日本はアジア各国に「良いこと」もしたのか?
「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」 が売れているようです。私も買おうと思ったら、売れ切れていました。現在、注文中。いつ入ってくるのか。
岩波書店のブックレットとしては異例の売れ行きだそうですね。こうした本が売れるのは良いことだと思います。
まだ、読んでない状況で述べるのも何ですが、感想や一部閲覧できる内容から伺えるのは、歴史修正主義に対する的確な反論だということです。ナチスの行った「良いこと」が、「悪いこと」と表裏一体であることを論証しており、ナチスは良いこともした、という言説に対する効果的なカウンターになっています。そして、「良いこと」だけ抜き出して弁護することの問題を指摘しています。
ちょっと興味深いのが、田野先生に突撃する有象無象たちです。彼らは知識もないのに、なぜ、ナチスを弁護したがるのでしょう。
彼らは、スターリンもよいことをした、ポルポトもよいこともした、とは言いません。
こう指摘すると、スターリン、ポルポトだってよいこともしたことを否定していない、絶対悪などない、どんなものごとにもよい面とわるい面がある、というようなことをいいます。
しかし、その言葉に意味があるでしょうか。なにごとにもよい面と悪い面がある、などと有耶無耶にしても、行為が消えるわけではないわけです。
それは、問題点の矮小化にすぎません。
では、なぜ、彼らはナチスはよいこともした、と云いたがるのか?
おそらく、彼らの目的はナチス自体ではありません。庇い立てるには、あまりにナチスについて基本的知識がなさすぎます。彼らの大概が、「右でも左でもない、日本が好きなだけの、普通の日本人」つまり、ネトウヨ。そう考えると、彼らの動機、意識しているかしていないかはわかりませんが、伺えることがあります。
・朝鮮は植民地でなかった
・朝鮮は日本と併合して発展した
・台湾は日本に感謝している
・日本は欧米列強からアジア各国を解放した
・日本の植民地経営は欧米とは違う
かつて日本が、朝鮮半島や台湾を侵略・併合し、アジア各国に戦火を拡げたことを正当化するためのデマ、これらの構造はナチスの弁護に通ずるところがあります。
つまり、日本はアジア各国に「良いこと」もした、と云いたい人々、こうした人々がナチスの相対化に努めるのでしょう。
あの、悪魔のように扱われるナチスですら「よいことも」した、いわんや日本は…
ナチスとの比較によって日本を免責したいのが本音、隠れた動機なのだと思います。 では。