シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

at your own risk

年末にちょっとほのぼのエントリーネタ。


はてなインテリ、公園で自分の限界を知る
http://d.hatena.ne.jp/toled/20081231/p1


わはは。羽根木プレーパーク行ったのね。常野さん。


・羽根木プレーパーク
http://www.playpark.jp/pp_hanegi.html

特定非営利活動法人プレーパークせたがや 設立趣旨書


 1975年、7月。 我が子の遊ぶ様子からその環境に疑問を抱いた一組の夫妻が中心となり、 世田谷区経堂の烏山川緑道計画地の一角に夏休みだけの特別企画、 冒険遊び場『こども天国』を開設した。イギリスの冒険遊び場にヒントを得たこの遊び場は、 77年には場所を桜丘に移し、その地域の住民を巻き込み15ヶ月にわたり取組まれた。 住民によるこの手づくりの遊び場は、子どもから絶大な支持を受けた。 翌79年、世田谷区は国際児童年の記念事業にこの冒険遊び場を採択。 住民と区との協働事業である日本で初めての常設の冒険遊び場、 『羽根木プレーパーク』が誕生した。

 子どもがやりたいと思うことは極力やれる遊び場にとの願いから禁止事項は設けず、 代わりに『自分の責任で自由に遊ぶ』というモットーを掲げた。そして子どもは自由な遊びから相手や自分を知り多様な関係や知恵を学ぶこと、しかしそのときに起こるさまざまな出来事に対する責任追及の風潮が子どもの育ちの宝庫である自由な遊びを奪ってきたことを訴え、理解を求めてきた。住民によるこうした主体的な取組みを重視した区はプレーパーク増設の方針を打ち出し、住民の動きを支援。82年には『世田谷プレーパーク』、89年には『駒沢はらっぱプレーパーク』、 03年には『烏山プレーパーク』が誕生した。


海外では上記のイギリスの他、デンマークなどにあって、羽根木プレーパークでは子供達は焚き火木登り、ツリーハウス作りまでやったりするんだよ。面白いよな。
で、実は静岡にプレーパークを作ろうと奮戦した事があったのだが、やはり行政の壁は厚かった。
やはり、責任問題が大きい。「富士山子供の国」は当初はプレーパークを意識して運営されていたのだが、指定管理者が替わってプレーパーク構想はあまり意識されなくなっている。


プレーパークに魅せられてか、宮崎駿もこうした保育園/幼稚園について構想していた。たしか、彼がジブリで造った保育園は「プレーパーク」を意識しているはず。
ということで、プレーパークをテーマにサルトルを語るのもいいけど、ガキ達と焼き芋でもしたら楽しいよ。常野さん。


遊び場(プレーパーク)のヒミツ―羽根木プレーパーク20年

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虫眼とアニ眼 (新潮文庫)

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