なのは科学的根拠などではありません。たとえ、その「科学的根拠」とやらが正しいとしても、問題を起こした側が強行することは許されないのです。
例を挙げましょう。
例えば、あなたに対して誰かがほかに容器がないから、といって使用済み検尿カップにビール注いで「さ、飲んでください」と言ったとしましょう。あなたはそれを飲みますか?
尿は「科学的には」無害です。出したては無菌状態だし、有害物質も含まれていません。もし、有害物が入っているとしたら、注がれたビールを気にするより、尿を出した人の健康を気にするべきです。遭難時に尿を飲んで助かる人は数多く存在しますし、何なら好んで飲む人々もいます。(飲尿療法で検索してみるといいでしょう)
ですが、「科学的根拠に基づけば」無害であっても、私は使用済み検尿カップでビールを飲まされるのはゴメンです。
この問題の本質とは、科学的根拠、にあるわけではない、というのはそういうことです。人の同意なしに、勝手に物事を進めることの是非が問われているのです。
大体、政府が責任を持つ、といいますが、原発事故の責任は政府も東電も取っていません。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220617/k10013676431000.html
ほぼ同じ証拠と争点なのに…旧東電経営陣の責任を問う訴訟の判決が民事と刑事で正反対になった背景
https://www.tokyo-np.co.jp/article/226007
むしろ、政府と東電、そして原子力ムラのいずれも責任回避に全力を注いできました。
私に責任がある、と言った原子力関係者は一人もいないのです。
だいたい、どう責任を取るのでしょう?原子力事故の被害は甚大で広範囲かつ長期に及ぶことはすでに知られています。なにをどうしたら責任を取ることができるのでしょう?また、「責任を痛感する」だけではないか、と疑ってしまいますね。言葉を信用などできるわけがない
もっとダメ押ししてしまえば、「科学的根拠」事態が疑わしいのです。
政府も東電も「処理水」、放射性物質汚染された地下水をALPSでトリチウムしか含まれないレベルまで浄化した水、だといいます。それが本当だとすれば、「処理水」とは「純水」レベルということになります。
私は仕事で純水をよく利用します。純水製造装置には「脱イオン水」と「蒸留水」の二種が取り出せるようになっていますが、自分は「蒸留水」の取り出ししか使いません。
「脱イオン水」では、浄化が充分では無いからです。「脱イオン水」は逆浸透膜とイオン交換樹脂フィルターで不純物を取り除いたものですが、それでは実験に使うことができないのです。
ALPSはつまり逆浸透膜とイオン交換樹脂フィルターの組み合わせです。となると、その処理量からいっても「トリチウムだけ」には到底出来ないでしょう。というか、出来ていないことは、明らかになっています。
もっと言ってしまえば、放射性物質を希釈して廃棄するのは「やってはいけないこと」です。なぜなら、放射線被曝による健康被害は確率的に生じ、閾値がありません。つまり、薄めれば被曝領域を増やすので、一定数の健康被害を生じさせる可能性がある。(希釈度と発生確率が1:1の比例関係ではないので、影響が小さくなる)なので、放射性廃棄物の原則は、集めて閉じ込め、です。薄めるからいい、というのは放射性物質の管理からいえばダメなのです。かつて、原発推進派が被曝の影響をLT(閾値あり)モデルにこだわり続けていたのは、薄めれば大丈夫、というためでした。
そもそも、政府も東電も何度でもデタラメを繰り返し続けています。信頼に値するような存在ではない。それが、強行すれば批判を受けるのは当然でしょう。
官房長官が「関東大震災時の朝鮮人虐殺は政府内の記録に見当たらない」などと言ってしまう政府が「安全です」などということを信じることは不可能でしょう。
関東大震災の朝鮮人虐殺 松野官房長官「政府内の記録見当たらず」 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
では。
「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」 が売れているようです。私も買おうと思ったら、売れ切れていました。現在、注文中。いつ入ってくるのか。
岩波書店のブックレットとしては異例の売れ行きだそうですね。こうした本が売れるのは良いことだと思います。
まだ、読んでない状況で述べるのも何ですが、感想や一部閲覧できる内容から伺えるのは、歴史修正主義に対する的確な反論だということです。ナチスの行った「良いこと」が、「悪いこと」と表裏一体であることを論証しており、ナチスは良いこともした、という言説に対する効果的なカウンターになっています。そして、「良いこと」だけ抜き出して弁護することの問題を指摘しています。
ちょっと興味深いのが、田野先生に突撃する有象無象たちです。彼らは知識もないのに、なぜ、ナチスを弁護したがるのでしょう。
彼らは、スターリンもよいことをした、ポルポトもよいこともした、とは言いません。
こう指摘すると、スターリン、ポルポトだってよいこともしたことを否定していない、絶対悪などない、どんなものごとにもよい面とわるい面がある、というようなことをいいます。
しかし、その言葉に意味があるでしょうか。なにごとにもよい面と悪い面がある、などと有耶無耶にしても、行為が消えるわけではないわけです。
それは、問題点の矮小化にすぎません。
では、なぜ、彼らはナチスはよいこともした、と云いたがるのか?
おそらく、彼らの目的はナチス自体ではありません。庇い立てるには、あまりにナチスについて基本的知識がなさすぎます。彼らの大概が、「右でも左でもない、日本が好きなだけの、普通の日本人」つまり、ネトウヨ。そう考えると、彼らの動機、意識しているかしていないかはわかりませんが、伺えることがあります。
・朝鮮は植民地でなかった
・朝鮮は日本と併合して発展した
・台湾は日本に感謝している
・日本は欧米列強からアジア各国を解放した
・日本の植民地経営は欧米とは違う
かつて日本が、朝鮮半島や台湾を侵略・併合し、アジア各国に戦火を拡げたことを正当化するためのデマ、これらの構造はナチスの弁護に通ずるところがあります。
つまり、日本はアジア各国に「良いこと」もした、と云いたい人々、こうした人々がナチスの相対化に努めるのでしょう。
あの、悪魔のように扱われるナチスですら「よいことも」した、いわんや日本は…
ナチスとの比較によって日本を免責したいのが本音、隠れた動機なのだと思います。 では。
ちょっと前のことになりますが、トヨタ自動車が開発戦略を転換することが話題となりましたね。。
トヨタ「EV計画」大刷新の衝撃
https://toyokeizai.net/articles/-/576308
現在に至るまで、EV戦略の妥当性について騒ぎは続いていますが、まあ、あきらかにEVへの取組みでは日本の自動車産業は遅れを取っていましたから、ようやく失敗を認めて、スタート台に立った、というところでしょうか。正直なところ、EVシフトにおくれを取っただけでなく、まだ、水素、とか合成燃料とか云っているので手遅れ感が強いですが。
おそらく、数年内に日本の自動車産業は終焉を迎えるでしょう。家電、半導体、PC、携帯電話等に続く失敗の典型例です。
しかし、EVがモビリティの主役となるか、といえばそうならないかもしれない、と私は考えています。別に、内燃機関車が存在感を保つ、という話ではありません。
ちょっと前にですが、国連が世界の都市圏人口増加に関するレポートを出していました。
いわく、
世界の都市圏の人口割合は年々増加傾向にあり、都市人口は2015年の約40億人から2030に50億を超え、2040年には60億人まで増加すると推定されている
(United Nations "World Urbanization Population Prospects 2018" https://population.un.org/wup/ より要約)
ということで、都市部への、それも大都市部への人口集中が続き、人口の約3分の2が都市へ居住するようになる、という予測です。
さて、そうなると居住環境の他、過密化する都市交通とはどうあるべきか、が問題となります。
そこで、先進国、特にヨーロッパの諸都市では、都市空間を大きく占有し、渋滞等の問題を引き起こすクルマを追放する動きが活発化しているのです。
日本でもオランダやデンマークの自転車利用については知っている人も多いでしょう。しかし、現在、もっともラディカルにクルマ排除を進めているのはパリです。
パリ市長、アンヌ・イダルゴはコロナ禍以前から「徒歩や自転車で生活できる街」「車を使わず、日常生活を自転車で15分でアクセスできる街にする」を掲げ、パリ市内交通の主役を自動車から自転車へシフトさせる政策を実行してきました。
(youtubeで 「paris+bicycle」 と検索するといろいろ出てきます)
(https://www.youtube.com/watch?v=sI-1YNAmWlk)
こちらの動画を見て貰えば、かつては自動車で溢れていたパリ市街が歩行者や自転車が安心して通れる空間に変貌していることがわかります。しかも、どんどんその領域は拡がっています。
パリだけでなく、ヨーロッパの諸都市も同じです。自転車先進国のオランダやデンマークだけでなく、ロンドンやベルリン、バルセロナなど、特にバルセロナは自動車の排除を積極的に進めています。自動車大国アメリカでさえ、ニューヨークやサンフランシスコやポートランド等の東西海岸部の都市では自転車利用が進んできています。アメリカでも海岸部の都市が人口の大半を擁していますから、Z世代の意識と相まって自動車の利用が減る日も遠くないかもしれません。
そうなると、世界各国諸都市で交通変革とその成果を取り入れることになるでしょう。
e-bikeやe-scooterは使用する資源もエネルギーも占有面積もインフラも大気汚染も騒音も少なくすることができる。自動車が必要、欲しい、という呪縛から解かれれば、都市緒問題の解決手段として自動車排除が進むことになるでしょう。
日本の自動車メーカーがそうした認識を持っているか判りませんが、世界の自動車メーカーはその問題に気づいているようです。各社はe-bikeの開発・製造・販売に乗り出しています。
都市内交通の望まれる形が、徒歩、自転車、小型モビリティ、公共交通(バス、タクシー、鉄道)のシームレスな連携、つまりMaaS(Mobility as a Service)となるわけで、自動車の存在を疑問に思わないと各社の戦略が理解できないのです。
自動車は交通の主役から滑り落ちようとしています。EV化しても、その存在は都市間交通の補完的役割か、地方の足、好事家の娯楽ということになるでしょう。その視点が無いと、どういうEVを造るべきか、で誤ることになります。というか、日本メーカーは勘違いしているようですが。
日本でもSDGsだGXだと叫ばれる状況なのですから、交通のあり方を考え直す時ではないでしょうか。
参考
世界の「MaaS」新潮流を読み解く 第14回
道路は誰のもの? 歩行者優先、オープンレストラン出店、NYの今
https://xtrend.nikkei.com/atcl/contents/18/00582/00014/
昨今、気候変動対策やウクライナ情勢によるエネルギー安全保障問題で、再び原子力に寄せる期待が大きくなっている、というメディア記事が増えました。
すると、どうでしょう。再生可能エネルギーについてはネガティブな情報以外飛びつかない方々、自称冷静で中立的で科学的な立場の人々、原子力ゾンビが元気になってきております。ゾンビとゴキブリは早めの駆除が良いですから、このへんで、原子力の復活は無いよ、という話をいたします。
間に合わない
まず、大事なことですが、そもそも今から原子力を拡大させても気候変動対策やウクライナ情勢に端を発するエネルギー資源不足には到底間に合いません。
原発は計画から送電開始まで最低でも20年は掛かります。現在の規制状況に適応させた新設となれば、30年経っても完成に至るか判りません。なぜなら、安全基準に対応した新型原発、というものは日本では計画さえされていないからです。新たに設計し製造を始めるにしても、そもそも原発メーカー自体が消滅しかかっています。SMR(小型モジュール炉)については、この後、説明しますが、これも安全基準を満たせるのかすら明らかではないものです。
既存の原発の再稼動に関して言えば、これは最低限の安全基準さえ満たすことが出来ないために再稼動出来ないのであって、それを無理に急がせようとするなら「安全が最優先」というお題目が嘘である、ということになってしまいますね。まあ、実際に嘘だと思ってますが。
今から想定される需要に対応出来るのは、再生可能エネルギーの拡大だけです。
造るところがない
すでに、原発メーカーは世界的に成り立たなくなっています。日本の東芝や日立、三菱重工などがどういう状況かはご存知でしょう。もっといえば、その下請けではとうに原子力に見切りを付けた企業も多く存在します。部材調達等すらままなりません。原子力技術自体失われつつあります。それらを復活させるにしても、喫緊のエネルギー問題には対応できないのは、すでに述べた通りです。日本だけでなく、イギリス国内にはメーカーがありませんし、フランスのアレボも潰れかかっています。アメリカでも同じです。
原発復権に熱心なのは、アメリカ、イギリス、フランス、そして中国、ロシア、インドというわけで、つまりは、核兵器のための原子力技術維持なのです。そんなものに付き合う義理は無いと思うのですが。
新技術、に期待を持ちすぎ
また、勘違いが過ぎるのが、新型炉の話です。例えば、SMRなどが期待を寄せられて、日本政府だけでなく、企業からも投資対象となっているようです。さすがにポンコツの日本企業だけのことはあります。
というのも、SMRの方式は新しくもなんともない、極めて古い代物なのです。
もともと、原子力黎明期には様々な方式が試されました。熔融塩の利用や液体金属を冷媒にした高速炉も試作されています。
ですが、現在世界で利用されている原子炉の方式は、ほとんどが軽水炉です。簡単にいえば、他は軽水炉に遥かに及ばなかった、のです。
アメリカ海軍のリッコーバー提督は海軍艦艇の動力として原子力を強力に推進しました。特に潜水艦動力への搭載に力を入れ、開発を進め、結果として採用されたのが軽水炉だったのです。後の発電所にもこの時の研究開発の知見が生かされています。
ちなみに、リッコーバー提督は、その原子力偏愛ぶりによって、TVドラマ原潜シービュー号のネルソン提督のモデルとなりました。私の幼少期には、「宇宙大作戦*1」と並んで「原潜シービュー号海底科学作戦」という番組があり、原潜シービュー号が活躍する、という話でしたが、そこでの原子炉の扱いは、今見たら卒倒するほどの雑さ加減です。それでも、制御棒が抜けたら危険、等の描写はありました。
閑話休題。
つまり、軽水炉は、最も経済的で安全、な原子炉として普及が進んだのです。そして、初期には10万kW程度だった出力も、どんどん大型化して100万kWを超えるようになりました。
大型で高出力でないと、経済的に割に合わなくなったからです。それですら、現在では割には合わない。民間企業では成り立たなくなっているのです。
では、なぜ、SMRに期待が寄せられているのか?それが、「型式」にあります。原子炉は一品ものとして特注生産になるため、どうしてもコストが上がってしまう。それに対して、「製品」として「型式」を認めてもらってモジュール化(≒大量生産)する。そして、それぞれの「製品」の安全試験を免除してもらう。これが、SMRの低コスト化のロジックです。しかし、大量生産といっても、それほどの需要があるかは判りません。コストダウンに繋がるほどの生産規模を持てるかは疑問ですし、そうして作られた部材を各々の安全審査無しに原発に組み上げる、ことを許容出来るでしょうか?大量生産品は不確定な要素で不良が生じます。それを許容範囲に置くのが生産管理、品質管理です。原子力のような危険性のあるものまで、その基準を当て嵌めて良いか。私は到底許容できません。
人がいない
このへんは以前も述べました。
原子力工学に通じた人材も、すでに10年以上前から不足していますし、建設や運転、維持管理に携わる人も尽きています。新たに立ち上げるにも人材が不足しているので、まず、そこから手当てする必要があります。
それ以上に、人手不足の折、人が集まりますか?高額賃金を払えば良い?前にも述べた通り、原子力は、その労働環境ゆえに多重請負構造でないと維持できません。よって、末端に届く賃金はどうしても少なくなり、コストアップになるのです。また、その請負により働く人の身元も明らかではない。先日、新潟や島根で入場管理のような問題が持ち上がりましたが、多重請負で手配した人員が働く環境である以上、厳密なチェックは不可能なのです。テロリストだ!スリーパーセルだ!みたいなことをいう人なら、原発には反対した方が良いですよ。中からの破壊工作は、内部構造の複雑さも含めて、貴方が思っているより容易なのです。
安全保障上の脅威となる
上の話も含め、安全保障上の問題が多くあります。労働者の問題もありますが、攻撃対象になった場合、防ぐ方法はありません。
そして、自分も気づかなかったのですが、発電所外壁は厚く頑丈に造られており航空機の衝突にも耐えられる(そう)ですが、天井部はそうではない。格納容器の燃料交換用にクレーンが付けられており、頑強な天井を造ることはできなかった。
福島第一原発の水素爆発時の映像を見れば、天井部は極めて弱いことが見てとれます。また、使用済み核燃料格納プール等のことを考えれば、上部からの航空攻撃に脆弱です。
日本が突如攻められる!防衛力強化が必要だ!みたいな人は、原発に反対しないといけませんね。
例え、原発施設の防備を固めてもムダです。
送電線を破壊されても原発は停止させなくてはならない。ここは以前説明した通り。巨大電源である原子力の構造的欠陥というべきでしょう。
政府が責任を取らない
福島第一原子力発電所の事故で各地に避難した人などが、国と東京電力に損害賠償を求めた4件の集団訴訟で、最高裁判所は「実際の津波は想定より規模が大きく、仮に国が東京電力に必要な措置を命じていたとしても事故は避けられなかった可能性が高い」と判断し、国に責任はなかったとする判決を言い渡しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220617/k10013676431000.html
この判決は、日本政府に原子力を扱う能力がない(責任を取れないのだから)ということを認めてしまったものです。
今後にあたっても、責任を取れない輩に重大ごとを預けることは出来ないでしょう。
というわけで、いかに「原子力の復権」を印象付けようとも、実際には原子力の拡大など進めようがありません。上記の問題を一つ一つクリアしようとする間に、再生可能エネルギーは低コスト化が進み、拡大必至です。それを無理しても原子力に拘るような真似を行なえば、温暖化対策も中途半端となり、世界の産業構造変革に置いてきぼりを喰う事になるでしょうね。
まあ、以前に、
・再生可能エネルギーに力を入れないと、世界的趨勢についていけなくなるよ
・(再生可能エネルギーで)優位性のある技術でも、競争力を失ってしまうよ
と忠告した通りになってしまったので、今回もそうなるでしょうけど。
さすが、世界に冠たる衰退国家ニッポンですね。
では。
眼光紙背 マスク氏のリストラは大英断か
米ツイッターの最高経営責任者(CEO)に就任したイーロン・マスク氏の言動に注目が集まっている。従業員を大規模解雇で3分の1に削減した上に、残った従業員には週40時間以上の出社か、嫌なら退社を求めた。このマスク氏の言動について「英断だ。うらやましい」と思う人たちがいる。
先週、スタートアップの経営者が集う交流会に参加したら「うちも解雇ができて、週に100時間働く環境がほしい」「会社立ち上げの時には寝食を忘れて働いたから、社員にもそれくらいの覚悟がほしい」といった声が相次いだ。
ネット通販系の社長は「大量解雇も今より容易にできて、なおかつ労働時間の制約がない特区ができたら、そこの自治体に本社を移転する。税金も自治体に落ちるからウィンウィンになる」と持論を披露した。別の経営者は「大賛成。やり過ぎないと成長はおぼつかない」と返した。従業員の迅速な解雇とハードワークのススメは経営者の本音なのだろう。
会は盛り上がり、特区の名前はどうするかに話は移った。「ブラック特区はイメージが悪すぎる」「労働無法特区も駄目だな」。なかなかいい案が浮かばなかった。そこに年配の経営者が「従業員を3分の1に減らしてもツイッターは運営できている。会社は水ぶくれ体質だっただけではないか」とポツリ。交流会はお開きとなり、ある社長は「英断でもないね」と会場を後にした。
(日経産業新聞 2022.12.2)
なんか、全方位的にヒドイ話です。イーロン・マスクのツイッター社買収後のゴタゴタ、従業員解雇どころか集団離職状態でシステム管理状態ボロボロ、ドナルド・トランプ以下ヘイトスピーチ垂れ流しアカウントの凍結解除と自身の陰謀論垂れ流し、それに伴うスポンサーの離反、などの状況が伝えられていますが、スタートアップの経営者とやらにはそんなことも見えていないようです。
従業員をヒト扱いしないことを褒めそやしていますが、こんな「本音」を従業員に披露出来るんでしょうか?いくら隠しても「本音」は態度・体質に現れます。どう考えてもロクな企業とは思えません。少なくとも、ネット通販系のスタートアップ、とやらでは働かない方が良さそうです。
むしろ、日本経済が低成長なのは充分な賃金がなく需要が喚起されないからで、再分配が重要だ、とは(本音はともあれ)やることなすことダメダメな岸田首相でも言っていることです。
まあ、こんな遅れた認識が日本のスタートアップ経営者、なら、日本の低成長も頷けるところです。
風呂なし物件、若者捉える シンプルライフ築く礎に
昭和の時代をほうふつさせる「風呂なし」賃貸物件が、令和の若者の間で再び脚光を浴びている。銭湯、シャワー付きスポーツジムなどの施設があり、不自由しない。物を持たないシンプルな暮らしや地域住民とのふれあいを求め、銭湯を好む人も多い。家賃が安いというメリットにとどまらない魅力が人気を呼んでいる。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB085HC0Y2A201C2000000/
職場がホワイトすぎて辞めたい 若手、成長できず失望
「職場がホワイトすぎて辞めたい」と仕事の「ゆるさ」に失望し、離職する若手社会人が増えている。長時間労働やハラスメントへの対策を講じる企業が増えたほか、新型コロナウイルス禍で若手に課される仕事の負荷が低下。転職も視野に入れる彼らには成長の機会が奪われていると感じられ、貴重な人材に「配慮」してきた企業との間で食い違いが起きている。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD2865W0Y2A121C2000000/
私なら、こんな”働かせホーダイ!”の特区は「(労働)サブスク」「帝愛」「ラーゲリ」「CSA」とか「竹中平蔵記念特区」など思い付きますが。大阪なら手を挙げそうで怖いですね。淡路島は実質、そんな感じになりつつあるようですが。
さらに、従業員が3分の1に減らしても運営できてる、という認識、日本のメーカーの高品質・安全安心みたいな話が、単なる「神話」にすぎないことを如実に示していてステキです。
では。