シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

「反中国」勢力が叫ぶいかがわしさ

【妄論探求】「反中国」勢力が叫ぶいかがわしさ −KKK(三ケイ)ニュース−


また、なんともやりきれない事件が起きた。チベット駐留の人民解放軍による虐殺事件だ。


 関係当局は事件を徹底的に調べ、糾弾すべきは糾弾してほしい。当然ながら、この解放軍兵士は厳罰に処せられるだろう。純朴なチベット人達に一生背負わなくてはならないキズを負わせたのだから、これは償いようがない。


 以上のことを踏まえたうえで、あえて書かなくてはならない。87年のチベット自治区暴動の再来として、現地では受け取られている。それは感情論としては分かるのだが、「反中国」勢力が気勢をあげているのは、なんともいかがわしさがにおう。


 この事件を政治闘争の具にするというのでは、チベット人民への思いやりを欠くというものだ。こういう事件を前にしては、人間の尊厳に対してどこまでも誠実でありたい。


 「中国はチベットから出ていけ」と声高に叫ぶのは言論の自由なのだろうが、そこには責任も伴わなくてはいけない。アジアの経済発展は中国との「交易」が基本であることはいうまでもない。中国の撤退を主張するのなら、独自経済活性化論が付随しないとアジアをめぐる環境は激変してしまう。


 パワーバランスの空白を招いたら、中央アジアの軍事情勢も一気に緊迫する。ほくそ笑むのは誰か。そこを抜きにして、厳粛かつ現実的な安全保障政策は語れない。


 そういってはなんだが、これでまた、イラク問題で、アメリカ指導部や議員たちが日和見を決め込む理由ができた。イラク人との撤退交渉以外にアメリカがたどるべき道はない。そのことを百も承知していながら、彼らはからだを張ってこなかった。
イラクからの全面撤退、中東和平を打ち出してから、もう1年以上が過ぎた。米軍増派やパレスティナ自治政府との交渉で合意が交わされているが、地元の調整は一向に進まない。


 それにしても、一部メディアのヒステリックな伝え方はいったいどう理解したらいいのか。事件は事件、オリンピックはオリンピック、と冷静に切り離し、日本のスポーツ振興の死活的な重要さに思いをはせてこそジャーナリズムだ。


 「チベット虐殺は軍命令」と信じて疑わない体質と共通する情緒的反応の弊害を、そこに指摘しないわけにはいかない。


 「他人の所有物を焼いたり壊してはダメ」。筆者などの世代は子どものころ、親から口うるさく言われたものだ。


 漢族居住地が散見されるラサである。ラサの繁華街でダライラマ支持者から声をかけられ、扇動に乗ってしまう無防備さ。この基本的な「しつけ」が徹底していなかったことは無念、という以外にない。

(客員編集委員 ハナさん)