シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

ガラスのプライド宇宙に飛び出す

チョコレート農場の秘密
http://d.hatena.ne.jp/kajuntk/20080902/1220296812


なんか、気色悪いヤツだな。以前にもフェアトレードについてdisっているバカがいたんで、一応突っ込んでおく。

フェアトレードによって農場の人は救われるかもしれない。

しかし、今まで仲介に入っていた人たちは貧困におちいる。

彼らとて発展途上国の哀れな労働者なのだ。

フェアトレードでは、単に買い取り価格、を上げるに留まらず、生産者側にイニシアティブを取り返すための活動であることは、以前に説明した。


参考:ワーキング・プアは、労働現場だけじゃない
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071218/1197967226


追記です(ここに載せた島村 菜津氏のコラムが丁寧)
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20071219/1198053456


ここで重要なのは、仲買人だってフェアトレード側に寝返る方が得、ということ。
コートジボアールにおける物価を考えれば、もともと現地仲買人の利益など微々たるものだ。プランテーション産物の主たる利益は、多国籍企業とその恩恵にあずかる先進国住民。利益とイニシアティブを、彼らに分与しなさいよ、という先進国住民の意識が高まれば、大きく変化する。ま、多国籍企業にとってはうれしくないだろうが。

フォスタープランなどの養子制度で一人の子供を救ったとしよう。

でもその子と一緒に居た他の子達はどうするのだろう?

一人だけ運良く貧困や飢餓から抜け出ていく様を見ながら哀れに朽ち果てるだけだろうか?

そんな不平等を率先して行うことは善だろうか?

いや、原理的にいえば、一人の子を救ったとすれば、その子に今まで掛けてきた現地のリソースを他の子に割り振れるのだから、決して無駄では無いのだが。もちろん、現地で残りリソースが適切に配分されるかは別の問題だ。もちろん、多くを救えればそれに越したことは無いわけで、結論は“もっと増やせ”であっても、“偽善だからやめろ”にはならない。

そうしたかりそめの善意を利用した暴力が世界には横行している。

平和と環境の問題を暴力によって解決しようとするグリンピース。

不明瞭な会計で善意を食い物にするホワイトバンド

人間にはそうした暴力を知っていてなお、賞賛しようとする姿勢がある。

今まで起きた全ての戦争は『誰かの平和のため』に行われたことは間違い無い。

グリーンピース、が“暴力”に訴えたのは、どの局面?
ホワイトバンドに関しては、以下参照。


わたしは、なぜ、自分のお金を貧しい人々に分け与えないか
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080317/1205744919


それに、戦争が「誰かの平和のため」を口実にしたからといって、逆が真とは云えないのだけどね。

かりそめの正義に身を任せるくらいなら、自らの悪を認めたほうがまだ潔い。

で、結論がこれか?ショボい。ショボ過ぎ。


しない善よりする偽善  (出典:鋼の錬金術師 15巻)

的外れな指摘だったが、それでも行動が問題を抱えているなら、それを指摘し、直す事に努める事こそが重要。で、大概ボランティア活動では、そんな後悔と振り返りの連続だよ。そんな事情さえ知らずに、自己正当化のために喚いている訳か。幼稚もいいところだな。
マッつぁんもこう云ってるよ。

「そもそも偽善というのは、そんなにいけないものなのでしょうかねぇ」

偽善者、ドケチ、偽悪者。この三つの中でなら、私は偽善者をもっとも評価します。ドケチはまあいいとして、偽悪者だけは軽蔑(けいべつ)しますね。

少なくとも私には、ドケチと偽悪者だらけの社会がいい方向に向かうとは思えないんです。
偽善、おおいにけっこうじゃないですか。むしろ偽善者をもっと盛り立てれば、10円の募金が10万円、10億円になるかもしれませんよ。

日本列島プチ改造論 パオロ・マッツァリーノ
http://www.daiwashobo.co.jp/mazzarino/080820.html