シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

電気自動車の普及は?

革新的な電池開発に参加してみませんか?

(前略)
このように米国でも日本でも電気自動車の車両開発に対する動きが活発化しています。しかしながら,現在の電池性能では本格的な電気自動車時代は到来しそうにありません。なぜなら,現状のガソリン車と同様に500km程度の走行を可能にするには,電池の重さや大きさ,コストがとても現実的な数値ではないからです。

 電気自動車は1kWh当たり5〜10km程度しか走れません。そのため,500km走行するには最低でも50kWhの電池容量が必要になりますが,最新の自動車向けLiイオン2次電池の質量当たりのエネルギー密度は100Wh/kg程度しかありませんから,電池の重さは500kgに達してしまいます。
(後略)

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20061107/123239/
日経Tech-on より引用 (要会員登録)


電気自動車でガソリン自動車並の性能を出そうとすれば、現在の技術では不可能。それが上記記事の内容な訳だが、どうにも違和感がある。
度々、述べる事だが現在の日本における自動車の使われ方はおかしいのではないか、と考えているからだ。
一つには、公共交通機関と競合させる一方で道路建設を進めるために、公共交通機関の衰退に繋がっていること。
もう一つは、歩行者や自転車のような存在をほとんど省みないこと。そのために必要な政策を取ろうとしないこと。
である。オールレンジ、ドア・トゥ・ドアで利用される自動車は走行距離も500km以上である必要があるだろう。
しかし、近距離は自転車やコミューター。遠距離は公共交通機関。中距離、ミドルレンジを自家用車が担うシステムであれば、走行距離が500kmも必要と云うことはありえない。
電気自動車で近距離用途、中距離なら(相応の負担をしてもらって)内燃機関を利用でも良い。
テクノロジー至上主義に陥れば、日経のコラムのような考えになるが、現在あるテクノロジーで対応できるシステムを創る、事が必要に思う。


要は、システムと技術を両方とも考慮にいれなくてはならない、と云うことである。