シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

教科書検定意見撤回を求める県民大会について雑感

9/29に沖縄では教科書検定意見撤回を求める県民大会が行われ、その反響は国会までも揺るがしているわけだが、チョイと述べたい。
この件に関しては、各メディアとも一斉に報道して、その後の狼狽える政府の様子も刻々と伝えられている。

沖縄、11万人が訴え 教科書検定「撤回を」


沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、検定意見の撤回を求める超党派沖縄県民大会が29日、宜野湾市海浜公園で開かれた。参加者は主催者発表で11万人。米兵による少女暴行事件を機に8万5000人が基地の整理・縮小などを訴えた95年10月の大会を大きく上回る「島ぐるみ」の集会となった。参加者は検定意見の撤回と記述の回復を求める決議を採択した。 asahi.comより引用

http://www.asahi.com/national/update/0929/SEB200709290015.html

【速報】検定意見撤回を 県民大会で総意訴え


文部科学省の高校歴史教科書検定沖縄戦における集団自決強制集団死の日本軍強制の記述が削除修正された問題で、教科書検定意見撤回を求める県民大会(同実行委員会主催)が29日午後3時から、宜野湾市宜野湾海浜公園で始まった。
 一般市民や団体、労働組合、経済界など県内外から数万人が集まり、会場を埋め尽くした。八重山宮古でもこれと連動した大会が同時刻に開かれた。大会では、日本軍による命令強制誘導などの記述を削除修正する教科書検定意見の撤回と、記述回復を求める大会決議を採択する。 琉球新報より引用

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-27650-storytopic-3.html


「集団自決」検定、文科省が対応検討 沖縄県民大会受け
http://www.asahi.com/politics/update/1001/TKY200710010382.html


訂正申請あれば「審議会に聞く」 集団自決検定で文科相
http://www.asahi.com/national/update/1002/TKY200710020305.html


沖縄県知事文科相と面会 教科書検定 意見の撤回要請
http://www.asahi.com/politics/update/1003/TKY200710030161.html


ただ、この話の進み方には釈然としない事がある。それは、次の部分だ。

教科書検定意見撤回を求める」県民大会
(略)
開催目的:
ソレハネ・・


高等学校歴史教科書検定において「集団自決」の軍命が削除されたことの撤回、記述回復を求める
ゼッタイユルセナイ

http://kenmintaikai.ti-da.net/e1730286.html
教科書検定意見撤回を求める県民大会)


誤解を怖れずあえて言うなら「教科書検定」において「削除撤回」、「記述回復」を求めてはいけない。


その点では、渡海文科相の言葉は正しいのだ。

渡海氏も記者団に「(検定に)政治的介入があってはいけない。しかし、沖縄県民の気持ちを考えると、両方ともものすごく重い。そのなかで何ができるか考えたい」と述べた。

http://www.asahi.com/politics/update/1001/TKY200710010382.html より引用


なぜかといえば、人を大量動員してデモンストレーションさえ出来れば、「教科書検定」において別の事に関しても「削除撤回」、「記述回復」が可能であるかのように錯覚させるからである。
つまり、先日取り上げた“佐賀のがばい自治体”、あの裏返し状態になっているのである。


佐賀のがばい自治
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20070928/1190968121


つまり、「日本会議」、「日本青年会議所(JC)」だとかが同様の(だが、正反対の)行動を起こした時に、それを掣肘できなくなってしまう。


もともと、歪曲された審査によって事実が削除されたのだから、適切な審査であれば沖縄県民を蔑ろにするような問題は生じない。だから、アピールすべきは、「適切な教科書検定」(審査の公開などを含む)であって、一足跳びに「記述復活」を図るようなマネをするのは拙いだろう*1
沖縄の大会参加者を中傷するつもりもバカにするつもりもない。しかし、この運動を引っ張ってきた方々に関しては、敬意を払うと共に、行動を見直して欲しいと考えている。


ついでに。
昔から左右両方共に不思議に感じる事なのだが、教科書を過大評価してないか?
以前、述べた事があったが、自分は南京事件についても従軍慰安婦問題に関しても学校の授業で習った事など無い。年齢的にそのような事が教科書に載っていた事もなかったし、そもそも、近現代史に関しては年度末の駆け足授業が一般的で、習う余地など無かった。近現代史に関わる問題は、どれも大学または社会人になってから知ったような事ばかりである。
笑ってしまう事に、南京事件に関しては(たぶん)「文藝春秋」渡部昇一の文、が契機だった。氏には感謝している。
だから、教科書に載っていようと、載っていまいと、知るヤツは知るし、知ろうとしないヤツは知ろうとしないのだ。
逆に言えば、載せないから伝えられない訳じゃないし、載せたから伝わるわけでもない。左右共に目標は「教科書に載せる」事じゃないだろう?

*1:もともと自分は教科書検定には反対