予防拘禁はレトリックなどではない
忙しいので手短に。
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091205/p1
獣のようでも、汚物のようでも、人は人だ。獣なら汚物なら予防拘禁・消毒していいんだろ、ってレトリックが、どちらの側の発想か、もう分かるよな?
(同コメント欄)
http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091205/p1#c1259980616
人がまだ為してない悪をもって罰を受けることがあってはならない、というのと、服装がどうだろうがレイプされていいわけがない、というのとは、どっちが先とか交換条件とかじゃないだろうに。なんでそういうわけの分からん関連付けで脅しつけられなきゃならんのよ。
相変わらずですな。洒落にならない事を云うなら、
http://b.hatena.ne.jp/welldefined/20091204#bookmark-17717971
こういう分からん関連づけする事はどう思ってんの。フェミナチだよ?以前、ナチだとかホロコーストだとか“軽々しく話題に持ち出すのはいかがなものか”と説教垂れてくれたマヌケがいたけど、そもそも、こうした“洒落にならない”“馬鹿馬鹿しい”喩えをしてくれる連中はごまんといるわけだが、数ある中で指摘する先がhokusyuさん、という点で、すでにどのへんに意図があるのか透けて見えるわけだよな。
ま、ついでに指摘しておく。hokusyuさんやフランチェス子さんたちは、曾野綾子の「男はケモノ」論の土俵における反駁としてのレトリックとして「予防拘禁」を取り上げたわけだが*1、その「予防拘禁」というのは今まで実際に女性に強いられてきた、という事。
以前、話題になった映画だが、「マグダレンの祈り」という映画がある。
マグダレン修道院―――キリストによって改心した娼婦マグダラのマリアにちなんで名づけられたその施設は、19世紀に”堕落”した女性や娼婦のための避難場所としてアイルランドに建設された。20世紀に入ってカトリック教会が運営するようになると、”慈悲深い”シスターたちのもとで厳格に管理され、“一族に恥をもたらした”女性たちが洗濯部屋で働かされた。私語は禁じられ、家族と会うこともできない監禁生活は刑務所より過酷。中には施設に閉じ込められたまま一生を終える女性もいた。そして、この独善的な宗教と偏狭な社会の遺物のようなマグダレン修道院は1996年まで存続した。
(cinema topics online よりあらすじ引用)
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=4195
この物語は3人の「監禁生活」をおくる女性を軸に進むのだが、この中にマーガレットという少女が出てくる。彼女は従兄弟にレイプされたために、このマグダレン修道院に送られてきた。それは、一族の恥、というだけではなく、彼女は非常に美しい少女であり、それがゆえに“従兄弟に一線を踏み越えさせるという罪”を犯した、という事。レイプされる側が罪人であり、その美しさゆえにまた“男を惹き付けるかもしれない”という“可能性”ゆえに、マグダレン修道院に“事後”、そして“予防拘禁”されたのである。この話は実際のエピソードを元にしているのだが、収容された女性達の扱いは極めて過酷だったようだ。このような修道院は他にもあったという話であり、女性を予防拘禁する事は、社会におけるシステムとして機能していた事を意味している。
女性に説く自衛というのは、基本的にこれと同じである。
(男を)性的に興奮させる服を着るな、行動を取るな。人目に付かない(ために襲う事が出来る)場所にいるな。
男を誘惑し、人の道を踏み外すという罪を犯さないよう(女性を)予防拘禁する。これが、(男性社会における)女性の“慎み”であり、女性の“自衛”だった。
「予防拘禁」という言葉が洒落にならない、と本当に思うのなら、女性が「予防拘禁されてきていた」という事に対しては、より洒落にならない、と知るべきではないの?
まあ、そんな事は期待してはいないけどね。
本当に予防拘禁というレトリックを用いる事が問題だ、と思うのならエロゲーはフィクションだから、で済ませる事など出来ないはずだから。
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*1:というか、相手の土俵において立場を置き換えることで問題を炙り出す、というのは議論における一般的手法に過ぎないと思うのだが