シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

大人の度量

前エントリーに対して、ズレータさんより頂いたコメントに考えさせられた。


博士、大変です。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071030/1193733113

ズレータ
レスありがとうございます。
確かに社会経験の浅い二十歳そこそこの若者が「無職を覚悟している」とか「死も覚悟している」というのは軽く聞こえますね。
しかし、本人がどれほどの覚悟をしているのか、結局他人にはわからないものです。
そして、私たちも若いころは自分の考えを披露するたび年長者に「甘い!」と一蹴されたもんじゃなかったでしょうか。その指摘が当たっていたのかどうかは別にして、そんな忠告には耳を傾けなかったものです。若者はいつだって「夢さえあれば生きていける」なんて思うもんですよね。
ですから、おそらく博士に進学することの恐ろしさをいかに吹き込んでも彼らを説得することは難しいでしょう。
一方、構造的・制度的な整備は急速に働きかける必要がありますね。願わくは、彼らが学位を取得した後にも生きる道が残されていることを。
(コメント欄より引用)


さて、自分のブログにおけるHNは、もちろん、「MASTERキートン」を意識したものです。
その「MASTERキートン」の最終話で、キートンが元妻に送ろうとする手紙がモノローグで語られる場面があります。
キートンは、考古学を専攻し、学生結婚して子供を授かった後、離婚。“自分を鍛え直すため”陸軍に入隊。SAS(英特殊空挺部隊)隊員にまでなり、戦争にも参加します。でも、軍人の世界も自分の居場所ではない、と考古学に戻り、生活のためにオプ(保険調査員)も掛け持ちします。
そして、キートンは最終的に自分の居場所は考古学の世界にある、と再認識し、「ドナウ文明」の証拠を求めて発掘を続ける事に決めるのですが、今までの自分の彷徨した時間を「ムダではなかった」と振り返るのです。そのいずれの経験もあっての自分なのだと。


自分もそう思います。自分も博士課程を含め、さまざまな状況におかれ、彷徨い流離うようにしてやってきました。つらく先の見えない中で夜をまんじりともせずに過ごした時もありましたし、先が見えてきて喜んだり、他人の親切さに触れて涙した時もあります。
生活が安定するようになったのは、ようやくこの数年ほどの事です。
でも、だからといって、10年以上の歳月がムダだったとは思いません。その時の経験も何もが、自分という存在を造り上げているのだ、と考えます。


ですから、本当は自分は若者が無謀な試みに乗り出すのを掣肘などしたくはないのです。若者には何より機会が必要です。ムダでくだらなく、どうしようもないバカバカしい事を大まじめで取り組むような時間が必要だと考えています。


昔から、時間のムダ遣いは若者の特権です。そして、社会の側にも、若者のバカさ加減に対する寛大さがありました。自分よりも年配の方々なら、「高等遊民」とか「アプレゲール」とかいった言葉を覚えている方もいるでしょう。石川啄木は生涯他人に迷惑を掛けっぱなしの男でした。知人友人に金の無心をするしまつです。ゴッホも知己に依って生涯を終えます。彼の絵が認められたのは死後の事です。
ロバート・キャパの「ちょっとピンぼけ」を読むと、行き会ったりばったりで無鉄砲な彼が、周囲の助けでどうにかやっていく姿がユーモラスに描かれています。


椎名誠野田知佑小田実石川文洋、など自分の好きな人たちも若い頃をたっぷり“ムダに”使っています。


だから、若い人には「人生を焦る事はない。答をすぐに求める必要はない。好きなだけもがきなさい」
といってあげたい。


ですが、残念な事に、社会の側にその寛大さ「大人の度量」が無くなってきています。
すぐに自分の側(社会人)に同化する事を急き立て、ゆっくりと考える間、モラトリアムをやろうとしません。大学時代でさえも、「企業ニーズに応える人材を育成」なんていう始末です。
企業は社会の一部分にすぎません。それに対応する事は一つの考えであっても、大学人が奨励するような姿では無いはずです。様々な経験を積んで、考える事が大事です。結論を出すのはその後でもいい。企業なりを人生の目標とさせる姿は間違っています。
別のエントリーでも述べる予定ですが、現在のように企業が大学に人材育成と研究開発までアウトソーシングさせている状況が望ましいとは思いません。産学連携には一理ありますが、それに大学研究が引きずられすぎると、大学がもつべき多様な価値観とそれから生まれる(であろう)新しい価値、を失う可能性があります。


明らかに、自分を含め、大人が度量を失ったのです。自分たちが失敗したのです。彼等には博士課程でも何でも、好きなだけ自由にさせてあげたいのですが、現在はそれができない。それを薦めてしまえば、“梯子を掛けて二階に追いやった後、梯子を蹴倒した”文科省と同じになってしまいます。
事態は自分が彷徨ったころより、さらに悪化しています。
その中に乗り出そうとする人に甘い事は云えません。厳しい意見を言ったとしても、覚悟を決めた人はそれでも行くでしょう。自分の言葉ぐらいで揺らぐなら、辞めといた方が無難です。

社会が、我々が、若者のモラトリアムを見守ってあげられるようになるのか。寛大さを、度量を再び持てるようになるのか。そのために自分は努力していくつもりです。

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