シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

鏡の中のトンデモさん。

黒的九月さんからコメント頂いたのだが、ちょっと考える事があったんでエントリーにしてみる。

南京否定論者は盛んに情報戦の大切さを説いてますが、「自分がどう見られるか」という事に関しては無頓着なようですね。

http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20070516/1179305125#c


南京否定論に限らず、最近まで粘着された慰安婦問題も同じなのだが、この手の人たちには「主客逆転してみる」事が出来ないんじゃないか、と云う気がする。
彼等は、「南京における便衣兵(と呼んでたりするが)の殺害は国際法上問題ない」とか、「多少の殺人や犯罪はあったかもしれないが、大虐殺と呼べるようなものはない」なんて事を平気で述べてしまったりする。
主客逆転してみて、他国の軍隊がいきなり侵入してきて首都を占拠した上に、片っ端から男を捕まえては殺害してみたり、町中で殺人、強盗、強姦、放火を行ったりしたらどう思うのか。
身内や恋人が騙されてセックスを強制された上に、「金も払ったし、休みもやったじゃないか」などと言い放たれたらどう思うのか。


その想像力こそが必要と思われるんだが。
相手に対する想像力とシンパシーが存在しないから、相手に対しても「敵」か「味方」のような貧しい二分法でしか発想しない。
どうやら絶対的な自分と他者という置き方しかしておらず、相対化する事が出来ないのだろう。
だから、

今年は日本にとって本当に正念場です。ここで負けたら日本は永遠に「野蛮・残虐な国家、国民」との烙印を押され、「日本悪し」の世界世論が作られ、これから先、外交・経済・軍備等、何につけても日本がすることには「それみろ、やはり日本は危険な国だ」と叩かれ、「滅んでもよい国」として世界中から扱われることになる、そんな危機感を強く感じます。
映画「南京の真実」製作にご協力を! (南京の真実 スタッフブログ)

http://www.nankinnoshinjitsu.com/blog/2007/02/post.html


(via:good2ndの日記)
http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070303/1172937206


なんて、へんな事も考えられるのかもしれない。既に南京事件に関しては今までずっと「あった」事として国際社会には通用している。現在、日本は“滅ぼされている”わけでもないし、このような過去があったとしても“滅んでもよい”なんて考える他者がいるだろうか。


ネトウヨの特徴として「ダブスタ」が挙げられるわけだが、それも自分の考える「証拠」は他者のものとは違う、と絶対化しているためなのかもしれない。


いずれにせよ、他者に対するシンパシーを持ち得ない連中は、シンパシーを持たれることも無いわけで、彼等の立場を理解してくれるものは(似たもの同士以外には)存在しないだろうな、と考えるのであった。

追記:写真は自衛隊静浜基地の訓練機(写真は頂きものです)