シートン俗物記

非才無能の俗物オッサンが適当なことを書きます

オリジナル・南京 南京事件否定論者の素顔

短大生バラバラ殺人 地検が「一部週刊誌はウソ」
東京・渋谷区での短大生バラバラ殺人事件で、東京地検は2007 年2月5日、短大生の兄である予備校生・武藤勇貴容疑者を殺人と死体損壊の罪で起訴した。また、同地検は一部週刊誌が「勇貴容疑者の妹への性的関心が事件の背景にあった」とか、「遺体を食べた」などとする報道を全面否定した。「性的関心や遺体への興味による犯行ではない」「(遺体を食べたなどの報道は)ウソ」としている。
(J-CASTニュースより引用)


http://www.j-cast.com/2007/02/06005354.html


この事件については、あまりに覗き見主義的で触れるのもイヤだったのだが、一応の火消しになれば良いと思う。
さて、これらの報道を見て、エド・ゲインについて書かれた「オリジナル・サイコ」を読んだ時を思い出した。


エド・ゲインについてはWikipediaにも載っているが、大量殺人者か連続殺人者として捉えるのが一般的である。また、「人肉食」や「人革家具」などが喧伝され、「屍姦」のうわさもあった。
エドゲイン事件は、当時全米を恐怖のルツボに突き落とし、その得体の知れない恐怖を克服するためか、数々のブラックジョークや都市伝説を生んだ。


ロバート・ブロックは、事件を聞いて「母親に狂的なしつけを受けた、マザーコンプレックスの青年」の部分に着目して「サイコ」を執筆した。これはのちに巨匠ヒッチコックによって映画化される。シャワールームのシーンや人の神経を逆なでするようなBGMで、世界を席巻した。
この「サイコ」の設定を「少女」にして、道具立てを「超能力」にしたのが、スティーブン・キングの「キャリー」である。
トビー・フーバーは、ドライブイン・シアター向けの低予算映画として、「世間から隔絶された異常殺人者」に着目、車でイチャイチャしたいカップルをキャーキャー言わせる事に成功した。「悪魔のいけにえ」である。
エド・ハリスはその両方に着目して「乳房つきのベストを作る願望に駆り立てられる殺人者」を描いた。映画化もされている。もちろん「羊たちの沈黙」である。


サスペンス、ホラー、スリラーの分野で映画史に残る傑作は、いずれもエド・ゲイン事件をモデルにしたものだった。その意味で、エドゲインこそは「ホラーの守護聖人*1」と呼んでも良い存在だ。


だが、「オリジナル・サイコ」によれば、エド・ゲインは多少の性的倒錯はあったものの、凶悪で残虐、狡猾な異常犯罪者、というようなイメージとはほど遠い人物だった。簡単に言ってしまえば、「小柄な気の弱いオッサン」だったのである。ゲイン自体は、「人肉食」や「屍姦」の噂を否定し、死体こそ大量に見つかっているが、ゲイン自身の犯行と確認できるものは二件だけだという。つまり、彼の犯行の多くは「墓泥棒」と「死体損壊」である。大量殺人、異常犯罪のイメージとはだいぶ異なる。
彼は特に殺人を誇るでもなく、異常殺人者に見られるような大言壮語もなかった。静かに病院で生活し、死去した。


意外に始まりはこんなものである。大げさな言葉も、何も剥ぎ取ってみれば、実像は大したことがない。我々はその虚像に恐れおののいている、そういう事は数多いように思う。


実は、南京大虐殺否定論も同じである。否定論というが、論と呼べるようなものではないのだ。それはある一人の人物の虚しい努力によって生み出されたものだ。


その人物こそ、田中正明である。南京大虐殺否定論の多くは、田中正明に負っている。




あちこちの文献で見掛けるように、もともと戦後メジャーな話とは云えなかった「南京事件」を騒動の種にしたのは、本多勝一だった。
まず、最初に「南京事件」にいちゃもんを付けたのは山本七平だが、山本のいちゃもんは、非常にみみっちい。焦点は「百人斬り」に当てられており、しかも些末な点に拘っていた。日本軍の蛮行についてはほとんど無視していたのだが、これは反論の余地無し、と氏が判断したためだろう。山本は大戦中一兵卒として従軍し、旧日本軍の体質に対しても熟知していた。「南京事件のような蛮行を、日本軍が行うはずはない」などと、ウブな事を考えたりしなかったのだろう。


代わって「南京事件」に噛みついたのが、鈴木明。鈴木は「南京大虐殺まぼろし」という本を出して「百人斬り報道」を批判するのだが、うっかりなのか「捕虜殺害」や「市民連行」といった出来事まで紹介してしまう。「まぼろし」といいながら、全然「まぼろし」になっていなかった。


他には阿羅健一。阿羅は「聞き書き 南京事件」という本の中で、数多く当時南京に滞在した人物に聞き取りを行い、「南京事件」など無かった。と結論づけた*2
しかし、これは秦郁彦が指摘するとおり「目撃しなかった」証言がいくらあっても、「目撃した」証言が一つ登場するだけで、無意味なのである。
例えば、自分は東京都内で犯罪も事故も目撃したことはない。だから「東京で事件も事故も起きたことはない」などと主張出来るわけだが、実際に目撃や体験した人にとってはお笑い種だ。
結局のところ、阿羅の主張は何にもならなかった。


何より、当時優れた研究が数多く行われた事が決定打となった。洞富雄、藤原彰秦郁彦笠原十九司というような研究者の著作が登場することで、歴史学的には決着がついてしまった。


その状況に登場したのが、田中正明である。


田中は、松井石根の私設秘書だった(らしい)人物で、「パール博士の日本無罪論」のような著作で、第二次大戦での日本の正統性を主張した。だが、パール判事は、手続き論に基づいて戦犯無罪を主張したものの、日本に正統性があったとは述べていない。それどころか、日本の侵略行為や残虐行為は厳しく指摘している。田中はその部分をトリミングすることで、日本の正統性、を主張したのだ。のちに続く「田中マジック」である。


田中は、まず自分の雇い主、松井石根日中戦争当時の日記を手に入れ、その内容に南京事件に触れたものが無い、として、「南京事件は存在しなかった」と主張した。それが「松井石根大将の陣中日誌」である。
ところが、この本に於いて日記の内容を多岐にわたって改竄したことが、板倉由明によって指摘された。その数900余り。田中は「故意に改竄はしておらず、誤記しただけ」「日記の内容を南京事件の有無に関連づけようとしてはいない」と主張したが、原文に無い文を付け足したり、注記で南京事件の有無と関連づけようとしていた。もともと、南京事件否定のために日記を持ち出したのだから、説得力は皆無で、田中の主張は破綻した。


普通なら、これで終わりである。歴史文書の改竄を行った人物が相手にされる事はない。少なくとも真っ当な学究の徒なら。しかし、南京事件否定派は真っ当ではなかった。


田中は次のような文も書いている。


(前略)南京は郊外まで含めても約40平方キロ、東京世田谷区の5分の4の面積で、ここに100人以上の内外記者団が取材にあたったのである。当時の市民は20万人といわれ、早くから全部「安全区」の中に集められていた。(南京安全区国際委員会発表)。そこには一発の爆撃も砲撃もなく、火災すら一件もなく保護されていたのである。そのため3週間後にはその人口は25万に増えている。当時の朝日新聞は「平和甦る南京」と題する写真特集を組、日本軍占領4日目の12月17日、皇軍に保護される避難民の群れや、帰還した農民が城外の畑を耕している写真を掲載している。 ここを守備した唐生智軍約5万は、戦闘により壊滅的打撃を受けている。蒋介石氏は「南京における我が軍の損害6千」と発表している(『蒋介石秘録第12巻』)。いったい20万だの30万だのという虐殺数字はどこから出てくるのか。広島の原爆犠牲者でさえその数は14万であることを想起してほしい》

(ありもしない「南京大虐殺」の大キャンペーン。その虚構を暴き、敢えて問う、
当時の朝日は「南京入城」をどう報じていたか?(文春、昭和59年10月)
南京大虐殺」の虚妄 )


http://www.history.gr.jp/~nanking/asahi.html#03


今に続く「南京の人口は20万人」だとか、原爆との関連づけの原型、をここに見ることができる。
この現在に続く「南京事件否定の根拠」は「南京事件の総括 虐殺否定の十五の論拠」にほとんど登場する。


田中はさらに、偕行社を焚き付け、当時従軍した兵士などから証言を募り、南京事件は存在しなかった、との証言を引き出そうとした。阿羅の手法を拡大しようとしたのだ。しかし、これは失敗に終わった。証言に「殺害や略奪の体験や目撃談」が数多く寄せられたのだ。田中の意図に反し、南京事件は事実だった事が明らかにされた。偕行社の編集者、加登川幸太郎は「事件」の存在を率直に認め、謝罪している。田中は出版自体を止めさせようとしたが、失敗に終わり、偕行社の証言集は重要な文献となっている。つまり、田中の行ったことは、どれもやぶ蛇だったのだ。彼が何かする度に、事件を明らかにする何かが発掘されてしまう。


にも関わらず、その当時でさえ瞬殺された田中の述べた根拠は、現在でも利用されている。オリジナリティがあるのはせいぜい「ティンパーリは国民党のプロパガンダ要員だった」ぐらいのものか。だが、これも瞬殺にあっている。


しかも田中の否定に用いた手法は、実はホロコースト否定論を利用したものだった。人口の問題、写真の真偽、文章の表現、いずれもホロコースト否定論でお馴染みのものばかりだ*3
興味のある人は、「マルコポーロ」における「西岡昌紀」、「噂の真相」における「木村愛二」などのホロコースト否定論に目を通してみるといい。


木村愛二氏とのガス室論争 対抗言論
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/holocaust/holocaust.htm


もう一つ興味深い事を指摘しておく。南京事件否定論を支持した中には世界日報、つまり統一協会が含まれている。


ニセ生首写真で“南京大虐殺”ねつ造(「朝日新聞」の犯罪 http://www.history.gr.jp/~nanking/asahi.html

(参考:南京大虐殺はウソだ!*4 http://www.history.gr.jp/~nanking/


田中正明こそは、「南京事件否定派の守護聖人」であり、「南京事件否定派の始祖」である。しかし、その主張はすでにネタ割れしたちんけな言葉の羅列に過ぎないのだ。


(敬称を略しました。シートン


付記1 本文では田中正明をクローズアップしているが、この他に否定論者がいなかったわけではない。ただ、巷間で登場する否定論の多くが、田中正明に源があるように思われた。

オリジナル・サイコ―異常殺人者エド・ゲインの素顔 (ハヤカワ文庫NF)

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サイコ【字幕版】 [VHS]

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「南京大虐殺」のまぼろし (WAC BUNKO)

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松井石根大将の陣中日誌 (1985年)

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南京事件の総括―虐殺否定十五の論拠

南京事件の総括―虐殺否定十五の論拠


追記:写真は「サザエさん」です。

*1:前掲書による

*2:後に、同様の趣旨の「「南京事件」日本人48人の証言」という本を出している

*3:ホロコースト否定論自体も、スペイン大航海時代の先住民虐殺否定論、レジェンダ・ネグラ(黒い伝説)のパクリである

*4:スタンスは否定論だが、参考文献が数多く載せられており、凡百の否定論サイトとは異なる。否定論の変遷を知るのに役立つのでオススメ。