シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

ふたたびホロコーストに言及するよ

といっても、HALTAN君のことじゃありません。


『図書館の方程式』の粗筋を考えた(法華狼の日記)
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080901/1220311316


これは、「蘇民将来」伝説に通じる話ですね。

wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%B0%91%E5%B0%86%E6%9D%A5

すなわち、旅の途中で宿を乞うた武塔神(むとうしん)を裕福な弟の将来(『備後国風土記』では「或本作巨旦將來也」とあり、巨旦将来 こたんしょうらいとされる)は断り、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、弟将来の妻となっていた蘇民の娘には茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く弟将来の一族を滅ぼした。(一部引用)


各国にも貧しい客人をどう扱うかで結末が変わる話は普遍的にあるようです。
蒸し返す訳じゃないですが、ホロコーストでロマ、つまりジプシーが絶滅対象になったのも、彼らが放浪を行う、“貧しき不逞の輩”だったからです。


ちょうど、阿部謹也氏の「中世を旅する人びと」を読んでいるところですが、氏はロマがヨーロッパに登場した15世紀以降、さまざまな理由によって、無法者の隠れ場所となったとか、ペストを運ぶとか、盗みを行うなど、聖俗の権力によって弾圧の対象になった事を記しています。一方で、彼らを定住させようという“親切な”試みが何度と無く繰り返された事も描かれています。ですが、ロマはそれらの親切に対して再び放浪の生活に戻る、という形で応えました。この態度は彼らに対する弾圧を強めたのですが、それでも彼らは放浪を捨てなかったのです。ロマについて考える時必要なのは、我々の定住して職を持つ、というスタイルとは異なる生き方を選択する人々がいる、という事実をありのまま受け止める事でしょう。その上で、彼らに対する人権侵害の歴史を悔い、権利回復に努めるべきなのです。もちろん、現在でもイタリアのベルルスコーニ政権やフランスのサルコジ政権は、彼らをありのまま受け入れたりせず、追放を含めた措置を執っていますが。


ホームレス問題に関しても同じじゃないでしょうかね。必要なことは「排除」でも「収容」でも無いでしょう。「排除」を前提にしない対策というのは充分可能だと思いますけど。

中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描 (ちくま学芸文庫)

中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描 (ちくま学芸文庫)