シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

トリクルダウン改めハムスターの回し車理論


おこぼれ理論のどうしようもない胡散臭さ
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20080904/p1

なんといってもゴールが見えない。どれくらい成長すれば、そのおこぼれは貧困の解決に使われるというのでしょうか。本当にゴールに近づいているのでしょうか。

何というか、経済成長でゴールへ向かっていても、ゴールの方も経済成長に合わせてより遠大な地点に設定され続け、永久にゴールにたどり着く日は来ないのではないか。労働者はそういう風にして「目の前にぶらさげられたニンジンを永久に追い続けること」を求められているのではないか。そういう風に思うのです。

自分がかつてさる企業で働いていた時のこと。ポストバブル期ではあったが、会社の利益は前年度比6%増くらいだった。 バブル期も好調だったから、ずっと成長していたようだった。にもかかわらず、経営陣は
「将来にわたって好況が続くとは限らない。そのためには、財政基盤を強化し、設備更新を怠らない訳にはいかない。また、将来の社員の雇用を維持するためにも給与増額は呑めない。」
との話だった。これは、バブル期でもそうであったようだ。


当時、メーカー系は円高の影響もあり、盛んに「付加価値を付ける」事を目論んだ製品開発やそのための基礎研究に力を入れていた。「コストダウンは結局自分たちの首を絞める」が上層部の意見だった。今でもその意見は正しいと思うが、現実には日本中のメーカーが「コストダウン」に舵を切ることになったわけだ。
つまり、円高による輸出の伸び鈍化の影響回避には、
国内需要を増やす
・付加価値により値上げしても対応できる製品を売る
事が目論まれており、“そのために”利益の分与は最低限に留める、との事だった。


では、その結果はどうだったか、といえば、どれも実現しなかった。
・付加価値よりコストダウン
・給与水準を下げるため、非正規職への転換
になり、結局、好調な時も、不調な時も、いつだって経営陣は利益を出し渋るだけなのだった。


こうして考えれば、トリクルダウン、なんて期待できるはずもない。経営陣はいつだって、未来のため、を口実に利益の分配を渋るが、その未来が“いつ”来るか、については、語らない。たぶん、永遠にその時は来ない。


だいたい、おかしな話なのだ。もし、企業なりが適切な利益分配を行ったとする。その結果、消費が拡大するだろうし、貯蓄・投資の形で再び企業の資金が融通される事だってあるはずである。労働者は同時に消費者であり、さらには投資家でもあるはずなのだ。
労働者に適切な分与を行い、かつ、“投資家”に魅力的な経営計画を提示して投資を募る事は不可能だろうか?ストックオプション、というのは、本来その一種じゃないの?
そして、資本主義的にはその方が望ましいじゃないだろうか。寡占的な金融・株式市場より、“神の見えざる手”を模倣できるほどに多様性のある投資家がいる市場の方が。この点、科学的現象・理論を社会に当て嵌める事に魅力と怖れを感じずにはおられないのだが、それはまたの機会に。


いずれにせよ、おこぼれに期待するのは無駄だ。シャバい脅しを気にせず、利益分与・再分配を要求しよう。オレ達に金を遣わせろ!と。


ただし、こういうのはありだと思う。

上げ潮派中川秀直氏の主張するように、寄付を加速するような税制改革を行って、実質的な予算配分権の一部を官僚から市民の手に移すとよいと思う。

http://b.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080904#bookmark-9878771


分裂君の意見に賛成するのはたぶん初めてだが、これには同意。別に、上げ潮派でなくても社会的活動に対する寄付と、それに対しての免税措置、が導入されれば、賛同者は多いと思う。
この場合、自らのお金の社会的還元が目に見えるから、法人税所得税の累進度を上げても不満は少ない気がする。ま、インチキNPOや財団などは増えるかも知れないが。ま、何事も良いことばかりじゃないし。