シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

デュアルユースについて

2001年宇宙の旅」「幼年期の終わり」等の数々の作品で知られる作家、アーサー・C・クラークには「優越性」*1という短編があります。ストーリーは、ある元軍高官の申し立て、という体裁で語られる宇宙戦争の顛末です。そこでは、ある宇宙戦争が、優勢側の科学者が発案する「新兵器」や「新戦術」によって形勢逆転し、ついには敗北を喫する、という奇妙な話です。その味方を逆アシストする科学者の弁解には、さるムラ世界の御仁たちを思わせる不思議なリアリティがあります。


 アーサー・C・クラーク第二次世界大戦中、軍のレーダー研究に関わっていました。バトル・オブ・ブリテンは英軍がレーダーを駆使して戦況を有利に進めましたが、その貢献者の一人であるクラークは、こんな皮肉な一篇を描いているわけです*2

 さて、巷のデュアルユース論の何が問題なのか、といえば、つまり「優越性」ほど極端ではないにせよ、「新技術による兵器」や「戦術」というのは、それほど安易なものではなく、充分に改良し、検証されなければ使い物にはならない、ということです。

 私は若いころからアウトドアでの活動を趣味としたのですが、今とは違い、気軽に手に入る道具はほとんどありませんでした。あっても高価で専門店でなければ買えなかったり。そんな中で比較的安価で実用に耐えたのが「米軍放出品」というヤツでした。無骨で飾りっ気も無いものでしたが、頑丈で耐久性が高く、使い勝手が良かった。いわゆるヘビーデューティというヤツです。MA-1ジャケット、だとか、クロノグラフなんてのも、その流れですよね。いわゆる民生品とは違う、証明済みの実用品、そういう扱いの道具がありがたかったのです。

 つまり、単純な道具に留まらず、軍事レベルで利用されるものは民生レベルとは全然違うのです。これは、単に耐久性とかだけでなく、そもそもの運用体系や目的、思想が違う。民生品をそのまま軍事転用、などそもそもできないのです。
 民生品やその技術を軍事転用するには、それなりの「転用研究・開発」が必要です。だから、軍関係が欲しがっているのは、デュアルユース、軍事・民生の両方に使えると称する、研究などではなく、軍事利用・転用するための研究・開発従事者、なのです。
そのための囲い込み手段こそが、研究予算を防衛予算から助成すること。心理的障壁を下げる、または、しがらみを作るか…

 もともと、デュアルユースだ、というなら別に防衛予算経由でなくても良いのです。あえて防衛予算から研究費を補助すること、それこそが軍関係者にとって重要な意味があるわけです。

 軍事研究への関与の是非をめぐる論争では、デュアルユース論(例:電子レンジ、インターネット、ロケット、原子力、等々)を見かけますが、発言者はほぼ問題点を理解できていないのです。
では。

*1:「前哨」(ハヤカワ文庫)に収録

*2:これは、クラークが私が述べるデュアルユース論と同様のことを主張している、ということではない。念のため